ダークロHP / レスラーノート

ムース・モロウスキー
MOOSE MOROWSKI


本名:スタン・マイキートビッチ
1935年7月6日
カナダ・マニトバ州ウイニペッグ出身
193cm 128kg
タイトル歴:マディソン・レスリング・クラブ・ヘビー マディソン・レスリング・クラブ・タッグ NWAオーストラシアンヘビー カナディアン・ヘビー カナディアン・タッグ
得意技:ドリル・アホール・パイルドライバー

54年9月2日、マニトバ州ウィニペグのマディソン・レスリング・クラブでのジョン・デパウロ戦でデビュー。スタン・マイキートビッチの名でウィニペグで活躍。57年から65年にかけてマディソン・レスリング・クラブ・タッグ王座を6度獲得。63年1月22日、ウィニペグでマディソン・レスリング・クラブ・ヘビー級王座を獲得。65年9月14日にも同王座を獲得している。67年にマディソン・レスリング・クラブは崩壊。68年からカルガリーのスタンピード・レスリングに登場。スタン・ザ・ムースの名でファイトしていた。69年7月、その名で国際プロレスに初来日。その後、日本では覆面をつけてドクター・デスとして活躍。70年10月8日、大阪府立体育会館大会でラッシャー木村と日本初の金網デスマッチを行った。17分22秒、KO負けに終わった。71年4月20日、サンダー杉山を相手に金網デスマッチで対戦。40分18秒、KO負け。4月24日、大阪府立体育会館大会で杉山と金網デスマッチで再戦。26分19秒、体固めに敗れた。5月6日、新潟市体育館大会でラッシャー木村と金網デスマッチで再戦。31分20秒、逆エビ固めに敗れた。72年12月からムース・モロウスキーとして全日本プロレスに参加。 73年3月、全日本プロレスの第1回チャンピオンカーニバルに参戦。3月30日、後楽園ホール大会での1回戦で大熊元司と対戦。12分17秒、アトミックドロップで勝利。4月7日、鹿児島県立体育館大会での2回戦でキング・イヤウケアと対戦。12分27秒、フライングボディプレスに敗れた。10月6日、後楽園ホール大会で鶴田友美の国内デビュー戦の対戦相手として出場。12分53秒、ダブルアームスープレックスに敗れた。素顔で4度全日本プロレスに参戦した後、74年9月から覆面をつけてジ・アベンジャーとして活躍。10月5日、日大講堂大会でザ・デストロイヤーの覆面世界一決定十番勝負の第3戦の対戦相手のジ・アベンジャーとして出場。1本目は9分15秒、回転エビ固めにフォール負け。2本目は2分44秒、ブレーンバスターで勝利。3本目は7分14秒、足4の字固めに敗れた。75年8月2日、メルボルンでNWAオーストラシアンヘビー級王座を獲得。77年8月22日、バンクーバーでテキサス・アウトローと組んでカナディアンタッグ王座を獲得。10月3日、バンクーバーでマイク・シャープと組んでカナディアンタッグ王座を獲得。78年1月25日、バンクーバーでドン・ウェイトと組んでカナディアンタッグ王座を獲得。81年3月、全日本プロレスの第9回チャンピオンカーニバルにジ・アベンジャーとして参戦。4月10日、広島県立体育館大会でジャイアント馬場と対戦。場外でのキラー・ブルックスの凶器攻撃の結果、4分38秒、リングアウト勝ち。大金星を挙げた。リーグ戦は5勝8敗で勝ち点10の8位に終わった。82年11月15日、カナダ・バンクーバーでカナディアンヘビー級王座を獲得。94年に引退。16年9月10日、肝不全のため死去。

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