レスラーノート

永源遙

1946年1月11日
石川県鹿島郡旧鹿西町出身
178cm 110kg 血液型:A型

通称
法界坊
タイトル歴
IWA世界タッグ
NWA世界タッグ(セントラルステーツ版)
得意技
エルボードロップ
つば飛ばし
デッドリードライブ(自爆)

中学卒業後、大相撲の立浪部屋に入門。61年7月に初土俵。63年9月場所で、序二段で優勝。66年5月、木村政雄(ラッシャー木村)の誘いで大磯、寺西と共に東京プロレスに入門。10月12日、蔵前国技館での東京プロレスの旗揚げ戦で、木村政雄を相手にデビュー。この試合で木村は永源のヘッドバットをくらって大流血し、試合後に8針縫う激闘となった。5分6秒、逆片エビ固めに敗れた。 67年5月の崩壊で日本プロレスに移籍。坂口の付き人となる。73年1月にはアメリカ武者修業に旅立つ。 アメリカ修行時代はグレート・トーゴーを名乗り、安達(ミスター・ヒト遠征当時はトーキョー・ジョー)とのコンビで3月にNWA世界タッグ王座(セントラルステーツ版)を獲得している。同年秋の帰国と共に新日本プロレスに移籍。 80年6月、ストロング小林と組んでマイティ井上、寺西勇組を破り、IWA世界タッグ王座を獲得。11月18日に結婚。仲人は後に首相となった森喜朗だった。 84年9月、ジャパンプロレスに移籍。 86年3月、全日本プロレスに移籍。 91年1月19日、松本市総合体育館大会で百田光雄と対戦。10分16秒、首固めでフォール勝ち。試合中、相手に胸を叩かれた拍子に飛び出すツバ直撃弾を得意とし、客は新聞紙を広げてよけるようになった。業界一の人脈を誇り、プロモーターとして才能を発揮した。 00年6月、ノアの旗揚げに参加。

2002

02年3月17日、ディファ有明大会で百田光雄と対戦。8分19秒、首固めにフォール負け。4月1日、大阪府立体育会館・第2競技場大会で百田光雄と対戦。7分26秒、逆さ押さえこみでフォール勝ち。8月15日、皆瀬村とことん山キャンプ場大会で百田光雄と対戦。7分3秒、横入り式エビ固めにフォール負け。8月31日、つくばカピオ大会で百田光雄と対戦。7分54秒、回転エビ固めをエビ固めに切り返されてフォール負け。10月4日、後楽園ホール大会で百田光雄と対戦。8分10秒、逆さ押さえこみでフォール勝ち。10月5日、福島市国体記念体育館大会で百田光雄と対戦。7分25秒、回転エビ固めにフォール負け。10月6日、長岡市厚生会館大会で川畑輝鎮と対戦。7分31秒、首固めにフォール負け。10月9日、山形市総合スポーツセンター大会でスーパースター・スティーブと対戦。8分10秒、回転エビ固めにフォール負け。10月12日、徳島市立体育館大会で百田光雄と対戦。8分27秒、逆さ押さえこみでフォール勝ち。10月19日、愛知県体育館大会で百田光雄と対戦。6分52秒、回転エビ固めをエビ固めに切り返されてフォール負け。11月14日、後楽園ホール大会で百田光雄と対戦。7分7秒、回転エビ固めでフォール勝ち。11月16日、アクトシティ浜松大会で百田光雄と対戦。7分14秒、回転エビ固めをエビ固めに切り返されてフォール負け。11月22日、千葉公園体育館大会で百田光雄と対戦。7分22秒、逆さ押さえこみでフォール勝ち。11月23日、昭和の森メッセ昭島大会で青柳政司と対戦。8分49秒、前方回転エビ固めをエビ固めに切り返されてフォール負け。11月24日、宮城県スポーツセンター大会で百田光雄と対戦。9分47秒、回転エビ固めにフォール負け。11月26日、大館市民体育館大会で百田光雄と対戦。9分36秒、逆さ押さえこみでフォール勝ち。11月28日、八戸市体育館大会で百田光雄と対戦。10分25秒、回転エビ固めでフォール勝ち。11月30日、旭川大成市民センター体育館大会で百田光雄と対戦。15分時間切れ引き分け。12月4日、キラメッセぬまづ大会で百田光雄と対戦。7分55秒、逆さ押さえこみでフォール勝ち。12月5日、石岡市運動公園体育館大会で百田光雄と対戦。7分56秒、回転エビ固めにフォール負け。

