レスラーノート

藤原喜明

1949年4月27日
岩手県和賀郡江釣子村出身出身
186cm 102kg

通称
関節技の鬼
タイトル歴
IWGPタッグ
NWAインターコンチネンタルタッグ
世界ブラスナックルタッグ
得意技
ワキ固め
アキレス腱固め
ヘッドバット

師・ゴッチ仕込みのテクニックには定評があり「関節技の鬼」の異名を持つ。私生活でも芸達者で、尺八、盆栽、イラスト、陶芸などをたしなむ。少年時代は柔道、剣道に熱中。高校卒業後は、横浜に就職。サラリーマンや中華料理のコック見習い、板前などを経験した。その間、元レスラーの金子武雄が経営する横浜のスカイ・ボディビル・ジムでトレーニングをした。ジムの同期には国際プロレス入りする米山勉がいた。米山とはその後も親交があり、藤原が会津若松に行くと、米山の経営するちゃんこ料理屋に必ず顔を出すという。 72年11月2日に新日本プロレス入門。10日後の11月12日、和歌山県白浜町坂口会館の藤波辰巳戦でデビュー。ブラジルの柔術のエキスパート、イワン・ゴメスが来日していた頃は、積極的にスパーリング・パートナーを買ってでて、巡業中の試合前にも関節をとりあっていた。 75年12月、第2回カール・ゴッチ杯で木村たかし(健悟)を破り優勝。 76年8月に西ドイツに海外遠征し、カイザー派のトーナメントに参加。猪木の付き人となり、異種格闘技戦のためのスパーリング・パートナーを務め、海外遠征にも帯同した。アメリカ遠征では試合を行わず、フロリダのカール・ゴッチ道場で特訓を積み重ねた。長年、地味な脇役として活躍していた。

1984

84年2月3日、札幌で試合前の長州を襲撃し「テロリスト」として一躍、脚光を浴びる。この襲撃は猪木のアイデアだった。猪木の考えでは誰に襲わせてもよかったが、ミスター高橋が藤原を勧めたとのこと。以降、道場で使っているような関節技中心のファイトスタイルで人気を獲得。4月17日、UWFの蔵前国技館大会で前田明と対戦。序盤にグラウンドの展開を続け、試合後に「4度、完全に決められた」と前田に言わしめた。藤原の平手打ちから殴りあいに発展し、場外で鉄柱にたたきつけられて流血しながらも頭突きを連発。10分37秒、両者フェンスアウトに終わったが、10分間の延長戦に突入。前田のジャーマンスープレックスを返し、2発目のジャーマンを足をからめて防いだが、両者が後頭部を痛打。3分34秒、カウントアウトの引き分けに終わった。6月にUWFに参加。UWF公式リーグ戦は、第1回、第2回共に優勝。UWFでは関節技がさえ渡り、独自の魅力を全開させた。UWF崩壊後は新日本プロレスに復帰。

1987

87年9月に山崎一夫と組んで前田、高田組を破り、IWGPタッグ王座を獲得。

1988

88年7月29日、有明コロシアム大会でドン・中矢・ニールセンと異種格闘技戦で対戦。5R1分46秒、TKO負け。

1989

89年に新生UWFに参加。11月29日、東京ドーム大会でディック・フライと対戦。キックボクシングのパンツを履いて戦い、2R37秒、スタンディング式アキレス腱固めで勝利。

1991

91年2月4日、浅草ビューホテルで会見を開き、藤原組の設立を発表。3月4日、後楽園ホールで旗揚げ戦。ジョニー・バレットと対戦。7分12秒、アキレス腱固めで勝利した。4月1日、SWSの神戸ワールド記念ホール大会で新倉史裕と対戦。9分42秒、足絡み腕固めで勝利。藤原組では船木誠勝鈴木みのるがエースとして活躍。7月26日、東京ベイNKホール大会で船木と対戦。4度のダウンを奪われて劣勢だったが、12分4秒、腹固め(うつぶせになった相手の右腕を足で決める)で勝利。11月3日、浜松市体育館大会で鈴木みのると対戦。腕ひしぎ逆十字固めを決められロープエスケープ。その後も劣勢だったが、30分時間切れ引き分けに終わった。12月12日、SWSの東京ドーム大会で維新力と対戦。11分12秒、足掛け腕固めで勝利。

