ダークロHP / レスラーノート

フレッド・ブラッシー
FRED BLASSIE


本名:フレッディ・マクダニエル
1918年2月8日
ミズーリ州セントルイス出身
183p 105s
タイトル歴:WWAヘビー ジョージア・ヘビー
得意技:ネックブリーカー 噛みつき攻撃

「銀髪鬼」「噛みつき魔」の異名をとった悪役レスラー。セントルイス大学卒業後(中退説あり)、プロボクサーになる。その後、ジョージ・トラゴスのジムに入り、47年にプロレス入り。デビュー当初は正統派レスラーだったが59年のロサンゼルス転戦を機にヒールに転向。噛み付き攻撃を武器にするようになった。ヤスリで前歯を研ぐパフォーマンスが有名になる。このヤスリは女性が爪を研ぐための目の細かいタイプの物だった。前歯は差し歯だった。61年、ロサンゼルスに設立されたWWAの初代王者となる。62年3月、力道山にタイトルを奪われる。奪回を期して同年4月に初来日。TV中継を見た老人がブラッシーの噛みつき攻撃を見てショック死する事件が起きた。4月23日、東京体育館大会で力道山のWWA王座に挑戦。1本目は13分3秒、ネックブリーカーで勝利。2本目は5分3秒、空手チョップをくらってフォール負け。3本目は32分24秒、タックルをくらってフォール負けし、王座奪回に失敗した。7月にロスで力道山を破りタイトル奪回。64年の2月と3月には馬場の挑戦を反則がらみで退けている。日本プロレスには通算5度来日。全日本プロレスには通算2度来日。日本遠征中に日本人女性ミヤコさんと知り合い、68年9月30日に結婚。ロスでは「ザ・ゴールデン・グリーク」ジョン・トロスと大抗争を展開。70年11月13日、アトランタでジョージア・ヘビー級王座を獲得。71年5月、試合後のファン投票での表彰中にトロスにパウダーを投げつけられ、「失明」。5月31日、日本プロレスの札幌中島スポーツセンター大会でアントニオ猪木のUN王座に挑戦。1本目は14分20秒、反則負け。2本目は3分15秒、コブラツイストに敗れた。8月27日、トロスとの決着戦として、ロサンゼルス・コロシアムに2万5847人もの観衆を集めて対戦。当時のカリフォルニアの興行新記録を更新。その試合ではトロスを大流血させてレフリーストップで勝利した。74年8月に新日本プロレスに来日し、猪木と対戦。引退後はWWFで多くの悪役レスラーのマネージャーを務めた。76年のアリ対猪木戦ではアリのマネジャーとして来日。無名だったテリー・ブルドーをハルク・ホーガンに変身させて売り出した。スタン・ハンセンの得意技ウエタン・ラリアットの命名者もブラッシーだった。その後WWFのチャリティ担当役員に。03年4月に自伝を発売。5月12日にはWWEのロウ大会にゲスト出演。直後の24日に自宅で倒れて入院。6月2日にニューヨーク郊外の病院で死去。「とにかく偉大な人でした。ニューヨークに行ったときには家に呼ばれて食事をさせてもらった。日本人をひいきにしてくれる人で、私もプッシュしていただいたおかげでニューヨークでジュニアの王者(WWF)になれた。あの活躍があったから今の私がある。本当に感謝しています」(藤波・談。追悼コメントより)

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