2003

03年1月21日、東広島運動公園体育館大会で百田光雄と対戦。8分41秒、首固めにフォール負け。1月22日、海峡メッセ大会で百田光雄と対戦。7分47秒、逆さ押さえこみでフォール勝ち。2月18日、横須賀市総合体育会館大会で百田光雄と対戦。7分47秒、回転エビ固めにフォール負け。2月21日、大阪府立体育会館・第2競技場大会で百田光雄と対戦。7分1秒、逆さ押さえこみでフォール勝ち。3月16日、ディファ有明大会で百田光雄と対戦。8分18秒、回転エビ固めをエビ固めに切り返されてフォール負け。3月21日、後楽園ホール大会で百田光雄と対戦。8分13秒、首固めにフォール負け。3月22日、小田原アリーナ・サブアリーナ大会で百田光雄と対戦。7分14秒、逆さ押さえこみでフォール勝ち。3月23日、水戸市民体育館大会で泉田純と対戦。10分8秒、大外刈りに敗れた。3月26日、福井市体育館大会で青柳政司と対戦。8分1秒、回転エビ固めをエビ固めに切り返されてフォール負け。4月2日、大分県立荷揚町体育館大会で百田光雄と対戦。7分59秒、逆さ押さえこみでフォール勝ち。4月3日、広島東区スポーツセンター大会で青柳政司と対戦。7分9秒、片エビ固めにフォール負け。4月5日、石川県産業展示館3号館大会で百田光雄と対戦。6分46秒、逆さ押さえこみでフォール勝ち。4月6日、四日市オーストラリア記念館大会で川畑輝鎮と対戦。8分9秒、首固めにフォール負け。5月1日、新日本プロレスの東京ドーム大会(前日イベント)で9人参加の新日本プロレスOBバトルロイヤルに出場。5月9日、後楽園ホール大会で泉田純と対戦。6分43秒、大外刈りに敗れた。5月10日、新潟市体育館大会でダグ・ウイリアムスと対戦。7分7秒、回転エビ固めにフォール負け。5月11日、ディファ有明大会で百田光雄と対戦。8分20秒、横入り式エビ固めにフォール負け。5月13日、岐阜産業会館大会で百田光雄と対戦。7分36秒、逆さ押さえこみでフォール勝ち。5月14日、富山産業展示館テクノホール大会で百田光雄と対戦。6分58秒、回転エビ固めをエビ固めに押しつぶされてフォール負け。5月17日、気仙沼市総合体育館大会で百田光雄と対戦。8分4秒、首固めにフォール負け。5月18日、ビッグパレットふくしま大会で青柳政司と対戦。8分11秒、上段回し蹴りに敗れた。5月20日、青森産業会館大会で百田光雄と対戦。8分2秒、逆さ押さえこみでフォール勝ち。5月22日、室蘭市体育館大会で百田光雄と対戦。8分2秒、首固めにフォール負け。5月23日、大成市民センター体育館大会で百田光雄と対戦。7分6秒、首固めにフォール負け。5月24日、北見市立体育センター大会で百田光雄と対戦。8分6秒、逆さ押さえこみでフォール勝ち。5月28日、函館市民体育館大会で百田光雄と対戦。7分25秒、逆さ押さえこみでフォール勝ち。6月1日、札幌メディアパークスピカ大会で百田光雄と対戦。8分13秒、横入り式エビ固めにフォール負け。7月2日、秋田市立体育館大会でスーパースター・スティーブと対戦。8分48秒、首固めにフォール負け。7月3日、福島市国体記念体育館大会で百田光雄と対戦。8分22秒、首固めにフォール負け。