1992

92年5月15日、大阪府立体育会館のメインでドン・中矢・ニールセンと異種格闘技戦で再戦。ハイキックをくらって瞼の上部を切り、1R1分7秒、TKO負け。10月4日には東京ドーム大会を開催した。

1993

93年1月に藤原組から船木、鈴木らが離脱してパンクラスを結成したが、藤原組は存続。5月3日、新日本プロレスの福岡ドーム大会に出場し、馳浩と対戦。12分11秒、ワキ固めで勝利した。

1994

94年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会で長州と対戦。9分4秒、ラリアットに敗れた。6月1日、新日本プロレスの仙台市体育館大会で橋本真也のIWGPヘビー級王座に挑戦。12分15秒、ジャンピングDDTに敗れた。

1995

95年3月19日、新日本プロレスの愛知県体育館大会でアントニオ猪木と対戦。18分5秒、延髄斬りからナックルパートの連打をくらってフォール負け。7月5日、FMWの札幌中島体育センター別館大会で池田と組んで大矢リッキー・フジ組の世界ブラスナックルタッグ王座に挑戦。12分33秒、藤原がワキ固めでリッキーに勝利。世界ブラスナックルタッグ王座を獲得した。11月19日、横浜文化体育館大会を最後に石川雄規ら8選手が藤原組を卒業し、バトラーツを結成。藤原を除く全レスラーが離脱したため、藤原組は団体としての活動を終えた。以後はフリーとして現役を継続。

1996

96年5月27日、UWFインターナショナルの日本武道館大会で高田延彦と対戦。9分46秒、KO負け。11月22日、リングスの大阪城国際文化スポーツホール大会で前田日明と対戦。10分55秒、裸絞めに敗れた。12月1日、代々木競技場第二体育館での「INOKI FESTIVAL」で仲野信市と対戦。8分50秒、スリーパーホールドで勝利。

1997

97年12月23日、後楽園ホールでの力道山OB会主催興業に出場し、福田雅一と対戦。9分43秒、ワキ固めで勝利。

1998

98年1月20日、バトラーツ後楽園ホール大会で日高郁人と対戦。8分9秒、Vクロスアームロック(ケサ固めから腕を極める)で勝利。

2000

00年12月、ダニー・クロファットと組んで全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグ戦に出場。1勝6敗に終わった。12月31日、大阪ドームでの「INOKI BOM−BA−YE」でジャスティン・マッコリーと対戦。10分10秒、腹固めで勝利。

2001

01年6月14日、ZERO−ONEの大阪城ホール大会で小川直也と対戦。6分48秒、5発目のSTOをくらって立ちあがれずKO負け。9月8日、ZERO−ONEのZEPP TOKYO大会で橋本真也と対戦。9分55秒にキックをくらって敗れた。

2002

02年3月2日、ZERO−ONEの両国国技館大会で佐藤耕平と対戦。11分26秒、後頭部へのキックをくらってKO負け。

2003

03年7月にはZERO−ONEの火祭りに出場。

2004

04年6月17日、宮城県スポーツセンター大会で橋本と組んで大森越中組を破りNWAインターコンチネンタルタッグ王座を獲得。7月9日、後楽園ホール大会で田中将斗、黒田哲広組を相手に金網マッチでの防衛戦。14分48秒、橋本が腕固めで田中に勝利。8月31日、岩手県営体育館大会で大谷、大森組を相手に防衛戦。16分30秒、大谷のキングコブラホールドに藤原がフォール負けして王座転落。

