レスラーノート

アイアン・シーク

IRON SHEIK
本名:ハッサン・コシロ・バジリ
1943年3月15日(1938年説あり)
イラン・テヘラン出身
185p 108kg

タイトル歴
WWF世界ヘビー
WWF世界タッグ
カナディアン・ヘビー
得意技
キャメルクラッチ

イランではアマレスの強豪として活躍。70年にアメリカに亡命。71年にAAUのグレコローマンの180.5ポンド級に出場し、優勝。72年、ミュンヘンオリンピックのレスリングのアシスタントコーチになる。オリンピック後、バーン・ガニアにスカウトされて69年にプロレス入り。デビュー当初はコシロ・バジリというリングネームだった。74年4月、新日本プロレスに初来日。第1回ワールドリーグ戦に参戦し、3勝5敗の成績に終わった。76年5月、全日本プロレスに登場。 79年にグレート・ハッサン・ザ・アラブに改名しWWFに登場。12月17日、マジソン・スクエアガーデンでNWF王者のアントニオ猪木に挑戦。14分59秒、延髄斬りに敗れた。その後、ビル・ワットのミッドサウス・レスリングでアイアン・シークと改名。 80年5月25日、カナダ・オンタリオ州トロントでグレート・ハッサン・ザ・アラブとしてカナディアン・ヘビー級王座を獲得。7月20日、トロントでアンジェロ・モスカに敗れて王座転落。8月10日、トロントで王座奪回。12月28日、トロントでアンジェロ・モスカに敗れて王座転落。 82年3月、新日本プロレスの第5回MSGシリーズに参戦。1勝12敗に終わった。83年にWWFに再び登場。同年12月26日、キャメルクラッチでボブ・バックランドからWWF世界ヘビー級王座を奪取した。ホーガンとも長らく抗争を展開し、MSGのヒールとして活躍した。84年1月23日にハルク・ホーガンに敗れてWWF王座を失った。85年3月31日、第1回レッスルマニアでニコリ・ボルコフと組んでバリー・ウインダムマイク・ロトンド組のWWFタッグ王座に挑戦。シークが凶器攻撃を背後から決めて、ボルコフがバリーにフォール勝ち。WWFタッグ王座を獲得した。87年に麻薬不法所持のためWWFを解雇。ダラスのWCCWやプエルトリコのWWCなどを転戦。91年にWWFに復帰。92年にWWFを離脱。同年10月23日、日本武道館でのUWFインターの格闘技世界一決定戦に来日し、安生洋二と対戦。UWFスタイルに対応しきれず、4分54秒、レッグロックに敗れた。01年4月1日、テキサス州ヒューストンのアストロドームで行われたWWFのレッスルマニア17で、18人参加のギミック・バトルロイヤルに出場。試合よりも入場シーンが面白い、レトロ選手が集うこの試合。最後の相手、サージェント・スローターをリング外へ投げ出し、見事アイアン・シークが優勝した。