マッドドッグの異名を持つ。リング上で相手に吠えまくって威嚇するラフファイトが得意。ディクシー・ホフリン高校時代はアマレス、フットボール、陸上競技などに熱中。79年にフロリダ地区でプロレス入り。ジョージア地区に移ってトミー・リッチ、ロディ・パイパーらと抗争し人気上昇。82年5月2日、アトランタでトミー・リッチを破りNWAナショナルヘビー級王座を獲得。弟のブレット・ソイヤーと組んでも活躍した。84年春にWWFに進出。しかし契約面で折り合いがつかずにすぐに離脱。10月に全日本プロレスに初来日。全日本プロレス登場は一度きりだった。86年6月16日、WCCW・TV王座を獲得。87年に新日本プロレスに来日し、マニー・フェルナンデスとのコンビで活躍。92年2月7日、サクラメントの自宅で急性麻薬中毒により32歳で死去。
|