レスラーノート

ブライアン・アダムス

BRIAN ADAMS

1964年1月31日
ハワイ州コナ出身
200cm 133kg
タイトル歴
WCW世界タッグ
世界タッグ(全日本プロレス)
PNWヘビー
得意技
オクラホマ・スタンピート
プレススラム

生後間もなく一家揃ってハワイへ移住。米国空軍に入隊し、82年から86年にかけて日本の横田基地に配属された。除隊後、練習生として新日本プロレスに入門。新日本プロレスではビザの関係でデビューはしていない。帰国後の87年にオレゴンのパシフィック・ノースウェスト(PNW)地区でデビュー。アメリカン・ニンジャのリング名で活躍。88年2月にはミッドナイト・ソルジャーなるマスクマンに変身して新日プロレスに逆上陸。 89年1月に全日本プロレスに登場。 90年4月21日、PNWヘビー級王座を獲得。5月12日、スコット・ノートンに敗れて王座転落。その後、WWFに登場。3人目のデモリッション、クラッシュ・デモリッションに変身し、デモリッションズの一員となる。アックス・デモリッションが抜けてからはスマッシュ・デモリッションとのコンビで活躍。 91年3月30日、SWSの東京ドーム大会にクラッシュ・デモリッションとして登場。スマッシュ・デモリッションと組んで高野俊二仲野信市組と対戦。5分22秒、スマッシュが仲野に勝利した。同年にWWFを離脱。PNWにクラッシュ・デモリッションとして登場。10月12日、PNWヘビー級王座を獲得。 92年1月18日、ロン・ハリスに敗れて王座転落。その後、WWFに復帰。4月より、スマッシュがリポマンに変身したことにより、クラッシュと改名。 94年3月20日、レッスルマニアでランディ・サベージとフォールズ・カウント・エニウェアマッチで対戦。3カウントを取られたら60秒以内にリングに戻らないといけないこの試合、入場時にサベージに急襲されるがパワーで圧倒し、リフトアップから鉄柵にサベージの首を落としてカウント3。サベージはなんとかリングに戻り試合再開。サベージはダイビングエルボーからクラッシュをリングに落としてカウント3。クラッシュはなんとかリングに復帰。場外戦でのパイルドライバーはサベージに返されて、バックステージでのドアに叩きつけられ、カウント3。9分49秒、バックステージでロープで逆さ吊りされてリングに戻ることができずに敗れた。 95年にステロイド、マリファナ、拳銃の不法所持で現行犯逮捕され、WWFを解雇される。 97年よりWWFでDOAなる軍団を結成し、チームリーダーとして活躍。その後WCWに登場。本名に戻りブライアン・クラークとのコンビで「クロニック」を結成。5月にWCW世界タッグ王座を獲得。 98年6月に蝶野らのNWOジャパンに参加。 01年9月23日、PPV「アンフォーギブン」でブライアン・クラークと組んでアンダーテイカー、ケイン組のWCW世界タッグ王座に挑戦。10分22秒、アンダーテイカーのチョークスラムにクラークが敗れた。 02年7月17日、全日本プロレスの大阪府立体育会館大会でブライアン・クラークと組んで武藤敬司、太陽ケア組の世界タッグ王座に挑戦。14分59秒、クラークがメルトダウン(変型アバランシュホールド)で武藤に勝利。世界タッグ王座を獲得した。8月30日、日本武道館大会でマイク・バートン、ジム・スティール組を相手にタッグ王座の防衛戦。17分25秒、合体チョークスラムを決めてクラークがスティールにフォール勝ち。 03年1月19日、東京ドームでの「WRESTLE−1 」でクラークと組んで武藤敬司ゴールドバーグ組と対戦。クラークと共に動きにキレがなく凡戦となった。17分56秒、ゴールドバーグのジャック・ハマーにクラークが敗れた。同年に首の故障により引退。 07年8月13日フロリダ州タンパの自宅で薬物の過剰摂取のため死去。享年44。