ダークロHP / レスラーノート

ビル・ワット
BILL WATTS


1939年5月5日
オクラホマ州オクラホマシティ出身
193〜6p 140kg
タイトル歴:AWA世界ヘビー IWA世界ヘビー USタッグ(NY地区) フロリダ・ヘビー ジョージア・ヘビー インターナショナルタッグ
得意技:オクラホマスタンピード

通称「カウボーイ」。オクラホマスタンピードはワットのオリジナル。「オクラホマにワットあり」と唄われたフットボールの名選手で、ヒューストン・オイラーズやミネソタ・バイキングスでも活躍。大学の先輩ダニー・ホッジに勧められて62年10月にプロレス入り。レオ・ノメリーニの再来といわれ、注目を集めた。65年にWWWFで王者ブルーノ・サンマルチノに挑戦した。67年9月に日本プロレスに初来日。10月6日、福島市県営体育館大会でターザン・タイラーと組んで、インターナショナルタッグ王者のジャイアント馬場、吉村組に挑戦。勝利してインタータッグ王座を獲得した。10月31日、大阪府立体育会館大会でジャイアント馬場、アントニオ猪木組を相手にタッグ王座の防衛戦。1本目は14分8秒に反則負け。2本目は3分34秒にタイラーが馬場をフォール。3本目は4分38秒に馬場の16文キックにワットが敗れて王座転落。 73年5月11日、アトランタでミスター・レスリング2号を破りジョージア・ヘビー級王座を獲得。7月13日、ミスター・レスリング2号に敗れて王座転落。7月21日、王座奪回。8月17日、ミスター・レスリング2号との防衛戦で故意に反則負けをしたため王座剥奪。8月31日、王座決定戦でミスター・レスリング2号に敗退。11月2日、王座奪回。12月21日、ロン・フラーに敗れて王座転落。 74年2月には国際プロレスに来日し、ストロング小林の最後のIWA王座防衛戦の相手となった。同年7月2日にフロリダ州タンパでフロリダヘビー級王座を獲得。11月28日にダスティ・ローデスに王座を奪われるが、12月5日に奪回した。79年にホームリングのトライステーツ(リロイ・マクガーク派)から独立し、MSWA(ミッド・サウス・レスリング・アソシエーション)のオーナーになりプロモーターとして活躍。MSWAはルイジアナ、オクラホマ、ミシシッピ、アーカンソーの南部4州とテキサス州ヒューストンを中心に活動。86年5月にMSWAは全米ケーブルテレビ放映の開始と共にUWF(ユニバーサル・レスリング・フェデレーション)と改称。しかし経営に行きづまる。87年4月、NWAクロケットプロにUWFを売却。88年11月、NWAクロケットプロが経営破綻し、ジョージア州アトランタのTBSに買収されて、WCWが設立。92年からWCWの副社長を務めた。同年8月に新日本プロレスのG1クライマックスにNWA側の立会人として来日。雑誌のインタビューで人種差別的な発言をしたことが、元野球選手でTBS(WCWの親会社)の幹部であるハンク・アーロンの気分を害してしまい、WCW副社長を辞任しWCWを離脱。95年にはエグゼクティブ・プロデューサーとしてWWFに数ヶ月在籍した。

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