ダークロHP / レスラーノート

パク・ソン・ナム
PAK SON NAM


本名:朴松男
1943年4月11日
韓国・慶尚南道晋陽郡琴山面出身
197cm 122kg
タイトル歴:フロリダUSタッグ

テコンドーの名手で韓国空手王者となり、空軍除隊後にプロレス入り。65年、韓国に来た大木と知りあい、日本へのコネを手に入れた。66年9月に留学生の形で日本プロレスに初来日。帰国後、アメリカに遠征。ロス、フロリダ、カンサス、テキサス等でコーリャン・ジャイアント、コーリャン・アサシンの名で活躍。大木に次ぐ韓国の生んだ国際的なレスラーとなった。その長身と風貌から日本のファンには「韓国の馬場」と呼ばれていた。テキサスでは坂口征二とタッグを結成。76年1月に全日本プロレスに登場。10月9日、韓国の大韓プロレス協会の大邱大会でアントニオ猪木と対戦。目に指を突っこまれるなどの喧嘩マッチとなり、ノーコンテスト。10月10日、ソウル・奨忠体育館大会で猪木のNWFヘビー級王座に挑戦。この試合では勝敗を決めないまま開始直前まできてしまった。凱旋試合だったため、パクはフォール負け、ギブアップ負けを嫌った。猪木も格下相手に負けたくなかった。パク側の妥協案として、戦意喪失によるリングアウト負けという回答が出た。この交渉が長引いたので、韓国のテレビの生放送では30分間も誰もいないリングを映しつづけた。試合中に猪木は本気試合をしかけたように見せ、パクは戦意喪失によるリングアウト負けを演じた。79年にジョー・ルダックと組んでフロリダUSタッグ王座を獲得。同王座はキラー・カーンにパートナーを変えて保持した。その後、フロリダ地区から離脱し帰国。80年4月、内臓疾患により韓国・ソウル市の病院で死去。
――同年10月9日に韓国の大邱で猪木さんがパク・ソンナン(朴松男)の目に指を突っ込んだという伝説の喧嘩マッチにも永源さんは同行されていますね。
「テレビ中継をストップして、遅れて試合をした時の?」
――それは翌日にソウルの奨忠体育館で行なわれたNWFヘビー級王座の防衛戦ですね。日本でも放送されましたが、坂口さんが“現地では生中継なのに2人が控室から出てこないから試合が遅れた”と言ってました。
「それも俺は行ってますよ。前日のひどい試合の時も、セコンドに入ってましたね。向こうが“猪木を倒したら人気が出る!”って感じで来たから、猪木さんはやっちゃったんでしょう。そういうことがあっても乗り越えちゃうんだから、猪木さんは凄いですよ。お客さんには何があったのかはわからないだろうけど、異様な雰囲気は伝わったと思いますよ。やっぱりアマチュアで入って行ったら猪木さんは強いからね」
(Gスピリッツ Vol.36 永源遙のインタビューより)

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