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レイ・メンドーサ
RAY MENDOZA


本名:ホセ・レイモンド・ディアス・ベラスケス
1929年7月6日
メキシコシティ・テピート出身
170cm 94kg
タイトル歴:NWA世界ライトヘビー NWA世界ミドル UNヘビー アメリカスタッグ UWA世界ライトヘビー
得意技:タパティア(ロメロスペシャル)

通称「メキシコの鉄人」。ポロテ・デ・オロ(黄金の若馬)、インディオ・ロコとも言われた。10人兄弟の長男として生まれる。貧困家庭だったため小学校を辞め、7歳でパン屋で働く。15歳で結婚。ヒムナシオ・グロリアでボクサーのトレーニングを始め、アマで50戦、プロで35戦出場。中米各地でアマレスと柔術のトレーナーとして活躍していたエルフェン・ライ・カラスコの元でルチャ・リブレの修行を始める。54年(51年説あり)10月8日にペロン・チャト・ディアスの名でデビュー。ラヨ・ロホというマスクマンとして3ヶ月出場。その後、素顔に戻り、師匠のライ、妻の姓メンドーサを取り、ライ(日本ではなぜかレイと読まれた)・メンドーサに改名。59年11月、NWA世界ライトへビー級王座を獲得。同王座は合計6度も獲得し、長期間保持していた。70年にロスに進出。12月4日にロスでジョン・トロスを破りUNヘビー級王座を獲得。71年4月、日本プロレスに初来日。第13回ワールドリーグに参加したが大きな活躍はなかった。78年8月13日にメキシコシティ・パラシオ・デ・ロス・デポルテス(収容人数2万2千人の闘牛場)で藤波のWWWFジュニア王座に挑戦し、3本勝負のうち1本を取ったが回転足折り固めで敗れた。81年9月、パラシオ・デ・ロス・デポルテスでプロマーシャルアーツのジ・エイプマンと異種格闘技戦で対戦。5ラウンドにKO勝ち。ロス・ビジャノス(ビジャノ1〜5号)の父親でもある。83年9月16日にセミリタイア。03年4月16日、アルツハイマーによる衰弱のため死去。享年73。
「元々、メンドーサは私が手掛けていたコリセオでのボクシング興行にプロボクサーとして出ていたんですよ。しかし、身体が大きくて見合う相手がいなかったため、ルチャドールに転向させて成功しました。当初はルードだったものの、彼にはヤキ族の濃い血が流れており、インディオらしい純朴な笑顔や優しい人柄がファンに愛されました。ただ、怪我が多い選手でしたね。それだけムチャな試合をしていたということです(苦笑)」(GスピリッツVol.37。元EMLL代表のサルバドール・ルテロ・カモウのインタビューより)

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