ダークロHP

スティーブ・オースチン
STEVE AUSTIN


本名:スティーブ・ウィリアムス
1964年12月18日
テキサス州ビクトリア出身
193cm 115kg
タイトル歴:WWFヘビー WWFタッグ WWFインターコンチネンタル WCW世界TV WCW世界タッグ WCWUSヘビー
得意技:スタナー

通称ストーンコールド。高校卒業後にダラスでクリス・アダムスの門下生としてプロレス入り。89年にデビュー。90年にWCWに入る。91年6月、WCW世界TV王座を獲得。92年9月23日、新日本プロレス横浜アリーナ大会に出場し、NWA王者の蝶野正洋に挑戦。試合は17分8秒、STFで蝶野が勝利したが、パイルドライバーで蝶野の首を負傷させた。 93年3月にブライアン・ピルマンと組んで(コンビ名はハリウッド・ブロンズ)、シェーン・ダグラスリッキー・スティムボート組を破りWCW世界タッグ王座を獲得。12月にダスティン・ローデス・ジュニアを破りUSヘビー級王座を獲得した。 95年6月、日本で上腕三頭筋を負傷して欠場し、そのままWCWから解雇された。その後、ECWに登場。12月、WWFに進出。 98年3月29日のレッスルマニア14で、マイク・タイソンを特別レフェリーにしてショーン・マイケルズと対戦。試合終盤にコーナー最上段からのエルボーを落としたマイケルズは、カウント2で返された後さらにスウィート・チン・ミュージックを放つが、オースチンは足を払いのけてスタナーを放って勝利。ついにWWF世界ヘビー級王座を獲得した。ヒールであったが、ビール片手に我が道を行く荒くれ者のスタイルに観客が熱狂。WWFのオーナー、ビンス・マクマホンと抗争したことで、人気爆発。 99年3月28日、レッスルマニア15のメインでWWF王者のザ・ロックと対戦。2人のレフリーが退場し、3人目のレフリーをマクマホンが攻撃し、マンカインドがマクマホンを撃退するドタバタ劇の後、満を持してロックが必殺のコーポレートエルボーを放つ。百発百中の必殺技を、なんとオースチンがかわす。すかさずスタナーを決めて勝利し、WWF王座を獲得した。11月14日のサバイバーシリーズを最後に首の負傷のため長期欠場。 00年10月22日のノーマーシーで復帰。 01年4月1日にはレッスルマニア17でWWF王者のロックに挑戦。この試合でビンスに乱入させて勝利。ヒールに転向し、WWF王座に返り咲いた。その後もWWEで活躍を続けるが、02年6月から長期欠場。 03年2月に復帰。3月30日のレッスルマニア19でロックと対戦。ロックボトムの3連発で敗れた。その後はWWEで離脱、復帰を繰り返し、長年の負傷のためセミリタイアの状態。 07年4月1日、レッスルマニア23でのビンス・マクマホン(代理はウマガ)とドナルド・トランプ(代理はラシュリー)の億万長者対決、敗者髪切りマッチのレフリーになる。ウマガが劣勢になると、ビンスがシェーン・マクマホンと共に加勢。試合中盤には怒ったトランプがビンスに殴りかかる場面もあった。最後は反則をくり返すウマガにオースチンが制裁のスタナー。直後にラシュリーがスピアを放ちウマガのフォール負け。ビンスはスキンヘッドになった。オースチンは「お約束」とばかりにトランプにもスタナーを放った。 08年10月26日、PPV「サイバーサンデー」に登場。ランディ・オートンショーン・マイケルズとの人気投票に勝利して、ジェリコバティスタ戦(世界王座戦)のレフリーとなる。乱入してきたランディ・オートンにスタナーを決めた。最後は勝利したバティスタとビールで祝杯をあげた。 09年4月5日、レッスルマニアでのホール・オブ・フェイムの発表時に登場し、リング上でビール飲みのパフォーマンスを見せた。 11年4月3日、レッスルマニアでマイケル・コール対ジェリー・ローラー戦のレフリーとして登場。コールのセコンドのスワッガーにスタナー、試合終了後にリングに上がってスピンルーニーを決めたゲスト解説者のブッカーTにスタナー、ローラーの反則負けをアナウンスしたアナウンサーにもスタナーを決め、最後はローラーとビールで勝利を祝った。

 グーグル検索 レスラーノート検索

ダークロHP