2006

06年3月22日、ビッグマウス・ラウドの後楽園ホール大会で、かつての弟子である鈴木みのると14年ぶりにシングルで対戦。11分43秒、ワキ固めに敗れた。

2007

07年10月に胃ガンの手術を行いセミリタイア。

2008

08年5月12日、後楽園ホールでの「昭和プロレス」に出場。医師や主催者からのストップがかかったため、木戸修とエキシビションマッチ「ワキ固め対決」で対戦。若手を相手に電光石火のワキ固めを見せた木戸に対し、藤原はアレクサンダー大塚を相手に、流れるようなワキ固めで会場を沸かせ、勝負は引き分けに終わった。試合後のバックステージでは「もう1回鍛えてリングに上がりたい」と意気ごみを語った。12月18日、後楽園ホールでの「昭和プロレス」のメインでタイガーマスクと対戦。11月21日の記者会見では「太った虎はただの豚だ」とタイガーを挑発した。試合は関節技を決めることができず大苦戦。セコンドのライガーが投げたタオルを投げ返し、何度倒れても立ち上がっていったが、10分15秒、最後はミドルキックを受けてレフリーストップ負け。試合後にマイクで「みんな、ありがとう。去年の10月、私は死を覚悟しておりました。でも、みなさんのおかげでリングに上がることができて・・・」と語り、号泣。会場から大「藤原」コールを受けた。

2009

09年4月12日、ロックアップの後楽園ホール大会で大森と組んで長州、藤波組と対戦。9分39秒、長州のサソリ固めに藤原が敗れた。7月23日、ドラディションの新宿FACE大会のメインでヒロ斎藤グラン浜田と組んで長州、初代タイガーマスク、藤波組と対戦。11分32秒、長州のラリアットに斉藤がフォール負け。8月9日、IGFの有明コロシアム大会でタイガーマスクと対戦。10分、時間切れ引き分けに終わった。10月12日、両国国技館での蝶野の25周年特別興行のバトルロイヤルに出場。

2010

10年2月22日、IGFのJCBホール大会で初代タイガーマスクと組んで藤波、木戸組と対戦。木戸と関節技の応酬を繰りひろげ、15分時間切れ引き分けに終わった。4月22日、ZERO1の新木場1stRING大会で澤宗紀と対戦。8分11秒、脇固めで勝利。8月27日、ZERO1のセラトピア土岐大会で横山佳和と対戦。6分52秒、脇固めで勝利。10月24日、全日本プロレスの横浜文化体育館大会で鈴木みのると組んで西村組と対戦。10分22秒、みのるがゴッチ式パイルドライバーで渕に勝利。

2011

11年4月28日、IGFの東京ドームシティホール大会でと組んで大谷、橋本大地組と対戦。13分57秒、藤原が脇固めで橋本に勝利。8月27日、ZERO1のセラトピア土岐大会で横山佳和と対戦。6分52秒、脇固めで勝利。9月3日、IGFの愛知県体育館大会で藤波辰爾と対戦。6分53秒、逆さ押さえ込みにフォール負け。10月7日、後楽園ホールでの「仮面貴族FIESTA2011」で、覆面レスラーのテロリスト“F”として菊タローと対戦。試合途中でマスクを脱ぎ、5分51秒、ワキ固めで圧勝。12月30日、SMASHの後楽園ホール大会でTAJIRI、大原と組んでフィンレー、ムラット・ボスポラス、ビッグボーイ組と対戦。20分12秒、TAJIRIがグリーンミストからのバズソーキックでビッグボーイに勝利。

2012

12年4月20日、後楽園ホールでの藤波の40周年記念興行に出場。アレクサンダー大塚と組んで長井、田島組と対戦。9分33秒、藤原がワキ固めで田島に勝利。5月5日、レジェンドプロレスの巌流島大会でスーパー・タイガー、タイガー・シャークと組んでアレクサンダー大塚、長井、福田組と対戦。14分17秒、藤原が脇固めで福田に勝利。6月15日、広島グリーンアリーナでの齋藤彰俊の自主興業で青柳政司カブキと組んで長州、藤波、初代タイガーマスク組と対戦。11分57秒、藤波のドラゴンスリーパーに青柳が敗れた。7月8日、ノアのディファ有明大会で池田と組んで土方ヨネ組と対戦。7分21秒、藤原が腹固めで土方に勝利。7月22日、ノアの両国国技館大会でヨネと対戦。6分42秒、後頭部への廻し蹴りをくらってフォール負け。8月18日、DDTの日本武道館大会でアイアンマンヘビーメタル級選手権ロイヤルランブルに出場。19分22秒、ヨシヒコ(人形)の腕を脇固めでもぎとり勝利。