7月4日、長岡市厚生会館大会でスーパースター・スティーブと対戦。8分41秒、首固めにフォール負け。7月9日、高知県民体育館大会で百田光雄と対戦。7分40秒、首固めにフォール負け。7月12日、七尾総合市民体育館大会で百田光雄と対戦。6分27秒、逆さ押さえこみでフォール勝ち。7月13日、根上町総合文化会館円形ホール大会で百田光雄と対戦。8分、横入り式エビ固めにフォール負け。7月16日、大阪府立体育会館大会で青柳政司と対戦。5分、前方回転エビ固めをエビ固めに切り返されてフォール負け。8月15日、皆瀬村とことん山キャンプ場大会で泉田純と対戦。7分21秒、いん石に敗れた。8月23日、後楽園ホール大会で百田光雄と対戦。8分56秒、回転エビ固めをエビ固めに押さえこんでフォール勝ち。8月24日、ツインメッセ静岡大会で川畑輝鎮と対戦。7分53秒、首固めにフォール負け。8月28日、ホテル糸魚川大会で百田光雄と対戦。7分2秒、首固めにフォール負け。8月29日、長野運動公園総合体育館大会で百田光雄と対戦。6分41秒、逆さ押さえこみでフォール勝ち。8月31日、つくばカピオ大会で泉田純と対戦。9分7秒、いん石に敗れた。9月3日、鹿嶋市立体育館大会で百田光雄と対戦。7分4秒、横入り式回転エビ固めでフォール勝ち。9月4日、群馬県総合スポーツセンター大会で百田光雄と対戦。7分5秒、首固めにフォール負け。9月6日、徳島市立体育館大会でドノバン・モーガンと対戦。6分23秒、横入り式エビ固めにフォール負け。9月8日、田辺市ガーデンホテルハナヨアリーナ大会で百田光雄と対戦。9分2秒、逆さ押さえこみでフォール勝ち。9月9日、大阪府立体育会館・第2競技場大会でリチャード・スリンガーと対戦。8分37秒、横入り式エビ固めにフォール負け。10月12日、桂スタジオ大会で泉田純と対戦。8分37秒、いん石に敗れた。10月15日、千葉ポートアリーナ大会で泉田純と対戦。5分26秒、隕石に敗れた。10月21日、兵庫県立武道館大会で青柳政司と対戦。5分43秒、回転エビ固めをエビ固めに切り返されてフォール負け。10月22日、岡山武道館大会で泉田純と対戦。7分21秒、いん石に敗れた。10月25日、佐世保市体育文化館大会で川畑輝鎮と対戦。7分13秒、横入り式エビ固めにフォール負け。10月26日、博多スターレーン大会でドノバン・モーガンと対戦。5分23秒、首固めにフォール負け。11月15日、アクトシティ浜松大会でIZUと対戦。6分23秒、いん石に敗れた。11月16日、ディファ有明大会で百田光雄と対戦。7分5秒、横入り式エビ固めにフォール負け。11月19日、津競艇場ツッキードーム大会で川畑輝鎮と対戦。6分25秒、横入り式回転エビ固めにフォール負け。11月26日、大館市民体育館大会で百田光雄と対戦。7分4秒、首固めにフォール負け。12月2日、山形市総合スポーツセンターサブアリーナ大会で百田光雄と対戦。7分51秒、横入り式エビ固めにフォール負け。12月3日、米沢市営体育館大会で泉田純と対戦。5分47秒、いん石に敗れた。12月11日、後楽園ホール大会で泉田純と対戦。6分11秒、ランニング・ボディプレスに敗れた。

