高校入学と同時に松濤館空手に入門し初段を獲得。91年4月、前田日明が主催するリングスの第1回新人テストに補欠合格し、92年5月16日、有明コロシアム大会での山本宜久戦でデビュー。97年2月2日、リングスのオランダ・アムステルダム大会でヴァレンタイン・オーフレイムと対戦。コーナーでヒザ蹴りをくらって左目尻を切り、1R4分10秒、TKO負け。4月4日、リングスの後楽園ホール大会でオーフレイムと再戦。12分5秒、TKO勝ち。8月にはリングス軽量級の最強戦士を決める「トーナメント21」に優勝し初代王者に君臨、2度の防衛に成功した。99年6月の試合を最後に椎間板ヘルニアのため長期欠場。01年3月20日にリカルド・フィエート戦で復帰。5月18日にリングスを退団しフリー宣言。7月20日、札幌ドームで新日本プロレス初参戦。その日にIWGPジュニア王者の田中稔に挑戦。11分27秒、ハイキック2発からの裏拳で田中を破り、第40代IWGPジュニア王者に輝く。9月18日、名古屋レインボーホール大会でエル・サムライを相手に防衛戦。7分35秒、クレイジーサイクロンで勝利。10月8日、東京ドーム大会でケンドー・カシンを相手に防衛戦。マスクを脱いで石澤常光として登場してきたカシンに対し、パンチの連打、クレイジー・サイクロンで攻めたてたが、26秒、一瞬の隙を突いたカシンに飛びつき式の腕ひしぎ逆十字固めを決められて王座転落。02年2月1日に新日本プロレスに正式に入団。03年12月31日に名古屋ドームでの「K-1 Premium 2003 Dynamite!!」に出場し、K−1の大巨人ノルキヤと総合ルールで対戦。2メートルを越える相手に対し1ラウンド、チョークスリーパーで勝利した。04年1月4日、東京ドーム大会で安田忠夫と対戦。2分9秒、急所攻撃により反則勝ち。延長戦が行われ、30秒、ドラゴンスクリューからの胴絞めスリーパーでレフリーストップ勝ち。1月28日、後楽園ホール大会でU30王者の棚橋弘至に挑戦。スリーパーホールドで王者を追いつめたが、キャプチュードを切りかえされて、15分58秒、ドラゴンスープレックスホールドに敗れた。試合後に成瀬は「棚橋!おまえは新日本の未来だ!」とマイクで絶叫した。3月28日、両国国技館大会でライガーのGHCジュニア王座に挑戦。18分12秒、垂直落下式ブレーンバスターに敗れた。7月26日、新日本プロレスの後楽園ホール大会で長井満也と組んで天龍、渕組のアジアタッグ王座に挑戦。18分17秒、天龍の53歳に成瀬がフォール負け。11月3日、新日本プロレスの両国国技館大会で長井と組んで天龍、渕組のアジアタッグ王座に再挑戦。19分28秒、長井がストレッチプラムで渕に勝利し、アジアタッグ王座を獲得。同王座は12月23日に飯塚、垣原組、05年1月23日に吉江、ブルー・ウルフ組相手に防衛を重ねたが、2月2日にブキャナン、リコ組に敗れて王座転落。06年1月に新日本プロレスを退団。13年10月27日、ディファ有明での「GRABAKA LIVE!」のメインで菊田早苗を相手に素手での総合格闘技戦。マウントポジションを一度は脱出したが、1R2分25秒、腕ひしぎ十字固めに敗れた。14年3月30日、パンクラスの横浜文化体育館大会で近藤有己と対戦。パンクラスとして四角形リングを使用する最後の大会で、山本宜久、阪剛、垣原賢人、金原弘光らをセコンドに、キャリア18年のパンクラスの現役選手と対戦。5分2R、2対0の判定負けに終わった。
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