レスラーノート

ノーマン・スマイリー

NORMAN SMILEY

1965年2月28日
イギリス・ノーサンプトン出身
185〜8cm 110kg

通称
黒い藤原
タイトル歴
CMLL世界ヘビー
WCWハードコア
得意技
ジャーマンスープレックス
チキンウイング・フェイスロック

フロリダでの高校時代からアマレスをはじめる。187ポンド級でフロリダ王者となった。ボディビルでも活躍し、ミスターUSA、ミスターフロリダ、ミスターマイアミに輝く。レスラーのタイリー・プライドのスカウトを受けて、マレンコ道場でグレート・マレンコディーン・マレンコジョー・マレンコのコーチを8ヶ月間受ける。カール・ゴッチの指導も受けていた。 86年にフロリダのウェスト・パームビーチのインディ団体でデビュー。ウルフマン・ジャックと対戦し、フライング・ボディアタックで勝利した。 88年6月、ゴッチの娘婿のミスター空中からオファーを受け、第2次UWFに初来日。6月11日の札幌中島体育センター大会での来日第1戦で山崎一夫と対戦。15分30秒、脇固めで敗れたが、健闘を見せた。8月13日の有明コロシアム大会で安生洋二と対戦し、18分46秒 腕ひしぎ逆十字固めで勝利した。9月24日、博多スターレーン大会で高田延彦と対戦。6分47秒、ヒールホールドに敗れた。その後もUWFで活躍。UWFのスタイルに適応し「黒い藤原」と呼ばれた。 91年にはフロリダからメキシコに活動の場を移し「ブラック・マジック」と改名。ルードとして活躍した。 92年11月20日にはラヨ・デ・ハリスコ・ジュニアを破り、CMLL世界ヘビー級王座を獲得した。 95年から96年にかけてECWなどのアメリカのインディ団体にも参戦。 97年にWCWに登場。ハードコア王座を2回獲得した。WCW崩壊後はNWA−TNAなどのアメリカのインディ団体を転戦。 02年7月10日、TNAの放送でブライアン・ローラー(ブライアン・クリストファー)と対戦。ダイビング・レッグドロップに敗れた。10月16日、TNAの放送でロン・ハリスと対戦。コブラクラッチスラムに敗れた。12月25日、闘龍門の後楽園ホール大会でCIMA、SUWA、フジイと組んでマグナムTOKYO、K−ness.、横須賀享、斉藤了組と3本勝負で対戦。1本目は45秒、スマイリーがワキ固めで横須賀に勝利。2本目は8分3秒、斉藤のドラゴンスープレックスにフジイが敗れた。3本目は3分46秒、イタリアン・コネクションが乱入してノーコンテストに終わった。12月26日、T2Pの後楽園ホール大会でウルティモ・ドラゴン、ペリー・サタンと組んで望月成晃、新井健一郎、大鷲透組と対戦。9分15秒、ウルティモ・ドラゴンがドラゴンスリーパーで大鷲に勝利。12月28日、闘龍門の名古屋国際会議場大会でCIMA、SUWA、フジイと組んでマグナムTOKYO、横須賀、堀口、斉藤組と3本勝負で対戦。1本目は41秒、スマイリーがワキ固めで斉藤に勝利。2本目は7分30秒、マグナムのエゴイストドライバーにフジイが敗れた。3本目は5分45秒、CIMAがマッドスプラッシュで堀口に勝利。 03年7月16日、TNAの放送でエドワード・チャステイン(アイスバーグ)と対戦。ボディプレスに敗れた。 06年6月29日、TNAの放送でモンティ・ブラウンと対戦。パウンス(体当たり)に敗れた。7月13日、TNAの放送でアビスと対戦。ブラックホールスラムに敗れた。9月21日、TNAの放送でエリック・ヤングと対戦。ヤングブラット(ホイールバロー・ネックブリーカー)に敗れた。10月19日、TNAの放送でクリスチャン・ケージとストリートファイトマッチ。アメフトのユニフォームを着て試合に臨んだがアンプリティアーに敗れた。 08年7月、WWEの2軍団体FCWのトレーナーになる。