2004

04年1月13日、熊谷市民体育館大会で泉田純と対戦。6分39秒、ランニング・ボディプレスに敗れた。1月15日、諏訪市清水町体育館大会で百田光雄と対戦。7分31秒、横入り式エビ固めにフォール負け。1月17日、ディファ有明大会で川畑輝鎮と対戦。6分27秒、首固めにフォール負け。1月19日、キラメッセぬまづ大会で百田光雄と対戦。7分7秒、首固めにフォール負け。1月20日、豊橋市総合体育館サブアリーナ大会でリチャード・スリンガーと対戦。7分24秒、首固めにフォール負け。1月22日、米子産業体育館大会で百田光雄と対戦。8分3秒、首固めにフォール負け。1月23日、 高知県民体育館大会で青柳政司と対戦。7分2秒、回転エビ固めをエビ固めに切り返されてフォール負け。1月25日、神戸ワールド記念ホール大会で百田光雄と対戦。7分22秒、横入り式回転エビ固めにフォール負け。2月21日、相模原市立総合体育館大会で百田光雄と対戦。8分38秒、首固めにフォール負け。2月23日、大阪市中央体育館大会で泉田純と対戦。7分25秒、ランニング・ボディプレスに敗れた。3月4日、福井市体育館大会で百田光雄と対戦。7分41秒、逆さ押さえこみでフォール勝ち。3月13日、ディファ有明大会で百田光雄と対戦。7分44秒、横入り式回転エビ固めにフォール負け。4月3日、ディファ有明大会で川畑輝鎮と対戦。7分1秒、横入り式回転エビ固めにフォール負け。4月4日、ツインメッセ静岡大会で百田光雄と対戦。6分41秒、横入り式回転エビ固めにフォール負け。4月10日、石川県産業展示館3号館大会で百田光雄と対戦。7分6秒、逆さ押さえこみでフォール勝ち。4月13日、ふくやまビッグローズ大会で泉田純と対戦。7分43秒、ランニング・ボディプレスに敗れた。4月14日、興南会館大会で百田光雄と対戦。7分47秒、横入り式回転エビ固めにフォール負け。4月15日、海峡メッセ下関大会で百田光雄と対戦。8分3秒、逆さ押さえこみでフォール勝ち。4月20日、テクスポート今治大会で百田光雄と対戦。7分43秒、横入り式回転エビ固めにフォール負け。4月21日、大阪府立体育会館・第2競技場大会でトレバー・ローデスと対戦。7分42秒、横入り式エビ型固めにフォール負け。5月16日、本川越ぺぺホール・アトラス大会で泉田純と対戦。5分9秒、ランニング・ボディプレスに敗れた。5月22日、青森産業会館大会で百田光雄と対戦。9分22秒、前方回転エビ固めにフォール負け。5月26日、紋別市スポーツセンター大会で川畑輝鎮と対戦。6分36秒、横入り式回転エビ固めにフォール負け。5月28日、釧路コミュニティ体育館・鳥取ドーム大会で泉田純と対戦。6分32秒、ランニング・ボディプレスに敗れた。6月1日、月寒グリーンドーム大会で泉田純と対戦。6分18秒、ランニング・ボディプレスに敗れた。6月3日、河西体育センター大会で泉田純と対戦。6分27秒、ランニング・ボディプレスに敗れた。6月27日、後楽園ホール大会で川畑輝鎮と対戦。7分32秒、横入り式回転エビ固めにフォール負け。6月30日、塩釜市体育館サブアリーナ大会で百田光雄と対戦。8分35秒、横入り式エビ固めに敗れた。7月1日、福島市国体記念体育館サブアリーナ大会でスーパースター・スティーブと対戦。7分39秒、横入り式エビ固めにフォール負け。