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レッド・バスチェン
RED BASTIEN


本名:ローランド・バスチェン
1932年2月19日
ノースダコタ州出身
183cm 110kg
タイトル歴:WWWF世界タッグ AWA世界タッグ IWA世界タッグ アメリカス・ヘビー
得意技:フライング・ヘッドシザース アトミックドロップ

サーカス団の一員であったが21歳の時にプロレス入り。身軽な空中殺法を披露した。60年代から異父兄のルー・バスチェンとのコンビで活躍。WWWF世界タッグ王座を獲得。68年9月に日本プロレスに初来日。71年5月、ヘラクレス・コーテッツと組んでAWA世界タッグ王座を獲得。しかしコーテッツが交通事故で死亡。9月に国際プロレスに来日。9月7日、大田区体育館大会での王座決定戦でビル・ハワードと組んでサンダー杉山ラッシャー木村組を破りIWA世界タッグ王座を獲得。9月14日、大阪府立体育会館大会でストロング小林のIWA世界ヘビー級王座に60分3本勝負で挑戦。互いに1本ずつ取り合い、3本目は時間切れ引き分けに終わった。9月20日、福岡の九電記念体育館大会で再戦。小林のブレーンバスター、バックドロップの前に2対1で敗れた。9月23日、諫早市体育館大会で杉山、木村組に敗れてタッグ王座から転落。75年1月に全日本プロレスに登場。その後は赤いマスクをかぶったマスクマンとなり、ロスでアメリカス・ヘビー級王座を獲得。77年11月にマスクマンのテキサス・レッドとして全日本プロレスに登場。デストロイヤーのパートナーとしてオープンタッグ選手権に出場。78年12月にWWFのMSG大会でテキサス・レッドとして猪木の格闘技世界王座に挑戦。ドロップキック、延髄斬りからのダブルアームスープレックスに敗れた。テキサス州ダラス地区のフリッツ・フォン・エリックの下でブッカーとしても活躍した。トレーナーとしてスティングアルティメット・ウォリアーをコーチした。引退後はプロレスOB会のカリフラワー・アレイ・クラブ(1965年設立)の第3代会長(初代はマイク・マザーキー。2代目はルー・テーズ)となった。

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