レスラーノート

KENSO

本名:鈴木健三
1974年7月25日
愛知県碧南市出身
191cm 118kg
血液型:O型

タイトル歴
世界タッグ(WWE)
世界タッグ(全日本プロレス)
GAORA・TV
VKF王座
得意技
葉隠(シャイニング・ウィザード)
葉隠2(アイアンクローをかけながら大外刈り)
ダブルニードロップ

刈谷北高校時代よりラグビーを始め、帝京大学を経て、英国のクラブチーム「バース」に約8カ月間のラグビー留学も経験。その後は明治大学ラグビー部に在籍し大型ロックとして活躍。95年、96年と2年連続で大学日本一に輝き、97年には日本代表チームの一員に選出されてフィジー、 オーストラリアに遠征した。 98年4月、複数の社会人チームからの誘いを断り、東海テレビに就職。

1999

99年3月31日に退社。4月1日、新日本プロレス入団を発表し、7月にはカナダ・カルガリーヘ渡り、大剛鉄之助の元で約2カ月間、トレーニングを積んだ。

2000

00年1月4日、東京ドーム大会での中西学戦でデビュー。6分41秒、アルゼンチン・バックブリーカーに敗れた。新日本プロレスが期待を寄せる大型ルーキーだった。4月シリーズでの第8回ヤング・ライオン杯では、デビューわずか4ヶ月にして優勝という最短記録をうち立てた。6月29日、郡山で安田から殊勲の白星を奪取。8月にはG1クライマックスに初出場。4戦全敗に終わった。00年のプロレス大賞新人賞を受賞した。

2001

01年2月に左手首を骨折し戦列を離れたが、5月に後楽園で3ヶ月ぶりに復帰し、棚橋とのコンビ「キング・オブ・ザ・ヒルズ」を結成。同年12月にはG1タッグリーグ戦に初出場。12月23日からリング名を鈴木健想に改名。

2002

02年2月1日、北海道立総合体育センター大会で、アントニオ猪木に対し、「僕には、新日本の明るい未来が見えません!」とマイクアピール。その場の空気を読まずに放ったいきなりの新日本批判発言が、後々まで波紋を残した。3月6日、後楽園ホール大会でのヤングライオン・トーナメントで柴田勝頼、棚橋弘至に勝利して優勝。3月10日、体調不良のため後楽園ホール大会を欠場。肺気胸のため入院し、長期欠場。5月24日に復帰。8月にはG1に出場。2勝3敗でリーグ戦に敗退した。

2003

03年1月4日、東京ドーム大会で4選手参加のヤングジェネレーション杯に参戦し、1回戦で柳澤龍志と対戦。9分23秒、膝蹴りをくらってフォール負け。同月に新日本プロレスを離脱してWJプロレスに入団した。7月の初代WMG王座決定トーナメントで準優勝。8月、WJを退団。10月、WWEの入団テストに合格。日本人選手としては破格のメジャー3年契約を結んだ。浩子夫人もWWEのディーバ、ゲイシャガールとして活躍。

2004

04年9月7日にはレネ・デュプリと組んで世界タッグ王座を獲得した。

2005

05年2月5日、さいたまスーパーアリーナでのWWEの日本公演に来日し、エディ・ゲレロと対戦。4分17秒、フロッグ・スプラッシュに敗れた。その後、肺気胸が再発し手術。3か月間入院した。同年にWWEを離脱。11月3日、横浜アリーナでのハッスルマニアで元狂言師の和泉元彌と対戦。8分54秒、空中元彌チョップに敗れた。その後はメキシコのCMLLでヒールとして活躍。

2006

06年8月18日、大日本プロレスの後楽園ホール大会でアブドーラ小林と組んでマッドマン・ポンド、2・タフ・トニー組とデスマッチで対戦。ホッチキスで紙を右肩、額、頬につけられるなど、デスマッチに苦戦しつつも15分4秒、葉隠2でトニーに勝利。8月20日、「WRESLE EXPO 2006」での有刺鉄線電流爆破デスマッチでDDTの高木三四郎と対戦。15分45秒、葉隠2からの垂直落下式ブレーンバスターで勝利した。12月15日にコルリオーネ(マーク・ジンドラック)と組んでショッカー、ウニベルソ・ドスミルとカベジェラ・コントラ・カベジェラ(敗者髪きりマッチ)で対戦。敗れて髪の毛を丸坊主にした。

2007

07年3月にAAAに移籍。3月18日の「レイ・デ・レイジェス」のセミファイナルでAAAデビュー。スコット・スタイナー、ムエルテ・シベルネティカと組んでシベルネティコ、チェスマン、チャーリー・マンソン組と対戦し敗れた。7月15日にAAAの年間最大イベント「トリプレマニア」のメインに出場。Xパック、エル・メシアスと組んでシベルネティコ、チェスマン、チャーリー・マンソン組と金網マッチで対戦。シベルネティコと試合終盤に争ったが、健想が金網に最後まで残ってしまい敗れた。敗れた健想はルールにより丸坊主となった。11月25日、ドラゴンゲートの大阪府立体育会館大会で、ドラゴン・キッドと対戦。13分4秒、ウルトラ・ウラカンラナに敗れた。