7月10日、東京ドーム大会で百田光雄と対戦。8分3秒、後方回転エビ固めにフォール負け。7月24日、ディファ有明大会で百田光雄と対戦。6分27秒、横入り式エビ固めにフォール負け。7月26日、高岡テクノドーム大会で百田光雄と対戦。6分30秒、逆さ押さえこみでフォール勝ち。7月31日、大阪府立臨海スポーツセンター大会で百田光雄と対戦。7分5秒、前方回転エビ固めにフォール負け。8月15日、皆瀬村役場前グラウンド大会で百田光雄と対戦。8分10秒、逆さ押さえこみでフォール勝ち。8月22日、大河原町はねっこアリーナ大会で百田光雄と対戦。6分41秒、横入り式エビ固めにフォール負け。8月24日、山形市総合スポーツセンター大会で川畑輝鎮と対戦。6分28秒、横入り式回転エビ固めにフォール負け。8月25日、秋田県立体育館大会で泉田純と対戦。6分41秒、隕石に敗れた。8月26日、ビッグパレットふくしま大会で百田光雄と対戦。7分6秒、逆さ押さえこみでフォール勝ち。8月29日、アクトシティ浜松大会で泉田純と対戦。7分21秒、ランニング・ボディプレスに敗れた。9月2日、山陽ハイツ体育館大会で泉田純と対戦。6分24秒、ランニング・ボディプレスに敗れた。9月5日、別府ビーコンプラザ大会で泉田純と対戦。6分22秒、ランニング・ボディプレスに敗れた。9月10日、日本武道館大会で川畑輝鎮と対戦。6分8秒、首固めにフォール負け。9月23日、ディファ有明大会で小橋軍VS秋山軍6対6シングル勝ち抜き戦に秋山軍の1人目として出場し、橋誠と対戦。7分31秒、横入り回転エビ固めにフォール負け。勝ち抜き戦は秋山軍の勝利に終わった。10月10日、本川越ぺぺホール・アトラス大会で泉田純と対戦。6分3秒、ランニング・ボディプレスに敗れた。10月11日、ディファ有明大会で百田光雄と対戦。7分1秒、首固めにフォール負け。10月13日、豊田市運動公園体育館大会で百田光雄と対戦。6分17秒、逆さ押さえこみでフォール勝ち。10月14日、兵庫県立武道館大会で百田光雄と対戦。6分4秒、回転エビ固めにフォール負け。10月15日、アイテムえひめ大会で百田光雄と対戦。6分31秒、首固めにフォール負け。10月19日、千葉公園体育館大会で百田光雄と対戦。6分15秒、首固めにフォール負け。11月15日、伊勢崎市第2市民体育館大会で百田光雄と対戦。6分22秒、横入り式エビ固めにフォール負け。11月16日、新潟市体育館大会で百田光雄と対戦。7分9秒、横入り式エビ固めでフォール勝ち。11月17日、鶴ヶ城体育館大会で百田光雄と対戦。6分26秒、首固めにフォール負け。11月20日、ディファ有明大会で川畑輝鎮と対戦。6分20秒、横入り式エビ固めにフォール負け。11月21日、宮城県スポーツセンター大会で百田光雄と対戦。7分28秒、横入り式エビ固めにフォール負け。11月23日、十和田市総合体育センター大会で百田光雄と対戦。8分5秒、横入り式回転エビ固めにフォール負け。11月24日、サンレック北上大会で川畑輝鎮と対戦。7分20秒、首固めにフォール負け。11月28日、札幌メディアパーク・スピカ大会でエース・スティールと対戦。4分29秒、横入り式エビ固めにフォール負け。12月2日、鹿嶋市立高松緑地体育館大会で泉田純と対戦。6分3秒、ランニング・ボディプレスに敗れた。

