レスラーノート

ブラックタイガー(初代)

BLACK TIGER

本名:ジム・ハジー・ジュニア
1953年
イギリス・マンチェスター出身
178cm 95kg

通称
ローラーボール
暗闇の虎
タイトル歴
英国ヘビーミドル
世界ミドル
WWFジュニア
世界ヘビーミドル
得意技
ツームストンパイルドライバー

正体は国際プロレスに来日経験のあるローラーボール・マーク・ロコ。父はレスラーのジム・ハッシー(68年に国際プロレスに来日)。マンチェスターにあった父のジムで、レスラーのコーリン・ジョイソンの指導を受けた。70年2月25日、ヤードレーでコーリン・ジョイソンを相手にデビュー。デビュー当時はジム・ハッシー・ジュニアを名のり、日本でも最初はこのリングネームで紹介されていた。75年製作の映画「ローラーボール」のスタントマンをしたことがきっかけて「ローラーボール」と呼ばれるようになった。77年5月から、デビュー間もないダイナマイト・キッドとの抗争が開始。79年9月、カール・ゴッチのブッキングで国際プロレスに初来日。阿修羅原へのWWUからの刺客としての来日だった。9月28日、川崎市体育館で阿修羅原と対戦。ラフファイトやイギリス仕込みのテクニックで原を圧倒。3本勝負のこの試合、1本目はツームストン・パイルドライバーでロッコが勝利。2本目はロープ越しの回転エビ固めで原が勝利。3本目は原のバックドロップをロッコがロープを蹴ってカット。両者立てずにカウントアウトとなって引分けに終わった。この試合で日本でも高い評価を受ける。80年10月9日、イギリス遠征していたサミー・リー(佐山聡)とブリストルで初対戦。サミー・リーと抗争し、シングル戦は30試合以上行われた。81年6月18日、初代の世界ヘビーミドル級王者となった。 82年4月21日、ブラックタイガーとして新日本プロレスの蔵前国技館大会に初登場。タイガーマスクのWWFジュニア王座に挑戦。両者リングアウトに終わった。これがタイガーマスクの初のドロー防衛。その後もタイガーマスクのライバルとして抗争を展開した。その後、タイガーマスクが負傷により王座返上。5月6日、福岡スポーツセンター大会でグラン浜田を破りWWFジュニア王座を獲得。5月26日、大阪府立体育会館大会でタイガーマスクを相手に防衛戦。14分15秒、ラウンディングボディプレスに敗れて王座転落。8月29日、田園コロシアム大会でタイガーマスクのWWFジュニア王座に挑戦。雪崩式ブレーンバスターで優位に立ち、場外でツームストンパイルドライバーを狙ったが、タイガーに体を入れ替えられ、逆にツームストンパイルドライバーをくらってしまい、18分3秒にリングアウト負け。初代タイガーとのシングル通算対戦成績は4敗1引き分け。86年8月29日、後楽園ホール大会で高田のIWGPジュニア王座に挑戦。17分4秒、ドラゴンスープレックスに敗れた。87年8月、素顔のマーク・ロコとして新日本プロレスに来日。89年7月12日、大阪府立体育会館大会でライガーのIWGPジュニア王座に3分10ラウンドで挑戦。5R2分53秒、エビ固めにフォール負け。91年2月、クロイドンでの試合後に呼吸困難になり入院。心臓肥大に加えて肺にも欠陥が見つかり5月に手術し、セミリタイア。同年、デーブ・フィンレーを相手に引退試合。引退後は実業家として成功を収めた。スペイン領カナリア諸島のテネリフェ島の高級住宅に住んだ。16年12月2日、大阪市立城東区民センターでの元新日本プロレス取締役の上井文彦のプロデュース興行に来日。ブラックタイガーのマスクを被り、新間寿、初代タイガーマスクと共にリングに立ってファンに挨拶した。20年7月31日、死去。
スクラップブック
マーク・ロコとは、イギリス時代から何試合もやっていました。ただ、イギリスでのラウンド制のときはあまり感じなかったんですけど、日本でやるようになってから、すごくしつこいなと思いましたね。バテないで、ちょこまか、ちょこまかと、いいかげんにしろよって思うぐらいに技が細かいんですよね。本当に梅雨空みたいな感じで(笑)。ダイナマイトとは対戦していて気持ちいいなぁていう感じでしたけど、ブラックはなんかイヤな感じでした。ストンピング一つにしても、ダイナマイトはパーン、パーンっていう感じだったけど、アイツはちょこちょこ、ちょこちょこと蹴ってきてね。だから、こっちが反撃するチャンスがないというか、反撃する隙をつくらないんですよね。イギリスでのラウンド制のときは、ダイナマイトみたいに思いっきりがいい感じだったんですよ。でも、日本ではラウンド制じゃないし、実際はどうなのかわからないですけど、もしかしたらバテると思ったから細かく試合を組み立ててきていたのかもしれないですね。ただ、イギリスでずっと対戦していたので、相手として難しくはなかったですね。手の内がわかっていますからね。急所蹴りなど荒っぽさもありましたけど、イギリスではヒールで、そういう攻撃は向こうでもやっていたことでした。とにかく、いっぱい引き出しを持っていて、試合もよかった。いいライバルでいてくれたと思います。悪どい感じでヒールファイトと思われがちですけど、ボクにとってはしつこいというイメージでしたね。ちなみにいまかれは、スペインで実業家らしいです。(週刊プロレスNo.1516 タイガーマスクのインタビューより)