ミスター雁之助とは同じ熊本商科大学出身。雁之助がFMWの入団テストに行くというので一緒についていって、FMWに入団。91年5月5日、名古屋国際会場のパンディータ、上野秀幸戦でデビュー(パートナーはアミーゴ・ウルトラ)。93年10月にメキシコ遠征。WWAでマスクマンのハヤブサに変身。94年4月にスーパーJカップに出場するため一時帰国。1回戦でライガーと対戦し、10分17秒にフィッシャーマン・バスターで敗れたが、トップロープからのウラカン・ラナ、シューティング・スタープレス、ゴング前のトペ・コンヒーロを繰りだして高い評価を得た。その後、AAA、EMLL、アメリカのフロリダに転戦して帰国した。95年5月5日に大仁田の引退試合で電流爆破マッチに初挑戦。7月30日、八王子市マルチパーパスプラザ大会でザ・グラジエーターと対戦。10分13秒、カミカゼ・アッサムボムをくらって敗れた。胸と背中を痛め、試合後に救急車で病院に直行した。96年9月20日、札幌中島体育センター別館大会で大矢と対戦。16分53秒、バックドロップに敗れた。10月10日、みちのくプロレスの両国国技館大会で新崎人生と対戦。ファイヤーバード・スプラッシュなどの大技を鮮やかに決めたが、フェニックス・スプラッシュをかわされ、左足を負傷。最後はハイジャック式パワーボムに敗れた。11月16日、大阪府立臨海スポーツセンター大会でTAKAみちのくと対戦。必殺のみちのくドライバー2をカウント2で返し、ファルコンアローをカウント2で返されるなど好勝負を展開し、17分40秒、回転式ファルコンアローで勝利。12月11日、駒沢オリンピック公園体育館大会でサスケと対戦。ノータッチ・トペ・コンヒーロ、ファイヤーバード・スプラッシュなど華麗な技で追いつめるがサスケもサスケペシャル、サンダーファイヤー・パワーボムで反撃。最後は19分12秒、雪崩式ファルコンアローで勝利。97年9月6日、全日本プロレスの日本武道館大会で人生と組んで小橋、志賀組と対戦。20分32秒、ハヤブサがファイアーバードスプラッシュで志賀に勝利。年末に新崎人生と組んで全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグ戦に参加した。98年2月19日、冬木軍の後楽園ホール大会で冬木弘道を相手にランバージャックデスマッチで対戦。場外で冬木の仲間に痛めつけられ、16分17秒、裏拳をくらってフォール負け。3月13日、札幌中島体育センター別館大会のメインで田中将斗と対戦。新生FMWのエース対決となった。両者合わせて18度のフォールを返す総力戦となり、最後は23分17秒、ドラゴンスープレックスからの垂直落下式ファルコンアローで勝利。4月にミスター雁之助を破りFMW2冠統一王座を獲得。8月2日、ECWのPPV「ヒートウェイブ」で人生と組んでサブゥー、RVD組のECWタッグ王座に挑戦。人生と共に机の上に寝かされて、同時にニードロップをくらって敗れた。99年2月に人生と組んで泉田、本田組を破り全日本プロレスのアジアタッグ王座を獲得した。8月に素顔になってHと名のり、一時期FMWで活躍したが、すぐにハヤブサに戻った。01年10月、試合中に頚椎損傷し、長期欠場。02年1月にリハビリ開始。一時は全身麻痺となったが、歩けるまでに回復した。16年3月3日、都内の自宅で、くも膜下出血のため死去。
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