2005

05年1月8日、日本武道館大会で百田光雄と対戦。7分48秒、ゆり椅子固めでフォール勝ち。1月13日、岐阜産業会館大会で橋誠と対戦。15分時間切れ引き分け。1月15日、博多スターレーン大会で川畑輝鎮と対戦。12分50秒、両者リングアウト。1月21日、岡山武道館大会で百田光雄と対戦。6分34秒、逆さ押さえこみでフォール勝ち。1月23日、神戸ワールド記念ホール大会で丸藤正道のグローバル・ハードコア・クラウン王座に挑戦。7分40秒、不知火に敗れた。2月19日、千葉・アクアマリンスタジオ大会で橋誠と対戦。8分2秒、ダイビング・ヘッドバットに敗れた。2月23日、春日井市総合体育館大会でエース・スティールと対戦。4分27秒、横入り式エビ固めにフォール負け。2月25日、京都・KBSホール大会で百田光雄と対戦。6分11秒、首固めにフォール負け。2月26日、ツインメッセ静岡大会で百田光雄と対戦。6分37秒、横入り式エビ固めでフォール勝ち。2月27日、つくばカピオ大会で百田光雄と対戦。7分2秒、回転エビ固めにフォール負け。3月2日、水戸市民体育館大会で川畑輝鎮と対戦。6分18秒、アックスボンバーに敗れた。4月2日、ディファ有明大会で百田光雄と対戦。6分58秒、横入り式エビ固めでフォール勝ち。4月5日、新津市民会館大会で橋誠と対戦。7分35秒、ダイビング・ヘッドバットに敗れた。4月10日、米子コンベンションセンター大会で百田光雄と対戦。7分41秒、横入り式回転エビ固めにフォール負け。4月12日、興南会館大会で百田光雄と対戦。8分6秒、横入り式エビ固めにフォール負け。4月16日、長崎・ncc&スタジオ大会で川畑輝鎮と対戦。6分31秒、首固めにフォール負け。5月13日、後楽園ホール大会で百田光雄と対戦。5分54秒、横入り式エビ固めにフォール負け。5月18日、富山産業展示館テクノホール大会で百田光雄と対戦。7分22秒、首固めでフォール勝ち。5月21日、青森産業会館大会で百田光雄と対戦。6分16秒、首固めにフォール負け。5月22日、函館市民体育館大会で川畑輝鎮と対戦。6分1秒、横入り式エビ固めに敗れた。5月26日、帯広市総合体育館大会で川畑輝鎮と対戦。6分21秒、首固めにフォール負け。5月28日、釧路コミュニティ体育館大会で百田光雄と対戦。7分11秒、首固めにフォール負け。5月29日、北見市立体育センター大会で百田光雄と対戦。7分7秒、逆さ押さえこみでフォール勝ち。6月1日、名寄市スポーツセンター大会で百田光雄と対戦。6分25秒、首固めにフォール負け。6月4日、札幌メディアパーク・スピカ大会で泉田純と対戦。6分31秒、ランニング・ボディプレスに敗れた。7月2日、ディファ有明大会で川畑輝鎮と対戦。6分3秒、首固めにフォール負け。7月3日、アクトシティ浜松大会で百田光雄と対戦。5分50秒、首固めにフォール負け。7月5日、福井市体育館大会で百田光雄と対戦。5分53秒、逆さ押さえこみでフォール勝ち。7月7日、ハイブ長岡大会で川畑輝鎮と対戦。6分34秒、横入り式エビ固めにフォール負け。7月8日、長野運動公園総合体育館大会で百田光雄と対戦。6分6秒、横入り式エビ固めにフォール負け。7月11日、高知県民体育館大会で百田光雄と対戦。6分34秒、首固めにフォール負け。7月12日、くにびきメッセ大会で川畑輝鎮と対戦。7分3秒、首固めにフォール負け。8月14日、Zepp Sendai大会で井上雅央と対戦。7分33秒、首固めにフォール負け。8月15日、湯沢市皆瀬総合支所前グラウンド大会で百田光雄と対戦。6分10秒、横入り式エビ固めにフォール負け。8月21日、酒田市営体育館大会で川畑輝鎮と対戦。6分56秒、首固めにフォール負け。9月6日、本渡市民センター大会で百田光雄と対戦。6分56秒、首固めにフォール負け。10月21日、広島・ウイングドーム大会で百田光雄と対戦。7分19秒、首固めにフォール負け。10月22日、徳島市立体育館大会で百田光雄と対戦。7分2秒、横入り式エビ固めでフォール勝ち。

