レスラーノート

ミッシング・リンク

MISSING LINK

本名:バイロン・ロバートソン
1939年2月28日
カナダ・オンタリオ州ハミルトン出身
189cm 116kg

タイトル歴
インターナショナル・タッグ
セントラルステーツヘビー
カナディアン・ヘビー
得意技
フライングヘッドバット
アトミックドロップ

65年(61年説あり)にホイッパー・ビリー・ワトソンのコーチを受けてデビュー。デビュー当初はデューイ・ロバートソンの名で、カナダ・トロント地区で怪力派のベビーフェイスとして活躍した。トレーニングジム経営もしていた。その後、白覆面のクルセイダー2号に変身。1号(ビリー・レッド・ライオン)とのクイックタッチの妙技で活躍。カナダ・バンクーバー地区を中心に活動し、インターナショナル・タッグ王座を獲得した。77年1月、クルセイダー2号として1号と共に全日本プロレスに登場。1月22日、津市体育館大会で高千穂サムソン・クツワダ組のアジアタッグ王座に挑戦。1本目は1号が足4の字固めでクツワダに勝利。2本目は高千穂のネックブリーカードロップに1号が敗れた。勝負をかけた3本目は高千穂のコブラツイストに2号が敗れた。79年9月9日にはトロントでのトーナメント決勝でグレッグ・バレンタインを破り、NWAカナディアン・ヘビー級王座を獲得。83年2月と5月にセントラルステーツヘビー級王座を獲得。83年7月ごろにテキサスで(MSWA地区とする説もある)、原始怪人、ミッシング・リンクに変身。奇妙なヘアースタイルと顔のペイントが特徴。スカンドル・アクバをマネージャーにテキサスWCCWで活躍後、85年にフロリダでパーシー・プリングル3世(後のポール・ベアラー)をマネージャーに活躍。5月ごろにWWFに登場。86年からテキサスWCCWで活躍。87年にUWF(元MSWA)やフロリダで活躍。93年にガンのため腎臓を摘出。95年にWARに登場した。97年に58歳で引退。その後も時おりインディ団体に出場した。07年8月16日、カナダ・オンタリオ州ハミルトンの病院で、ガンのため死去。