レスラーノート

テリー・ファンク

TERRY FUNK

本名:テレンス・ファンク
1944年6月30日
インディアナ州ハモンド出身
188cm 110kg

通称
テキサスブロンコ
タイトル歴
NWA世界ヘビー
インター・タッグ
ECWヘビー
WWF世界タッグ
WCWハードコア
得意技
スピニングトーホールド
ムーンサルトプレス
テキサスクローバー・ホールド
ローリング・クレイドル

通称テキサスブロンコ。ドリー・ファンク・シニアの次男。少年時代から兄のドリーと共にレスリングの英才教育を受ける。4歳でアマレスを始める。 65年にプロレス入り。 70年7月、日本プロレスに初来日。 71年12月には 兄ドリーとの「ザ・ファンクス」で馬場猪木組を破りインター・タッグ王座を獲得した。 72年10月、全日本プロレスの旗揚げシリーズに来日。 73年7月、全日本プロレスにドリーとのコンビで登場。 75年12月、ジャック・ブリスコを破り第51代NWA世界ヘビー級王者に輝く。 77年のオープンタッグ選手権、79年と82年の世界最強タッグ決定リーグ戦に優勝。 83年8月31日、全日マットで一度は引退したが、84年8月にカムバック。 86年6月よりWWF入りし、H・ホーガンと抗争を展開した。

1993

93年5月、FMWに登場し大仁田とデスマッチで対決。12月、サブゥーを破り、ECWヘビー級王座を獲得。

1994

94年8月13日、ECWアリーナでのECWのビッグイベント「ハードコアヘブン」のメインでキャクタス・ジャックと対戦。試合中にパブリック・エネミーが乱入してテリーに暴行。キャクタスと共にパブリック・エネミーを撃退し、試合はノーコンテストで終了。試合後に観客をあおって、大量のイスがリングに投げ入れられ、パブリック・エネミーの2人は下敷きになった。

1995

95年4月15日、ECWのECWアリーナでのイベント「ホスタイル・シティ・ショウダウン」でキャクタス・ジャックと対戦。DDTに敗れた。試合後、松明を手に取り大暴れをした。5月3日、福岡ドーム大会で新日本プロレス初参戦。12月15日、カナダ・アルバータ州カルガリーのスタンピード・コレルで行われたカルガリーマット50周年の記念大会に出場し、ドリーと組んでブライアン・ピルマン、ブルース・ハート組と対戦。13分49秒、反則負けに終わった。

1997

97年4月13日、ECWの初のPPV「ベアリー・リーガル」で王座挑戦権を賭けてリチャーズ、サンドマンを相手に3WAYマッチで対戦。試合終盤にテリーがサンドマンの頭にゴミ缶をかぶせ、その状態でリチャーズがスーパーキック。ダウンするサンドマンにテリーがムーンサルトプレスを決めて勝利。直後のメインでレイヴェンのECW王座に挑戦。完全に圧倒されたが、トミー・ドリーマーが乱入してレイヴェンにDDTを決め、そのままフォールし、カウント2。最後はスモールパッケージホールドでフォール勝ち。ECW世界ヘビー級王座を獲得。6月6日、ECWの「レッスルパルーザ」でクリス・キャンディードを相手に防衛戦。横回転エビ固めでフォール勝ち。8月9日、ECWアリーナ大会でサブゥーを相手に有刺鉄線マッチで防衛戦を行い、敗れて王座転落。8月17日、ECWのPPV「ハードコアヘブン」のメインで王者のサブゥー、シェーン・ダグラスを相手に3WAYマッチで王座戦。サンドマンの乱入によってサブゥーが敗退し、最後はダグラスとの一騎打ちとなったが、フロントスープレックスをくらって敗れ、王座奪取に失敗した。12月、FMWに来日。12月19日、駒沢オリンピック公園体育館大会でババ・レイ・ダッドリー、サンドマンを相手に3WAYマッチで対戦。6分32秒、ババ・レイのババカッターをくらったサンドマンをテリーがフォールして勝利。ババ・レイと1対1の対戦となり、8分18秒、乱入したディーボンにババ・レイのイス攻撃が誤爆。その隙をついてテリーがフォール勝ち。12月22日、後楽園ホール大会でトミー・ドリーマーと組んでザ・グラジエーター、非道組、ダッドリー・ボーイズと3WAYダンス。7分59秒、3Dで非道がフォール負け。ダッドリーズとの対戦となり、13分59秒、ダブルのDDTでババ・レイにフォール勝ち。12月29日、WWFにチェーンソー・チャーリーの名で登場。ハードコアマッチで活躍。