2013

13年10月31日、WNCの後楽園ホール大会でヤンキー・ライオンと対戦。7分35秒、腹固めで勝利。12月4日、後楽園ホールでの東京愚連隊自主興行で望月成晃とUWFルールで対戦。5分56秒、足首固めで勝利。

2014

14年1月31日、W−1の後楽園ホール大会で田中稔のデビュー20周年記念試合に出場。田中稔、金本、ライガーと組んで河野デュプリKAZMA組と対戦。8分57秒、稔がFIREBALLスプラッシュでKAZMAに勝利した。3月21日、ZERO1の博多スターレーン大会のメインで高山善廣と組んで大仁田、大谷組を相手にノーロープ有刺鉄線電流爆破&爆破電気椅子デスマッチ。爆破電気イスをくらうなど奮闘したが、14分21秒、4人同時の爆破から大仁田に藤原がフォール負け。8月29日、大分プロレスAMWの大分フォーラス屋上ビアガーデン特設リング大会でジ・アッチィーと対戦。5分41秒、脇固めで勝利。

2015

15年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会の第0試合の時間差バトルロイヤルに出場。5月31日、全日本プロレスの大阪府立体育会館第2競技場大会で渕と組んでドリー・ファンク・ジュニア、西村組と対戦。20分時間切れ引き分け。11月15日、両国国技館での天龍の引退興行で高山と組んで鈴木みのる、村上和成組と対戦。13分10秒、左ストレートを狙った村上の左腕をとらえ、藤原が脇固めで勝利。

2016

16年1月3日、全日本プロレスの後楽園ホール大会で青木篤志とハードヒットルール(打撃禁止のグラップリングルール)で対戦。多彩な関節技で見せ場を作り、試合途中で一本足頭突きを決めるなど持ち味を発揮。15分時間切れ引き分け。試合後に賞賛の拍手が鳴り響く中、青木の健闘を称えてリングを降りた。1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会での時間差バトルロイヤルに出場。2月21日、アパッチプロレスの大阪大正沖縄会館大会で栗栖正伸と組んでHASEGAWA、金村キンタロー組と対戦。13分30秒、藤原が脇固めでHASEGAWAに勝利。2月28日、ハードヒットのBlue Field大会で青柳優馬と組んで和田拓也、松本崇寿組と対戦。藤原がワキ固めで松本に勝利。7月24日、ドラゴンゲートの神戸ワールド記念ホール大会で望月と組んで船木誠勝、ドン・フジイ組と対戦。12分49秒、藤原がワキ固めでフジイに勝利。11月28日、東京愚連隊の後楽園ホール大会でチャボ・ゲレロ、西村と組んで船木誠勝、ドリー・ファンク・ジュニア、カブキ組と対戦。13分9秒、ドリーのスピニングトーホールドに西村が敗れた。

2017

17年2月8日、後楽園ホールでの武藤のプロデュース興行「プロレスリング・マスターズ」で芦野と組んでグレート小鹿熊ゴロー組と対戦。17分48秒、藤原がワキ固めで熊ゴローに勝利。4月5日、後楽園ホールでのNEWの旗揚げ戦で青木真也と対戦。15分時間切れ引き分け。7月26日、後楽園ホールでのプロレスリング・マスターズで冨宅と組んでライガー、佐野組と対戦。12分3秒、佐野のダイビング・フットスタンプに冨宅が敗れた。8月14日、後楽園ホールでの「垣原賢人復帰戦〜カッキーライド〜」で垣原賢人とUWFルール道場スパーリングマッチ。10分25秒に終了した。10月27日、ドラディションの後楽園ホール大会で越中と組んで長井、ヒロ斉藤組と対戦。11分45秒、越中がミサイルヒップアタックで斉藤に勝利。10月29日、ドラディションの大阪南港ATCホール大会で冨宅と組んで長井、ヒロ斉藤組と対戦。16分29秒、斉藤のダイビングセントーンに冨宅が敗れた。

