レスラーノート

伊藤正男

1948年12月9日
北海道樺戸郡出身
178cm 120kg

タイトル歴
南部ヘビー
得意技
ギロチンドロップ

64年、上徳富中学卒業後に大相撲の出羽の海部屋に入門。66年3月に廃業。72年1月に日本プロレスに入門。ロッキー羽田と同期入門だった。72年10月5日、牛深市魚市場裏広場の木村戦でデビュー。ヒゲで無口、怪力の持ち主。日本プロレス崩壊後、全日本プロレスに移籍。前座で活躍。几帳面できれい好きなため、全日本プロレスの合宿所では先頭になって清掃と食事当番にあたった。78年4月にオーストラリア、ニュージーランドなどを遠征。81年10月に西ドイツ、カナダを経てアメリカに遠征。テネシー、ジョージアなど南部を転戦。田吾作スタイルで暴れまくった。84年6月にテネシー州メンフィスでオースチン・アイドルを破りCWA/AWAインターナショナルヘビー(のちのAWA南部ヘビー)級王座を獲得した。7月9日、メンフィスでトミー・リッチに敗れて王座転落。遠征先で引退。
スクラップブック
カブキ 日プロから全日本に行った若手では、伊藤は力が強かった。何も練習していないのに、百何十キロをベンチプレスでバンバン上げるんだから。
ナガサキ 80年代の半ば頃かな、ガイジンの誰かに聞いたらしくて、伊藤から電話がかかってきて話をしたことがあるんですよ。モントリオールで料理人をやっていて、「カナダのグリーンカードを取る」って。
カブキ そこのレストランの女のコと一緒になったんだよね。
ナガサキ 可哀想だよね。海外修行に出されたまま、(全日本に)何もしてもらえないでさ。カナダからずっと帰ってきてないでしょ、あいつ。最初はアメリカに入ったと思うんだけど、ビザがなかったからカナダに行ったんじゃないのかな。(中略)
カブキ あの当時、あまりワーキングビザを取っている日本人はいなかったね。俺は自分で取ってたけど。伊藤は、ダラスにいたという話も聞いたよ。あいつは力があったけど、不器用だったから日本で上に行けなかったね。
ナガサキ ヘイスタック・カルホーンみたいな感じで、細かいことができなかったから。
(Gスピリッツ Vol.38 カブキとナガサキのインタビューより)
 伊藤さんは力が強くてね。脚も太いし、バネがあったよ。
京平 当時の前座で誰がインパクトあったかと言ったら、俺は伊藤さんだよ。「こんなに強いのに何で上に行かないんだろう?」って。ヘッドロックを取られても、そのまま相手を放り投げちゃうぐらい力が凄かった。普通はそこからバックドロップなんだけど、伊藤さんは相手を持ち上げて、そのまま前にぶん投げちゃう。そうすると、渕君や大仁田が向こう側のコーナーまで2〜3メートル吹っ飛んじゃうんだから(笑)。
渕 それを平成の時代になってから、鶴田さんが菊地(毅)なんかに使っていたよね。
京平 伊藤さんが最初だよ。
渕 あれはさんが伊藤さんに、「渕との試合の時にやってみろ」と言ったんだよね。逆に俺は駒さんから「伊藤に絶対に投げられないように堪えろよ」と言われたから、必死に堪えてヘッドロックで締め上げたんだ。こっちだって投げられたくないからさ。でも、堪えようがなかった(笑)。
京平 渕君が締め上げるから「ギブアップか?」って聞いたら、伊藤さんがいきなりグッと持ち上げて。やっぱりあれは伊藤さんならではの技だし、背中の硬さは大熊さんと匹敵するぐらいで「これぞレスラー!」って感じだったよね。
(Gスピリッツ Vol.38 渕と和田京平のインタビューより)
カブキ 伊藤正男は出羽海部屋でしょ。あいつは力があって良かったよ。「お前、ベンチプレスやれよ」って言ったら、「ハイ!」って練習もしてないのにいきなりガチャガチャ上げるんだもん(笑)。海外修行でテキサスに行った時にトップロープからフロアに頭から落ちちゃったけど、大丈夫だったという話を聞いたことがあるよ。その後、モントリオールに行って日本食レストランの女の子と一緒になって、そのまま向こうに住んでるんじゃない?
天龍 僕は伊藤選手と試合したことがあると思いますよ。素足のパワーファイターでしたよね。大人しい人で、この業界では珍しく「俺が、俺が」っていう感じではなかったですよね。
(Gスピリッツ Vol.33 天龍、カブキ、小鹿のインタビューより)