レスラーノート

オーランド・ジョーダン

ORLANDO JORDAN

1976年4月21日(1971年7月10日説あり)
ニュージャージー州セーラム出身
193cm 117kg

タイトル歴
WWE・USヘビー
NWE世界ヘビー
MCWヘビー
得意技
オーランド・マジック(スイング・ネックブリーカー)
ジョーダン・スラム(パワースラム)
ブラックアウト(リバース河津落とし)

デビュー前はアマレスで活躍。00年にデビュー。02年2月9日にケンタッキー州でザ・ブルーザーを破りMCWヘビー級王座を獲得。2月16日にザ・ブルーザーに敗れて王座転落。 03年5月にWWEに登場。 04年にジョン・ブラッドショー・レイフィールド(JBL)の結成したジェイビーエルズ・キャビネットに補佐官役として加入してヒールに転向。JBLと組んで試合をしたり、JBLの試合に乱入した。 05年2月5日に、さいたまスーパーアリーナでのWWEの日本公演に出場し、ジョン・シナと対戦。5分1秒、FUに敗れた。3月3日、ジョン・シナを破りUSヘビー級王座を獲得。7月1日の日本公演にも来日し、TAJIRIと対戦。8分29秒、タランチュラの後に丸めこまれて敗れた。2日にはJBLと組んでWWEヘビー級王者のジョン・シナとハンデキャップマッチで対戦。13分26秒、シナのFUにJBLがフォール負け。8月21日、クリス・ベンワーのクリップラー・クロスフェイスに25秒で敗れてUS王座から転落。 06年2月4日、横浜アリーナでのWWEの日本公演に出場し、レイ・ミステリオと対戦。11分47秒、フロッグスプラッシュに敗れた。2月5日、横浜アリーナでのWWEの日本公演でクリス・ベンワーと対戦。13分1秒、クリップラー・クロスフェイスに敗れた。5月にWWEを離脱。その後はインディ団体を転戦。 07年4月に新日本プロレスに来日。4月8日、後楽園ホール大会で永田裕志と対戦。8分33秒、リストクラッチ・エクスプロイダーからのナガタロック4に敗れた。4月12日、IGFの大阪府立体育会館大会でRIKISHIと対戦。9分、バンザイドロップに敗れた。4月13日、大阪府立体育会館大会で中西学と対戦。7分59秒、ヘラクレスカッターに敗れた。4月22日、札幌テイセンホール大会で石井智宏と対戦。9分25秒、ラ・マヒストラルにフォール負け。7月、新日本プロレスに来日。7月8日、岐阜産業会館大会で矢野通と対戦。10分35秒、裏霞にフォール負け。7月13日、Zepp Sendai大会で棚橋弘至と対戦。11分16秒、ハイフライフローに敗れた。その後、スペインを拠点とするNWEで活躍。 08年4月12日、IGFの大阪府立体育会館大会でRIKI−SHIと対戦。9分、バンザイドロップに敗れた。4月19日、マドリード大会でNWE世界ヘビー級王座を獲得。6月12日から7月20日まで、NWEのスペインツアーに出場。6月25日、NWEのバルセロナ大会で、突如復帰したアルティメット・ウォリアーと対戦。全盛期の動きができないウォリアーを相手になんとか試合を成立させ、雪崩式ブレーンバスターを食らってからタックル、クローズライン、フライングショルダーアタックの連打に敗れて王座転落。10月26日から11月2日にかけて、NWEスペインツアー(全3大会)に出場した。 09年11月21日から28日にかけて、ホーガンの旗揚げした「ハルカマニア」のオーストラリア・ツアー(全4戦)に参加。 10年1月21日の放送からTNAに登場。ディアンジェロ・ディネロ(イライジャ・バーク)と対戦し、ブラックアウト(リバース河津落とし)で勝利した。5月16日、PPV「サクリファイス」でロブ・テリーのグローバル王座に挑戦。ダイビング・ニードロップを自爆してチョークスラムに敗れた。