2018

18年2月16日、後楽園ホールでのプロレスリング・マスターズで高橋義生、冨宅と組んでリッキー・フジ、黒田哲広、保坂秀樹組と対戦。14分45秒、藤原がフジワラ・アームバーで黒田に勝利。4月20日、ドラディションの後楽園ホール大会で越中と対戦。レフリーの制止をふりきって執拗に首を絞めあげ、きちんと制止しないレフリーに対して怒った越中がヒップアタックしたため、9分11秒、反則勝ち。5月27日、Aチームの西和物流物流センター大会で櫻井と組んで池田大輔、HASEGAWA組のWEWタッグ王座に挑戦。23分16秒、池田のキン肉バスターに櫻井が敗れた。7月10日、後楽園ホールでの長州力プロデュース興行「パワーホール」で伊橋剛太と対戦。7分8秒、ワキ固めで勝利。7月22日、ドラゴンゲートの神戸ワールド記念ホール大会でフジイ、富永と組んで藤波、ヒロ斉藤、望月組と対戦。14分34秒、藤波のドラゴンスリーパーに富永が敗れた。8月14日、後楽園ホールでの垣原賢人激励大会「カッキーライド」で冨宅裕輔とUWF特別ルールで対戦。6分50秒、脇固めで勝利。8月21日、後楽園ホールでのプロレスリング・マスターズで維新力と対戦。11分40秒、腹固めで勝利。9月28日、仙台サンプラザホールで行われたみちのくプロレス主催の「昭和プロレスフェスタin仙台」でグラン浜田、サスケと組んで百田菊地気仙沼二郎組と対戦。9分39秒、藤原がワキ固めで沼二郎に勝利。9月30日、大阪府立体育会館・第2競技場で行われた船木誠勝デビュー33周年記念大会で池本誠知と組んで青柳政司、伊藤崇文組と対戦。14分38秒、藤原がワキ固めで青柳に勝利。10月28日、ハードヒットの東京・スターライズタワー大会で高橋義生と寝技限定マッチで対戦。1分57秒、腹固めでレフリーストップ勝ち。再試合が行われ、4分29秒、首を下から抱えこむようにして絞めあげてレフリーストップ勝ち。12月4日、東京愚連隊の後楽園ホール大会で望月成晃とUWFルール(KO、ギブアップ、5ロストポイント制)で対戦。ミドルキックでダウンを奪われたが、ニーロックでロープエスケープさせ、ニーリフトでダウンを奪われたが、チキンウイング・アームロックでロープエスケーさせ、キックでダウンを奪われたが、アキレス腱固めでロープエスケープさせ、一本足頭突きでダウンを奪ってロストポイントを4にさせ、5分56秒、足首固めでギブアップ勝ち。12月9日、ZERO1の田原市総合体育館大会で風林火山タッグトーナメントに北村と組んで参戦。1回戦で大谷、高岩組と対戦。16分10秒、高岩のデスバレーボムに北村が敗れた。

2019

19年2月8日、横浜ラジアントホールでの川田利明プロデュース興行「Holy War」で石川雄規と組んで田中稔、小坪弘良組と対戦。10分58秒、藤原が腹固めで小坪に勝利。8月4日、グランメッセ熊本での熊本プロレス祭りで船木誠勝とUWFルールで対戦。6分50秒、アキレス腱固めに敗れた。8月30日、プロレスリング・マスターズの後楽園ホール大会で大矢剛功と組んでグレート小鹿、タイガー戸口組と対戦。8分26秒、戸口のランニング・ネックブリーカーに大矢が敗れた。

2021

21年6月6日、ACFの大阪・176BOX大会で武士正と3分間のエキシビションマッチ。6月30日、ノアの後楽園ホール大会で杉浦貴桜庭和志、村上和成と組んで丸藤正道、田中将斗、望月成晃、宮本裕向組と対戦。20分10秒、杉浦が米満リフトで丸藤に勝利。10月16日、全日本プロレスの大田区総合体育館大会で井上雅央、菊タロー、デビル紫と組んで渕正信、グレート小鹿、SUSHI組と対戦。7分12秒、藤原がワキ固めでSUSHIに勝利。

