10歳の時にニューヨークに移住。同郷のペドロ・モラレスに憧れ64年にデビュー。67年11月に日本プロレスに初来日。69年にはトニー・マリノと組み、WWWF世界タッグ王座を獲得。ロスでは72年12月にアメリカス・ヘビー級王座となり、計4度同王座を獲得した。73年9月、新日本プロレスに登場。75年5月13日、ドン・デヌーチと組んでWWWF世界タッグ王座を獲得。6月にWWFを離脱。76年に新日本プロレスの第3回ワールドリーグ戦に出場。4月30日の小倉区体育館大会ではストロング小林と対戦。小林の怪力殺法に苦戦したが、16分27秒、アトミックドロップを回転エビ固めで切り返して勝利。リーグ戦を坂口征二、キラー・カール・クラップと並んで2位で通過。優勝戦進出決定戦ではクラップ、坂口に連敗した。81年7月に全日本プロレスに登場。7月23日、魚津市体育館大会でルーファス・ジョーンズと組んでアジアタッグ王者の石川隆士、佐藤昭雄組に挑戦。1本目でドロップキックを自爆した際に肩を脱臼。8分41秒にパートナーのジョーンズが石川を押さえて勝利したが、2本目は1分7秒にジョーンズが石川のブレーンバスターでフォールを取られてしまう。3本目はリベラの負傷のため試合放棄となった。
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