ダークロHP / レスラーノート

ポール・ダイヤモンド
PAUL DIAMOND


本名:トーマス・ボリス
1961年(60年5月11日説あり)
クロアチア出身
183cm 110kg
タイトル歴:テキサス・オールスター・タッグ サザン・タッグ AWA世界タッグ
得意技:フライングボディプレス

74年に家族と共にカナダのウィニペッグに移住。80年にNASL(北米サッカーリーグ)のカルガリー・ブーマーズにゴールキーパーとして入団。82年から84年の間、タンパベイ・ラウディーズで活躍。84年にNASLが消滅すると、グリーンカードを所得してフロリダのマレンコ道場に入門。85年、テキサス州サンアントニオでショーン・マイケルズとアメリカン・フォースを結成。9月1日、テキサス・オールスター・タッグ王座を獲得。テキサスでは当時遠征していた川田冬木のジャパニーズ・フォースと対戦した。86年10月、全日本プロレスに初来日。その後、メンフィスのCWAでパット・タナカと組んでバッド・カンパニーを結成。87年8月にCWAでサザン・タッグ王座を獲得した。CWAはAWAと提携していたため、AWAにも進出。88年3月19日、パット・タナカと組みAWA世界タッグ王座を獲得。25日にケン・パテラブラッド・レイガンス組に敗れ王座陥落。その後、タナカは佐藤昭雄と組んだためバッドカンパニーは解散。タナカと佐藤はオリエンタル・エクスプレスとしてWWFに進出した。89年10月1日、グレッグ・ガニアと組んでAWAタッグ王座決定トーナメントの決勝戦に出場。マイク・イーノス、ウェイン・ブルーム組と対戦し敗れる。ポール自身もAWAの崩壊後にWWFに進出。マスクマンのカトーに変身し、タナカと共にオリエンタル・エクスプレスのチーム名で活躍。91年10月28日、SWSの長崎国際体育館大会でパット・タナカと組んで冬木北原組と対戦。13分6秒、ダイヤモンドがフェイスバスターで北原で勝利。10月29日、SWSの福岡国際センター大会でパット・タナカと組んで佐野、折原組と対戦。11分53秒、ダイヤモンドがフェイスバスターで折原で勝利。10月30日、SWSの熊本市体育館大会でウォーロードと組んで高野俊二、佐野組と対戦。13分57秒、高野のダイビングダブルニードロップにダイヤモンドが敗れた。タナカのWWF離脱後、一時は素顔に戻った。92年7月からWWFでマックス・ムーンとして活躍。WWFでのデビュー戦の相手はバリー・フォロウィッツ。手首に装着されたバズーカ砲(花火)を打ち上げながら入場するシーンが最大の見せ場だった。水色のコスチュームを着て覆面をかぶり、ルチャリブレ殺法を主体にして子供ファンの獲得に貢献。しかし92年暮れにWWFを解雇される。93年6月、新日本プロレスに登場。94年にマックス・ムーンとしても来日。その後ポール・ダイヤモンドとしてECWなどのインディー団体に参戦。99年にショーン・マイケルズのレスリングスクールで教官になるが、財政難からスクールは閉校。ウィニペッグに戻りレスリングスクールを開校した。その後、アラバマ州ハンツビルでインディー団体RCW(Rocket City Wrestling)の旗揚げに協力(オーナーはRay Aikens)。

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