2022

22年3月1日、新日本プロレスの旗揚げ50周年記念となった日本武道館大会のメインで鈴木みのる、ザック・セイバー・ジュニアと組んでオカダ・カズチカ棚橋弘至、藤波辰爾組と対戦。18分12秒、オカダのレインメーカーに鈴木が敗れた。4月10日、両国国技館でのZERO1の20周年&21周年記念大会で船木誠勝、アレクサンダー大塚と組んで藤波辰爾、越中詩郎、LEONA組と対戦。10分18秒、藤波のドラゴンスリーパーに大塚が敗れた。5月12日、ドラディションの後楽園ホール大会で船木誠勝と組んで田中将斗、高岩竜一組と対戦。13分2秒、船木がハイブリットブラスターで高岩に勝利。9月18日、道頓堀プロレスの大阪・メセナホール大会でダイナ御堂と対戦。6分23秒、脇固めで勝利。
スクラップブック
―― もう一つ、試合前の藤原教室というのもあった。最初に山田選手がいき、次に船木選手がいって、試合前の藤原さんのスパーリングの相手を2人で独占してしまった。僕が思うに、あの当時の体験というのが、タイガーマスクに憧れていた船木選手の気持ちを大きく変えていく契機になったのではないか、と。
船木 そうですね。あれ(藤原教室)はかなり大きいと思います。オレ、親父っていうのがいないんですよ(船木が中学1年の時に両親が離婚)。それでその、どこかで親父的な存在というのを求めてましたからね。失礼な言い方になるかもしれないけど、他の新日本の上の人たちにはそれを求められなかった。藤原さんにはそれがあって、藤原教室の時も、ホントに親父にもまれてるみたいな印象だった。何だかすごく心地好いっていうか・・・、1分間に何回もキメられるような状況で、体も痛いし大変だったんですけどね(笑)。
―― それにしても、あの藤原教室は見るからにキツかったですよね。船木選手は、それから30分程度のインタバルで第1試合、なんてことも多かった。
船木 着てたTシャツがボロ雑巾のように真っ黒になりましたからね。正直、疲れて気持ちがダレることもあったんですけど、そういう時は30分間、冷水のシャワーを浴び続けて、それからリングに上がってました。
―― それでも毎日のように「お願いします!」でシゴキを受けて・・・。「強くなりたい」という一途な思いがヒシヒシと伝わってきましたよ。
船木 当時のオレは「藤原さんが一番強い」と思ってましたからね。その藤原さんとやってれば弱くはならない。強くなるための最短距離を行こうとしたんですよね。藤原さんは上の人たちにもすごく怖がられてましたから。その怖い人とやってれば、怖いもんはなくなるんじゃないか、と(笑)。
(週刊プロレス No.759 1996年 船木のインタビューより)
―― むかしから藤原ノートみたいなことはつけていたのですか?
藤原 ゴッチさんのところに行って半年間いたんだけど、1日に10個くらいこうだって言うわけだ。すごいなと思ったけど、10個やったけどひとつも覚えてないわけだよ。これじゃダメだと思って、ノートに書いてね。俺は工業高校の機械科なんで、機械工学、応用力学、体育の3つだけが5だったんだよ。
鈴木 むかし藤原さんの家に行ったときに見せてもらって、角度が書いてあるんですよ。
藤原 120度か90度な。
鈴木 この角度以下はダメとかすごい細かく書いてあって。
藤原 よくわかってくると10度くらい違っても調節がちゃんと出来るんだよ。目隠ししても感触でわかる。
鈴木 それを藤原さんが僕の上で目をつぶってやるんですよ。それがまた腹が立って。なんでこの・・・すいません、「クソ親父目をつぶってやってんだ!」と思って。見えないところでなにかやろうと思って手を出すと取られちゃう。見えてないのに。
藤原 重心で「こっちの手が来るな」とかちゃんとわかるんだよ。それから相手の心理状態もわかる。「いま苦しいから必ずここに手が来る」とかな。
―― 口でレクチャーするというより体で覚えていくということですか?
藤原 体で覚えるとかじゃなくて、自分の命を守ろうとする本能だよね。腹に乗られて「窒息するんじゃないか」みたいなね。「もう死ぬんじゃないか」と思うよな。
鈴木 思いますね。そういうヤツは必ず顔の前に手を出すんですよ。
藤原 それがちゃんとわかるわけ。俺もそうだったから「絶対ここに手が来る」って先回りすると、必ず来る。
鈴木 藤原さんが後に、アルティメットや総合格闘技が嫌いで「見たことない」ってよく言ってたんですけど、その意味が、自分がやってるときは意味がわからなかったんですけど、ちょっとずつわかるようになってきたのがうれしいですね。
藤原 「何でもあり」って言うけどルールはちゃんとあるわけだよな。みんな必死だから、近道をしようと思うわけだよ。覚えるのに10年、5年かかる面倒臭いのは全部切り捨てて、とにかく近道しないと・・・彼らは5、6年で一生分働こうと思うから必死のわけだよな。だからとにかく倒して殴る。だからだんだんつまらなくなって、だんだん廃れてきてるでしょ?競技になってくると勝敗だからね。いらないものは切り捨ててつまらなくなる。でも俺たちがやってるのは「関節技」じゃなくて「関節道」なんだよ。
(週刊プロレスNo.1741 藤原と鈴木の対談より)


