レスラーノート

ハイデンライク

HEIDENREICH

本名:ジョン・ハイデンライク
1972年6月28日
ルイジアナ州ニューオリンズ出身
196cm 125kg

タイトル歴
WWEタッグ
NWAインターコンチネンタルタッグ
WWC統一ヘビー
得意技
スウィンギング・サイドウォーク・スラム
ドゥームズデイ・デバイス(アニマルが担ぎ上げた相手にハイデンライクがコーナー最上段からラリアット)

NFLのワシントン・レッドスキンズの一員として92年にはスーパーボウル優勝の経験を持つ。 01年にWWEと契約し、当時のWWEの2軍団体UPWにてトレーニングを積む。 02年10月にZERO-ONEにジョン・ヘンデンリッチの名で初来日。10月20日の開幕戦ではネイサン・ジョーンズと組んで大谷晋二郎、田中将斗の持つNWAインターコンチネンタルタッグ王座に挑戦。ネイサンが田中の腰をつかむと3メートル地点まで高々と持ち上げて、そのまま垂直にチョークスラムで叩き落とす日本初公開の合体技「タワーダンク」で勝利してタッグ王座を獲得した。10月25日、名古屋国際会議場大会でザ・プレデター、ジミー・スヌーカ・ジュニア組を相手にタッグ王座の防衛戦。9分46秒、ネイサンがネックハンギングボムでスヌーカ・ジュニアに勝利。10月26日、大阪府立臨海スポーツセンター大会で小川直也橋本真也組を相手にタッグ王座の防衛戦。10分32秒、俺ごと刈れをくらって小川にヘンデンリッチがフォール負けして王座転落。 03年4月27日、ZERO1の博多スターレーン大会でプレデターと組んでマット・ガファリ、トム・ハワード組のNWAインターコンチネンタルタッグ王座に挑戦。14分39秒、ガファリのガファリプレスにヘンデンリッチが敗れた。5月1日、成田市体育館大会で小川直也と対戦。7分3秒、GTOに敗れた。5月31日、KBSホール大会で橋本真也と対戦。10分24秒、レフリーのMr.フレッドの手助けもあったが、三角絞めに敗れた。9月にWWEに進出。RAWに出場し、当初はベビーフェイスとしての登場であったが低迷。 WWEの2軍団体OVWで調整後、04年7月からポール・ヘイマンをマネージャーに従えてスマックダウンに再登場。サイコ系のギミックで活動した。主にジ・アンダーテイカーと抗争し、大型のパワーファイター同士の迫力の試合展開となった。ポール・ヘイマンと離れた後もサイコ系のギミックで活動。 05年に、「友達を求める孤独なキャラクター」にギミックを多少変更。これらのサイコ系ギミックは観客から支持を得られず低迷を続けた。2月5日、さいたまスーパーアリーナでのWWEの日本公演に来日し、メインでアンダーテイカーと対戦。17分4秒、裏十字固めに敗れた。7月から元ロード・ウォリアーズのアニマル・ウォリアーとコンビを結成。「ニュー・リージョン・オブ・ドゥーム」というチーム名となってWWEタッグ王者のMNMと抗争を展開。頭をモヒカン刈り、顔にペイントを施しアニマルの片腕として活躍。7月24日、「グレート・アメリカン・バッシュ」大会でMNMをドゥームズデイ・デバイスで破り、WWEタッグ王座を獲得した。9月にはハリケーン「カトリーナ」によって家族が行方不明に。家族とは無事に出会うことができたが、実家は破壊されていた。10月25日にMNMに敗れて王座陥落。 06年1月にWWEを離脱。その後はインディ団体に出場。10月28日と12月16日にプエルトリコでWWC統一ヘビー級王座を獲得した。 08年3月14日から19日にかけてイギリスの団体NLWのツアーに出場。6月から7月にかけてイタリアの団体NWEのスペインツアーにスポット参戦。