通称「アメリカン・ドリーム」。学生時代はフットボーラー。67年にプロレスデビュー。フロリダ地区のプロモーターであるカウボーイ・ルッタロース・ジュニアがマッチメイカーのエディ・グラハムに相談し、ディック・マードックとローデスを組ませることにした。68年10月、ディック・マードックとテキサス・アウトローズを結成。NWAやAWAで活躍。11月にセントラルステーツ・タッグ王座を獲得。70年3月にデトロイト地区認定世界タッグ王座を獲得。71年11月、国際プロレスに初来日。74年を皮切りにフロリダ・ヘビー級王座を通算10回獲得。75年11月、全日本プロレスに来日。76年1月30日、アトランタでジョージア・ヘビー級王座を獲得。79年8月、フロリダ州タンパでハーリー・レイスを破りNWA世界ヘビー級王座を獲得。同王座には通算3度就いた。10月に新日本プロレスに来日。80年4月、新日本プロレスに来日し、第3回MSGシリーズに参戦。予選トーナメントを突破して決勝リーグに進出。5勝2敗2引き分けで10人中5位に終わった。5月27日、大阪府立体育会館大会でボブ・バックランドのWWF世界王座に挑戦。19分12秒、レフリーを突きとばして反則負け。81年6月21日、ジョージア州アトランタでハーリー・レイスをフライング・ボディアタックで破りNWA世界ヘビー級王座2度目の獲得。80年代になると、ジム・クロケット・プロモーションのブッカーに就任。ビッグイベント「スターケード」や「ザ・グレート・アメリカン・バッシュ」を開催した。85年12月19日、ニューメキシコ州アルバカーキでNWAナショナルヘビー級王座を獲得。86年7月26日、ノースカロライナ州グリーンズボロでの「ザ・グレート・アメリカン・バッシュ」でリック・フレアーを破りNWA世界ヘビー級王座3度目の獲得。88年9月13日、息子ダスティン・ローデスがデビュー。89年2月、フロリダ州にFCWを設立。その後すぐにPWFに改称。3月11日、ビッグ・スティールマンを王座決定戦で破り、初代PWF世界ヘビー級王者となる。8月、WWF移籍のためPWFを離脱。90年9月にWWFで親子タッグを組んだ。91年1月、WWFを離脱。同年にWCWに登場。92年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会でダスティ・ローデス・ジュニアと組んでキム・ドク、マサ斎藤組と対戦。14分23秒、ローデス・ジュニアがブルドッキングヘッドロックで斎藤に勝利。90年半ばにテレビ解説者に転身。00年3月12日、ECWのPPV「リヴィング・デンジャラスリー」でスティーブ・コリノを相手にブルロープマッチで対戦。頭部へのイス攻撃からエルボードロップを決めてフォール勝ち。4月22日、ECWアリーナでの「サイバースラム」でスティーブ・コリノと対戦。カウベルを腕に巻きつけてのエルボードロップをくらってフォール負け。その後、WCWに登場。WCW崩壊後は地元ジョージア地区でインディ団体を運営。05年9月からWWEのエージェントとして活躍。06年6月、息子のコーディ・ローズがWWEの2軍団体のOVWでデビュー。11月26日、「サバイバー・シリーズ」でリック・フレアー、サージェント・スローター、ロン・シモンズと組んで、スピリット・スクワッドとイリミネーション・マッチで対戦。10分31秒、フレアーが四の字固めで勝利した。07年7月22日、「グレート・アメリカン・バッシュ」で「レジェンドキラー」のランディ・オートンと対戦。カウベルで頭を叩かれて、5分40秒に敗れた。15年6月11日、死去。
とにかくお祭り好きで。たしか日本の車に乗ってたよ、あのころから。いつも俺に会うと、「日本車、サイコー」って言ってた(笑)。すごいスピードも出してたけどね。マイアミからタンパまで250マイル。普通は5時間以上かかるけど、ダスティは3時間くらいで行っちゃう(笑)。よく覚えてることがある。マイアミの下にキーウエストってキューバに近い、リゾート地があって。2カ月に一回そこの球場場で試合をするの。ある時、ダスティがなかなか来ない。みんな「メインイベンターが来ない」って心配してたよ、それは。そしたらヘリコプターで来て、そのままリングに下りて試合してた(笑)。演出だとは思うけど、すごいことやるなぁって思ったよ。観客は知らないし、プロモーターも知らなかったんだから。みんなイライラしてたけど、結果的にはお客さんを大熱狂させた。で、試合終わったらそのままヘリコプターで帰っていった(笑)。トンパチなんてもんじゃない。多分、一部のブッカーは知ってたと思うけど、そういう演出がよく似合ったよ。スピーチもそうだし、プロレスの実力以外の面であそこまでの人は出てこないと思う。だからレスリングのうまい選手は彼とやりたがらなかった。エネルギー吸い取られちゃうから。晩年はよく政治家の応援演説もやってた。たしかブッシュの弟と仲もいいし。人間的な大きさ、人を驚かすパフォーマーぶりとかで彼の右に出る選手はいないと思う。日本だと特にいないだろうね。日本人とは気質が合わない感じはわかる。派手すぎるのかな?日本の風土には合わないよ。向こうではダスティがリングに上がるだけで泣いてるお客さん、いっぱいいたけどね。
(週刊プロレスNo.1801 タイガー服部の連載記事より)
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