レスラーノート

バリー・ウインダム

BARRY WINDHAM

1960年7月4日
テキサス州スィートウォーター出身
200cm 120kg

タイトル歴
WWF世界タッグ
NWA世界ヘビー
得意技
フライング・ネックブリーカードロップ

高校時代はアマレスで活躍。父のブラックジャック・マリガン、叔父のディック・マードックのコーチを受け、77年1月にフロリダでデビュー。83年11月、全日本プロレスに初来日。帰国後、WWFに入る。 85年1月、マイク・ロトンドとの「USエキスプレス」でWWF世界タッグ王座を獲得。3月31日、第1回レッスルマニアでニコリ・ボルコフアイアン・シーク組を相手にタッグ王座の防衛戦。シークの凶器攻撃を背後からくらって、ボルコフにバリーがフォール負け。タッグ王座から転落した。12月ごろにWWFを離脱しフロリダで活躍。 86年1月にロトンドと共に全日本プロレスに来日。全盛期での来日だったため、非常に動きが良かった。 90年3月6日、日本武道館大会でジャンボ鶴田の三冠王座に挑戦。12分38秒、バックドロップホールドに敗れた。5月、WCWに入る。 91年3月、新日本プロレスに登場。 92年8月6日、新日本プロレスのNWA世界ヘビー級王座決定トーナメントの1回戦で武藤敬司とシングルで対戦。ラリアット、片手でのブレーンバスター、DDTなど、体格差を活かしたダイナミックな動きで武藤を追いこんだが、10分17秒、ムーンサルトプレスに敗れた。 93年2月21日、WCWでNWA王者のグレート・ムタに挑戦。序盤はムタのヘッドロックに苦戦するが、力強い攻撃でムタを圧倒。最後は25分8秒、ムーンサルトプレスをヒザを立てて防いでから、ラリアット、DDTを決めて勝利。第77代NWA世界ヘビー級王座を獲得した。 96年後半からWWFにザ・ストーカーの名で登場。顔に迷彩のペイントをして迷彩服を着て試合をしていた。 97年にブラッドショーとニュー・ブラックジャックスを結成。98年から99年にかけてWCWに登場。00年暮れの最強タッグ決定リーグ戦で全日本プロレスに出場。 03年11月、IWAジャパンに来日。11月26日、むつ市民体育館大会でマイク・ロトンドと組んで松田慶三、レザー・フェイス組と対戦。9分59秒、ダブルDDTでウインダムが松田にフォール勝ち。11月27日、青森産業会館大会での準決勝でスティーブ・ウイリアムス、三宅綾組と対戦。11分57秒、ウイリアムスのドクターボムにウインダムが敗れた。11月30日、後楽園ホール大会でマイク・ロトンドと組んでキマラ、YUJI KITO組と対戦。6分35秒、ダブルDDTでロトンドがKITOにフォール勝ち。 04年4月、IWAジャパンに来日。4月29日、山形市総合スポーツセンター大会でマイク・ロトンド、三宅綾と組んでハクソー・ジム・ドゥガン、ジョージ・ハインズ、YUJI KITO組と対戦。8分、ロトンドがバックフリップでKITOに勝利。4月30日、米沢市営体育館大会でマイク・ロトンド、三宅綾と組んでアニマル・ウォリアー、ハクソー・ジム・ドゥガン、ジョージ・ハインズ組と対戦。11分13秒、レフリー負傷によりコミッショナーがゴングを要請し、無効試合に終わった。5月3日、横須賀臨海公園大会で三宅綾と組んでレザー・フェイス、フレディ・クルーガー組と対戦。8分6秒、ウインダムがラリアットでフレディに勝利。5月4日、後楽園ホール大会でマイク・ロトンド、三宅綾と組んでアニマル・ウォリアー、ハクソー・ジム・ドゥガン、松田慶三組と対戦。特別レフリーにテッド・デビアスを迎え、マイク・ロトンドの引退試合として開催された。8分26秒、ロトンドが横入り式エビ固めでドゥガンにフォール勝ち。 11年10月26日、フロリダ州の自宅で心臓発作を起こし、緊急入院。