1998

98年3月、キャクタス・ジャックとWWF世界タッグを一日だけ獲得。11月にECW復帰。

2000

00年1月、WCWに登場。4月にハードコア王者となる。7月22日、XPWのカリフォルニア州ロサンゼルス大会でサブゥーのXPW世界ヘビー級王座に挑戦。牧場の焼きゴテに火をつけてサブゥーに迫るが、相手のセコンドのジョシュ・レイジーの火炎攻撃をくらい、サブゥーからも火の玉攻撃とパンチをくらってダウン。焼きゴテでたたかれてフォール負け。

2001

01年1月28日、全日本のドーム大会で大仁田と組みブッチャーキマラと対戦。10月8日、新日本プロレスの東京ドーム大会で6年5カ月ぶりに新日本プロレスに登場。ドリーと組んで藤波辰爾、ボブ・バックランド組と対戦。10分40秒、藤波の逆さ押さえこみにドリーがフォール負け。12月2日、大日本プロレスの横浜アリーナ大会でテリー・ボーイと組んでカンフー・リー(グレート小鹿)、ミル・マスカラス組と対戦。13分15秒、マスカラスのダイビング・ボディアタックにテリー・ボーイが敗れた。

2002

02年6月29日、XPWのカリフォルニア州ピコ・リベラ大会でジョニー・ウェブのXPW世界ヘビー級王座に挑戦。丸めこまれてフォール負け。8月31日、XPWのペンシルベニア州フィラデルフィア大会でシェーン・ダグラスのXPW世界ヘビー級王座に挑戦。ノーコンテストに終わった。10月、全日本プロレスの創立30周年記念ジャイアントシリーズに来日。10月19日、新潟市体育館大会で武藤敬司、渕正信と組んで天龍源一郎、ブッチャー、荒谷信孝組と対戦。16分12秒、ブッチャーのエルボードロップに渕が敗れた。10月20日、宮城県スポーツセンター大会で武藤敬司、太陽ケア、本間朋晃と組んで天龍源一郎、ブッチャー、荒谷信孝、保坂秀樹組と対戦。16分39秒、ブッチャーのエルボードロップに本間が敗れた。10月21日、スカポルイン黒石大会で渕正信、カズ・ハヤシと組んでブッチャー、ケンドー・カシン、愚乱・浪花組と対戦。16分7秒、カシンの腕ひしぎ逆十字固めに渕が敗れた。10月23日、いわき市平体育館大会で武藤敬司、渕正信、宮本和志と組んでブッチャー、安生洋二、長井満也、保坂秀樹組と対戦。18分20秒、渕が首固めで保坂にフォール勝ち。10月24日、高崎市中央体育館大会でジョニー・スミス、ジミー・ヤンと組んで嵐、保坂、土方隆司組と対戦。15分16秒、スミスがブリティッシュフォールで土方に勝利。10月25日、アクトシティ浜松大会で小島聡、ジョージ・ハインズと組んで安生洋二、長井満也、土方隆司組と対戦。18分13秒、ハインズがハインズドライバーで土方に勝利。10月27日、日本武道館大会でブッチャーと組んでターザン後藤、本間朋晃組と対戦。13分42秒、ブッチャーがエルボードロップで本間に勝利。

2003

03年1月19日、東京ドームで行われた「WRESTLE−1」でヒース・ヒーリングと組んで小島聡、馳浩組と対戦。10分58秒、馳のノーザンライトスープレックスにヒーリングが敗れた。9月20日、ROHのペンシルベニア州フィラデルフィア大会でCMパンクと対戦。足4の字固めをロープエスケープしたがパンクが技を解かなかったため反則勝ち。

