レスラーノート

エディ・ギルバート

EDDIE GILBERT
本名:トーマス・エドワード・ギルバート・ジュニア
1961年8月14日
ケンタッキー州レキシントン出身
183cm 98kg

通称
ホット・スタッフ
タイトル歴
UWF世界タッグ
サザン・タッグ
USWA統一世界ヘビー
得意技
ダブルアームスープレックス

中西部地区で活躍したトミー・ギルバート(ジョニー・スターの名で来日)の息子。79年2月にデビュー。デビュー当時はメンフィスを中心に活動。 82年にWWFに進出。同年11月25日にMSGでタイガーマスクのWWFジュニア王座に挑戦して善戦し、テレビ放映されたため日本でも脚光を浴びる。 83年10月、新日本プロレスに初来日したが、負傷により途中帰国。WWFエリアを離れてUWFに参加。 84年2月からトミー・リッチと初代ファビュラス・ワンズを結成。10月にAWA認定サザン・タッグ王座を獲得した直後に解散した。その後、シングルに転向し女性マネージャーのミッシー・ハイアットを従えヒールとして活躍した。 91年9月、W★INGに来日。9月11日、名古屋国際会議場大会でアイスマン(リッキー・サンタナ)と対戦。8分6秒、右手をケガしていたため、リストロックにギブアップ負け。 ECWでは92年の発足と同時にブッカー、マッチメイカーに就任。 93年9月、プロモーターのトッド・ゴードンと仲が悪くなりECWを解雇された。W★INGではマスクマンのブギーマンに変身。11月26日、W★INGの川崎市体育館大会でレザー・フェイスと組んでフレディ・クルーガー、クリプト・キーパー組と対戦。13秒、ブギーマンが回転エビ固めでフレディにフォール勝ち。短時間で試合を終わらせ、リング上でフレディ・クルーガー(弟のダグ・ギルバート)と共に団体を批判。フレディと共にマスクを脱いで退場し、この日を最後に帰国した。その後はUSWAで活躍。 95年2月18日に遠征先のプエルトリコのイスラ・ベルデで薬物過剰摂取による心臓麻痺で死去。