レスラーノート

ブラックキャット

本名:ビクトル・マヌエル・マル
1954年10月17日
メキシコシティー出身
180cm 100kg
血液型:O型

タイトル歴
ナウカルバン・タッグ
ナショナル・ジュニア
メキシコ州タッグ
得意技
DDT

77年、メキシコでクロネコのリングネームでデビュー。79年8月29日、アレナ・ナウカルパンでロカンボレ(後のビジャノ5号)と組んで王座決定トーナメントの決勝でグラン浜田、ブラック・テリー組を破りメキシコ州タッグ王座を獲得。UWA代表F・フローレスの勧めで81年4月、新日本プロレスへ留学。4月21日、栃木・小山ゆうえんちスケートセンター大会での星野勘太郎と組んでの木戸修永源遥戦で日本デビュー。 81年6月24日、蔵前国技館大会で藤波と対戦。実力差は歴然。ドロップキックで場外転落してドラゴンロケットをくらってしまい、4分39秒、リングに戻ろうとするところをロープ越しのブレーンバスターを決められて敗れた。 90年9月14日、広島サンプラザ大会で松田納と対戦。16分19秒、飛びつき後方回転エビ固めにフォール負け。 92年1月4日、東京ドーム大会の第1試合で山本広吉と対戦。10分28秒、コーナー2段目からの雪崩式DDTで勝利。9月23日、横浜アリーナ大会でヒロ斉藤と対戦。10分49秒、サムソンクラッチをエビ固めに押しつぶされてフォール負け。10月18日、幕張メッセ大会で金本浩二と対戦。12分37秒、セントーンで勝利。 93年9月20日、愛知県体育館大会でジェイク・ロバーツと対戦。5分、DDTに敗れた。 94年1月4日、東京ドーム大会に出場。ブルータス・ビーフケーキと対戦。8分6秒、ジャンピング・ニーアタックに敗れた。2月にメキシコへ渡りルードとしてAAAマットで暴れた。同年6月にマスクマンとして帰国したが、 95年2月8日、仙台市体育館大会で石沢常光と対戦。8分26秒、サソリ固めで勝利。9月より素顔に戻る。12月13日、無我の博多スターレーン大会でアレン・サルバンと対戦。13分24秒、サソリ固めで勝利。 97年7月6日、真駒内アイスアリーナ大会で吉江豊と対戦。10分56秒、腕ひしぎ十字固めに敗れた。 98年1月には米国WCWマットに参戦した。その後は新日本プロレスで若手のコーチ役を務める。練習や試合において若手の手本、あるいは壁となり奮闘。02年に引退。03年からはレフリーに転向。メキシコとの交渉役としても活躍した。11月28日、急性心不全のため死去。