通称フレイト・トレイン(蒸気機関車)。直線的なファイトスタイルでパンチ攻撃を得意とした。高校、大学時代はフットボールで活躍。69年にデビュー。バスター・ロイドの名で日本プロレスに初来日。72年12月、全日本プロレスにルーファス・ジョーンズの名で登場。ブッチャーやボボ・ブラジルのタッグパートナーとして活躍。74年の第2回チャンピオンカーニバルでは、1回戦でサムソン・クツワダに敗れている。アメリカでは、ノース・カロライナとカンサスの両地区を主戦場に長く中堅選手として活躍。甥のマーク・ラギンとタッグチームを組んでいたこともある。83年8月5日、バージニア州リッチモンドでミッドアトランティック・ヘビー級王座を獲得。87年5月にセントラルステーツ・ヘビー級王座を獲得。引退後はレストランのオーナーとなった。93年11月、カンサス地区でハンティング中に心臓麻痺を起こして死去。
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