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レオ・ノメリーニ
LEO NOMELLINI


1924年6月19日
イタリア・ルッカ出身
192p 121kg
タイトル歴:NWA世界タッグ(サンフランシスコ版) AWA世界タッグ
得意技:フライングタックル

プロレスとプロフットボールの両方で活躍した強豪。3歳の時、一家そろってアメリカに移住。50年にアメフトのサンフランシスコ49ersに入団。ディフェンシブ・タックルで活躍した。51年、バーン・ガニアにスカウトされてプロレス入り。フットボールがオフシーズンの間、レスラーとして出場。レオ「ザ・ライオン」ノメリーニの異名で活躍。サンフランシスコ地区をホームリングとした。55年3月22日、サンフランシスコのカウパレスにおいてルー・テーズの連勝を936で止めた(反則勝ち)ことでも知られる。60年4月に日本プロレスに初来日。4月15日、東京体育館大会での第2回ワールドリーグ戦の初戦でサニー・マイヤースと8分3Rで対戦し、時間切れ引き分け。その後も力道山に引き分けるなど前評判通りの実力を発揮し、第2回ワールドリーグ戦の決勝に進出。決勝で力道山と対戦。1本目は8分58秒、タックルをクリーンヒットさせてフォール勝ち。2本目は力道山の空手チョップが火を噴いて1分11秒に敗れた。3本目は力道山の右腕を絞めあげて動きを止めたが、とどめのタックルを自爆して場外に転落し、5分27秒、リングアウト負け。結局、日本には1度しか来日しなかった。61年5月にウィルバー・スナイダーと組んでAWA世界タッグ王座を獲得。63年のシーズンが終わった後にNFLを引退。引退後はサンフランシスコに住んだ。84年5月13日、AWAのミネソタ州セントポール・シビックセンター大会でのAWA王者ジャンボ鶴田リック・マーテルとの試合でレフリーとして登場した(試合はマーテルの勝利)。 00年10月17日、カリフォルニア州のパロ・アルトの病院で心不全により死去。

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