2006

06年1月8日、ディファ有明大会で百田光雄と対戦。6分17秒、前方回転エビ固めにフォール負け。1月9日、ツインメッセ静岡大会で百田光雄と対戦。6分42秒、首固めにフォール負け。2月19日、京都・KBSホール大会で青柳政司と対戦。6分15秒、延髄斬りに敗れた。2月22日、広島県立総合体育館小体育館大会で百田光雄と対戦。6分45秒、首固めにフォール負け。2月23日、高松市総合体育館大会で百田光雄と対戦。6分4秒、横入り式回転エビ固めにフォール負け。2月25日、Zepp Nagoya大会で百田光雄と対戦。6分33秒、首固めにフォール負け。2月28日、埼玉・桂スタジオ大会で百田光雄と対戦。8分18秒、前方回転エビ固めにフォール負け。3月26日、スポーツセンターろくせい大会で引退試合。4月28日、帝国ホテルでの引退記念パーティーには大関の栃東、渡哲也、梅宮辰夫、馳浩衆議院議員ら約800人が集まった。引退後はノアの営業部長として活躍。

2008〜

08年4月、ノアの常務取締役に就任。6月11日、ラスベガス・リビエラホテル&カジノでのプロレスラーOB会「カリフラワー・アレイ・クラブ」総会に出席。ハーリー・レイスの推薦の結果、インターナショナル・アワードを受賞した。三沢の死後、 09年7月にノアが新体制に移行してからは相談役としてノアを支えた。 12年3月15日、宝島社から「内側から見たノアの崩壊」が発売。泉田による告白という体裁で、ノアの反社会的勢力との関係を暴露した内容が反響を呼んだ。3月23日、ノアの公式サイトが、反社会的勢力との交際を理由に仲田龍GMと永源の一般社員への降格を発表。実際には3月9日の取締役会で降格が決定されていたとの記載があった。 16年11月28日、午後4時30分ごろに都内のサウナで倒れ、急性心筋梗塞のため死去。
スクラップブック
デビューのきっかけ
――永源さんは、アントニオ猪木と豊登が1966年10月に旗揚げした東京プロレスでデビューしましたが、入団するキッカケというのは?
「ラッシャー木村さんのコネで入ったんですよ。大磯(武)と寺西(勇)と一緒に。3人とも相撲の立浪部屋にいたんだけど、立浪一門の宮城野部屋出身だった木村さんから声を掛けてもらったんです。それで伊東にあった東京プロレスの合宿所へ行ってね。他に相撲からは、大剛(鉄之助=二所ノ関部屋)と柴田(勝久=朝日山部屋)が東京プロレスに来ましたね」
――永源さんのデビューは10月12日、蔵前国技館での旗揚げ戦で、相手はその木村さんでした。
「まだ20歳だったし、緊張しましたよ。ヘッドバットでやり合って、木村さんが流血して・・・5分でやられたけど、忘れられない思い出ですよ」
(Gスピリッツ Vol.36より)
東スポWEBより(2016年11月29日 18時18分)
猪木氏が永源さん追悼コメント 1か月前に会食「本当に元気が良かった」
 28日に急死した永源遥さん(享年70)がプロレスラーのキャリアを始めたのは、1966年にアントニオ猪木氏(73=参議院議員)をエースとして旗揚げされた東京プロレスだった。
 猪木氏にとっては、いわば最初の“弟子”で50年の付き合いになる。猪木氏は「サウナの中で死んじゃったの? みんなしようがない。オレたちの仲間は体を酷使している。スポーツということ以上にね」と達観した様子で語った。
 永源さんは猪木氏が後に設立した新日本プロレスにも参加。「レスラーでも型破りの営業ができた。なかなかレスラーでもそんなにいない。当時の新日本の裏のほうでも動いてくれた。相撲時代のタニマチの関係もあった」。永源さんは“営業部員”としても実力は抜きん出ていたという。
 1976年12月に行われた新日プロのパキスタン遠征にも同行。猪木氏が地元の英雄アクラム・ペールワンの腕をへし折った伝説の一戦(同12月12日)にもセコンドとして“参戦”した。
 永源さんはその後、ジャパンプロレスに移籍し全日本プロレス、ノアと渡り歩いたが、猪木氏との“師弟関係”は続いた。1か月前にも会ったばかりといい「共通の友達がいて、何回か銀座でもメシを食った。本当に元気が良かったから、会うと昔の話になって『いや〜(あのころは)良かったですね』って言ってましたよ。謹んでご冥福をお祈りします」と故人をしのんだ。
日刊スポーツのWEBサイトより
([2016年11月30日9時24分 紙面から])
 28日に急死した元プロレスラー永源遥さん(享年70)の追悼セレモニーが12月2日のノア後楽園大会で行われる。ノアが29日、発表した。ともに戦ったレスラー仲間からは、死を惜しむ声が相次いだ。東京・成城警察署の検視によると、死因は急性心筋梗塞だった。
 永源さんの遺体は、この日午後に検視を行った成城警察署から、世田谷区の自宅に戻った。永源さんは28日にノア事務所で内田会長と話をした後、午後2時過ぎに退社。その後訪れたサウナで倒れ、帰らぬ人となった。死因は急性心筋梗塞だったという。
 内田会長は、事務所で会見し「昨日、普通に事務所で会話して、永源さんのプロレス人生をお聞きしたばかり。青天のへきれきで、頭の中は真っ白」と言葉を詰まらせながら語った。通夜、告別式の日程も決まっていないが、ノアとして12月2日の後楽園大会で、追悼セレモニーを行うことを急きょ決めた。当日は10カウントに黙とう、会場には献花台も設置する。
 突然の訃報に、戦友たちも言葉を失った。全日本では先輩に当たるグレート小鹿(74)は「ショックだよ。ノアの専務として営業で頑張っていたけど、三沢君が死んでから急に元気がなくなってね。お前が死んだらおれが葬儀委員長をやってやるなんて、冗談言って励ましたこともあったよ。それが本当になるなんて。オレより先に死ぬヤツがあるか」と語った。
 全日本の渕正信(62)は悪役商会のメンバーとして、ともにジャイアント馬場のファミリー軍団と戦った。「89年の後楽園大会で、ロープではねかえった永源さんが、馬場さんのチョップを受けてツバを飛ばしたんだ。それが、遠くまで飛んで、お客さんに受けて。永源さんのツバ攻撃は、敵じゃなくて観客席に飛ばした。それが名物になったんだよ」と昔を懐かしんだ。
 現役時代、サウナ仲間だったのはスタン・ハンセンさん(67)。米コロラドの自宅で訃報を聞き「永源さんは酒が飲めなくて、地方巡業では、試合後はオレと永源さんはいつもサウナだった。サウナ好きの永源さんが、サウナで死ぬなんて。これって因縁かな。寂しいよ」としみじみと話していた。