ダークロHP / レスラーノート

セーラー・ホワイト
SAILOR WHITE


本名:エドワード・ジョン・ホワイト
1949年5月18日
カナダ・ニューファンドランド出身
183cm 160kg
タイトル歴:WWF世界タッグ
得意技:パイルドライバー

船乗りだったが、72年5月にプロレス入り。デビュー当時は水夫をイメージしたコスチュームで活躍。74年3月に国際プロレスに初来日。彼のラフファイトが国際プロレスに助っ人参戦していた馬場の目に止まり、そのまま4月に全日本プロレスに登場。第2回チャンピオンカーニバルに出場し、1回戦でサンダー杉山に敗退。全日本プロレスのシリーズが終わると国際プロレスのシリーズに残留参加。3シリーズ、3ヶ月間日本に滞在した。76年1月に国際プロレスに登場。24日にラッシャー木村のIWA王座に挑戦したが敗退。その後、ヨーロッパ遠征。帰国後、カナダのモントリオール、ノバスコシア両地区のヘビー級王者となる。78年1月に国際プロレスに登場。19日にラッシャー木村のIWA王座に挑戦。金網デスマッチで対戦した。カナダで活躍していたが、81年にWWFに進出。WWFではムーンドッグ・キングと名のり、レックス・ムーンドッグと組んでタッグで活躍。81年3月、レックスと組んでリック・マーテルトニー・ガレア組を破りWWF世界タッグ王座を獲得。5月にチームを解散しWWFを離脱。ムーンドッグスはレックスとスポットのチームとなり、WWFタッグ王座はムーンドッグスがそのまま保持した。その後はカナダに戻る。82年にモントリオール地区でインターナショナルタッグ王座を獲得。同年にディノ・ブラボーを破りインターナショナルヘビー級王座も獲得している。05年8月26日にニューファンドランドで死去。
「彼と初めて会ったのはモントリオールなんだけど、いつも威張った感じで控室にいるんですよ。でも、試合はしていないんで話を聞いたら、向こうでは遅刻する奴とか来ない奴がいるんで、その時の代役要員としていたんです。そのうちにたまに試合に出るようになって、僕と年齢が一緒ってことで結構ウマが合ってね。レスリングの細かいテクニックは使わないけど、ラフ攻撃なんかは巧くて、よく酔っぱらってチンピラと喧嘩したりするんですよ。“俺はストリートファイトには自信あるから”って。彼がある時、酔っぱらってビル・ロビンソンに“強いらしいけど、どれぐらい強いんだ!?”って汚い言葉を浴びせて絡んでね。怒ったロビンソンが“表に出ろ”と。2人で外に出たんだけど、セーラーが簡単にロビンソンをノックアウトしちゃったんですよ。ロビンソンはサブミッションをやったら強いかもしれないけど、殴り合いは違いますからね。やっぱり喧嘩馴れしてる方が強いんですよ。日本に来た時には敵同士だから、ホワイトと飲み歩いたりできないじゃないですか?でも、1回だけ飯を食いに行った時に、酔っぱらってコップをバリバリ食ってましたよ。酔うとメチャクチャになる馬鹿な奴だけど、僕は好きでしたね」(GスピリッツVol.31 マイティ井上のインタビューより)

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