84年にフロリダを仕切っていたエディ・グラハムにスカウトされてデビュー。デビュー当時はカンサス地区でイーグルを名乗り、コヨーテ(スコット・ホール)とアメリカン・スターシップなるチーム名で活躍。チーム解散後86年にWWFに進出したが短期間で離脱。88年5月、全日本プロレスに初来日。以後、全日本プロレスの常連外国人となる。ハンセン、ゴディ、ウィリアムスと共に最強外人として活躍。89年6月、スティングに勝利した試合は名勝負といわれる。11月、フロリダ州オーランドでFCWヘビー級王座を獲得。91年4月にハンセンと組んで世界タッグ王座を獲得。93年5月21日、札幌中島体育センター別館大会で田上明と対戦。11分50秒、のど輪落としに敗れた。その後、WWFに再度進出するが活躍しなかった。WWFでは髪を黒く染め、ウェイロン・マーシーなるサイコパス(精神異常者)系のキャラクターを演じた。引退後は実兄が経営している建設会社で働く。
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