【前田日明氏コラム】猪木戦を前にウィリエム・ルスカを極めちゃった藤原喜明さん
(2022年9月6日16:00配信 東スポWebより)
【前田日明(8)】 1977年に新日本へ入門したころ(アントニオ)猪木さんとのスパーリングで目突き、金蹴りしようとし、みんなからフルボッコにされたのに、一人だけ笑っていたのが藤原(喜明)さん。あれがキッカケで距離が近くなった。
 新人はスクワットだ、プッシュアップだって絞られて、ヘトヘトになったところにスパーリングをやるから、もう体力が残ってないんだよね。当時は藤原さん、98キロくらいあったから、最初のころは上に乗られただけで何もできなかった。
 でも、そうこうしていると、坂口(征二)さんが「俺もやってやる」とスパーリングの相手になってくれた。試合前で会場に観客が入ってる状態。1年くらい藤原さんとやってたおかげか、坂口さんは俺を全然極められなかった。テレビに映るような人だから「申し訳ないな」と腕を取らせたんだ。そうしたら後で藤原さんから「あんなことするんだったら、俺は二度とお前とやらないよ」って怒られたね。
 俺が入った当時は藤原さんってカリカリしてて、ちょっとのことで怒鳴り散らかしていた。後で聞いた話では、猪木さんとの試合前(76年)に(ウィリエム)ルスカがレスリング協会の福田(富昭)さんと一緒に道場へ練習に来た。「スパーリング相手いませんか」ってなって藤原さんが「俺やります」と言って、ルスカを極めちゃった、と。
 藤原さんは新日本の名誉を守ったけど、ずっと前座扱いで猪木さんの付け人補佐で新幹線もグリーン車じゃなかった。だから一番敵対していた木村健吾さんがグリーン車に乗るようになったら怒って「あの猿がグリーン車に乗るんだったら、俺はもう新日本辞めます」と、猪木さんに言いに行ったんだよ。すごいでしょ?そうして藤原さんもグリーン車になったんだけどね。
 昔の藤原さんは鼻筋も通ってたんだけど、俺が入門する直前に大塚剛っていうプロ空手選手が道場破りに来た。で、藤原さんが受けて立った時に顔面にバーンともらって鼻が折れたんだよ。「身をていして新日本プロレスを俺は守ってるのに・・・」っていう思いもあったんだろうね。
 当時は猪木さんも(山本)小鉄さんも「相手にナメられるなよ。相手がナメたことやったらやってしまえ」って言ってたんだよ。だから・・・俺のプロレス人生は猪木さんの言う通りにやっただけ。俺が一番真面目だったんだよ(笑い)。