ダークロHP / レスラーノート

ディック・ザ・ブルーザー
DICK THE BRUISER


本名:ウィリアム・フリードリック・アフィルス
1929年6月27日
インディアナ州ラファイエット出身
185p 118kg
タイトル歴:AWA世界タッグ WWA世界ヘビー AWA世界ヘビー WWA世界タッグ
得意技:アトミックボムズアウェイ

「生傷男」の異名をとった稀代の悪役レスラー。太い葉巻をくわえた姿がトレードマークだった。高校時代からフットボールの選手として活躍。学生時代からケンカに明け暮れ、7つの大学をケンカが原因で退学。一時は用心棒をしていた。51年から54年までNFLのグリーンベイ・パッカーズに在籍。54年にデビュー。「あまりの暴走ぶりにニューヨークMSGから永久追放となる」といった経歴がプロレス雑誌に書かれた。63年8月、クラッシャー・リソワスキーとの極道コンビで暴れ回り、AWA世界タッグ王座を獲得。同タッグ王座を通算5回獲得。その後、64年に地元のインディアナポリスを本拠地に団体WWAを設立。シカゴ地区の大ボスとして君臨。64年4月、フレッド・ブラッシーを破りWWA世界ヘビー級王座を獲得。65年11月、日本プロレスに初来日。11月24日、大阪府立体育館大会でジャイアント馬場を相手にインター王座の決定戦。 1本目は馬場を場外へ落とし、記者席の電話コードで首を絞めて17分59秒に反則負け。2本目はコーナーに押しこんでチョーク攻撃を続け、制止するレフリーを吹っ飛ばして5分31秒に反則負け。馬場を荒くれファイトで圧倒した。 11月27日、蔵前国技館で馬場のインター王座に挑戦。1本目は7分50秒、32文ドロップキックにフォール負け。2本目は18分24秒、アトミックボムズアウェイで勝利。3本目は4分55秒、両者リングアウトに終わった。66年11月にマッドドッグ・バションを破りAWA世界ヘビー級王座を獲得。リソワスキーと組んでWWA世界タッグ王座を6回獲得した。 68年2月26日、大阪府立体育会館大会でハーリー・レイスと組んで馬場、猪木組のインターナショナル・タッグ王座に挑戦。1本目は13分14秒、反則負け。2本目は1分56秒、ブルーザーが馬場にフォール勝ち。3本目は6分10秒、馬場の逆片エビ固めにレイスが敗れた。2月28日、東京都体育館大会で馬場のインター王座に挑戦。1本目は8分20秒、逆エビ固めで勝利。2本目は3分58秒、リングアウト負け。3本目は2分59秒、水平チョップからフォール負け。72年11月27日、国際プロレスの愛知県体育館大会でリソワスキーと組んでストロング小林グレート草津組を相手に金網デスマッチでのWWA世界タッグ王座の防衛戦。16分、試合中に王者組が金網から出てしまい、無効試合に終わった。 73年7月、ブルーノ・サンマルチノと組んでWWA世界タッグ王座を獲得。80年3月、国際プロレスに最後の来日。85年に引退。WWAは87年5月に消滅した。全日本プロレスには75年、76年と2回来日した。91年11月11日にフロリダ州インディアン・ロングビーチの別荘で喉の動脈破裂により死去。

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