2005

05年6月10日、ECW「ハードコア・ホーム・カミング」のメインでサブゥー、シェーン・ダグラスと3WAYで対戦。乱入したミック・フォーリーのダブルアームDDTからテリーがダグラスをフォールしたが、最後はサブゥーのアラビアン・フェイスバスターに敗れた。8月4日、WRESTLE−1の両国国技館大会でミル・マスカラスと組んで本間朋晃、中嶋勝彦組と対戦。10分49秒、マスカラスがダイビング・ボディアタックで中嶋に勝利。

2010

10年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会で長州蝶野中西と組んでブッチャー、矢野飯塚石井組と対戦。65歳とは思えぬ動きで宿敵のブッチャーと好勝負を展開。地獄突きの誤爆からブッチャーと飯塚が仲間割れ。テリーがアイアンフィンガーフロムヘルを飯塚から奪ってブッチャーに手渡し、ブッチャーが飯塚、矢野に地獄突き。さらにブッチャーが飯塚にエルボードロップを決め、最後は8分52秒、中西のアルゼンチンバックブリーカーで飯塚に勝利。試合後のバックステージで「プロレスは最高で、自分達はその中に閉じこめられているようだ。生まれた時からレスラーで、死ぬ時もレスラー。ここから抜け出せない。なんて素晴らしい世界なんだろう」と語った。

2011〜

11年1月29日、ロサンゼルスのホテル・エアポート・ヒルトンでのレッスル・リユニオン5で20人参加のレジェンドバトルロイヤルに参戦。最後まで残り、ロディー・パイパーと1対1の対決となったが、オーバー・ザ・トップロープで敗れた(試合時間は35分54秒)。 13年10月27日、全日本プロレスの両国国技館大会にドリーと共に来日。西村、組と対戦。20分時間切れ引き分け。 14年12月11日、東京愚連隊の後楽園ホール大会に来日し、ミル・マスカラス船木誠勝と組んでNOSAWA論外藤原喜明カズ・ハヤシ組と対戦。15分40秒、マスカラスがダイビングボディアタックで論外に勝利。 15年11月15日、両国国技館での天龍源一郎の引退興行に来場。スタン・ハンセンと共にリングに上がり、引退試合を終えた天龍に花束を渡した。 16年8月25日の東京愚連隊の新宿FACE大会に出場予定だったが、腹壁ヘルニア手術のため来日中止となった。 23年8月23日、死去。



スクラップブック
天龍さんが語る“追悼テリー・ファンク”「俺もテリーになりたい」レスラーが憧れたレスラー
(2023年9月10日7:32配信AERA dot.より)
彼はファンだけでなく、レスラー仲間からの信望も厚かった。裏表がない性格で、試合で暴れて、私生活もそのまま、やんちゃ坊主という感じだった。なんでもあっけらかんとしていて、包み隠さない性格というよりも、包み隠せないタイプ。感情の起伏が激しくて、すぐに考えていることがわかってしまう。
 それでも、彼の試合スタイルや試合後のコミュニケーションの取り方、みんなで一緒に飲んだり、意外とプロレスの話を真正面から真面目に語ったりすることもあり、選手からも好かれていた。彼へのジェラシーで悪く言うレスラーも中にはいたけど、テリーへの心の底からの悪口は誰からも聞いたことがない。それくらい、選手からも親しまれていたんだ。
 テリーはなにに対しても無頓着で、これは馬場さんから聞いたんだけど、ファイトマネーに関しても「OK,OK」と言うだけで、交渉したり揉めたりすることは一度もなかったんだって。アメリカのレスラーは普通、ギャランティに関してはシビアになるもんだけど、テリーとドリーはそういうことが一切なかったそうだ。
(中略)
 俺がグリーンボーイのときも、全日本プロレスでのし上がったときも接し方は変わらなかったし、誰とでも同じように接する。だから、みんな憧れてテリーの真似をしたがるんだ。試合スタイルも試合後の振る舞いも、いつでもテリー・ファンクで、彼の裏話は一切出てこない。だって、裏の顔なんてないんだから。テリー・ファンク、彼は本物の“ビッグ・テクサン”だよ。