2008

08年2月1日、AAAで森嶋猛、アビスモ・ネグロと組んで、チェスマン、チャーリー・マンソン、丸藤正道組と対戦。16分38秒、丸藤の不知火をアビスモ・ネグロがくらって敗れた。その後もAAAで多国籍軍「レヒオン・エクストランヘラ」の一員として活躍。6月13日、AAAのビッグイベント「トリプレマニア」のセミファイナルに出場し、ラシュリー、エレクトロ・ショックと組んでラ・パルカ、チェスマン、シルバー・キング組と対戦。レフリーの死角を突いた健想の急所蹴りでパルカにフォール勝ちした。

2009

09年にオリエンタル、スギサン(杉卓也)でチーム「ヤクザ」を結成。10月9日、アレナ・ハラパ大会で潮崎豪、スギサンと組んでドクトル・ワグナー・ジュニア、エレクトロ・ショック、ウルティモ・グラディアドール組と対戦。19分11秒、グラディアドールの足かけ式アバラ折りにスギサンが敗れた。

2010

10年7月25日、全日本プロレスの後楽園ホール大会に突如出現し、ブードゥー・マーダーズと共に欠場中の武藤敬司を襲撃。以後、KENSOに改名し、ブードゥー・マーダーズの一員として全日本プロレスに参戦。8月15日、後楽園ホール大会で初試合。TARU、レネと組んで近藤真田組と対戦。11分45秒、KENSOのダブルニードロップで近藤に勝利。8月29日、両国国技館大会でムタと対戦。10分30秒、ダブルニードロップで勝利した。9月20日、後楽園ホール大会でレネと組んでケア組の世界タッグ王座に挑戦。16分43秒、合体技のボルケーノスプラッシュにレネがフォール負け。11月、世界最強タッグ決定リーグ戦にKONOと組んで参戦。リーグ戦を1位で突破。12月7日、仙台サンプラザ大会での決勝で諏訪魔、浜組と対戦。ブードゥ・マーダーズの乱入による援護を受けて20分44秒、KONOがダイビング・ニードロップで浜にフォール勝ち。リーグ戦に優勝した。

2011

11年1月3日、後楽園ホール大会でKONOと組んで曙、ケア組の世界タッグ王座に挑戦。試合中にKONOと仲間割れ。13分20秒、曙のトップロープからのダイビングボディプレスにKENSOが敗れた。試合後にブードゥー・マーダーズから脱退した。1月10日、浜北総合体育館大会で西村修と対戦。17分26秒、首固めで勝利。2月6日、後楽園ホール大会でTARUと対戦。MAZADAスーパー・ヘイトの乱入で苦戦したが、ゾディアックの助けを受けて逆転し、15分25秒、HAGAKUREで勝利。2月11日、大阪府立体育会館第2競技場大会でKONOと対戦。12分58秒、葉隠れで勝利。2月13日、恵那市民会館大会で三冠王座挑戦権を賭けてKONO、曙と3WAYマッチで対戦。7分42秒、KENSOが葉隠れで曙にフォール勝ち。3月21日、両国国技館大会のメインで諏訪魔の三冠王座に挑戦。29分25秒、ラストライドに敗れた。4月8日からチャンピオンカーニバルに参戦(後楽園ホールでの全5戦)。第1戦で鈴木みのると対戦し、14分25秒、ゴッチ式パイルドライバーに敗れた。この試合で脳震盪を起こし、その後のリーグ戦は不戦敗となった。4月30日、ディファ有明大会でヘイトと対戦。7分36秒、消火器噴射、急所蹴りからの片エビ固めにフォール負け。5月15日、後楽園ホール大会で武藤と組んでKONO、ドーリング組と対戦。試合中に頭巾をかぶったムタが登場し、扉から退場。12分48秒、KENSOがダブルニードロップでKONOに勝利。試合後にTARUから「おい、KENSO、武藤、ムタ呼んでこい、こら!」と、ムタの試合出場をマイクで要求された。5月22日、熊本市食品交流館大会でスーパー・ヘイトと対戦。8分20秒、レフリー暴行による反則勝ち。6月12日、後楽園ホール大会でムタ、TAJIRIと組んで船木、鈴木みのる、KAI組と対戦。16分30秒、船木のバックドロップをくらってKENSOがフォールされ、カウント2で返したかに見えたがフォール負け。6月19日、両国国技館大会で曙、浜組を相手に世界タッグ王座決定戦。8分54秒、ムタがシャイニングウィザードで浜に勝利して世界タッグ王座を獲得した。7月18日、後楽園ホール大会で大森隆男と対戦。13分36秒、アックスボンバーに敗れた。7月21日、栃木県総合文化センター大会で太陽ケアと対戦。11分2秒、波乗り落としに敗れた。7月31日、愛知県体育館大会で太陽ケア、大森組を相手に防衛戦。16分17秒、KENSOのダブルニードロップで大森に勝利。8月13日、後楽園ホール大会で大森を相手にファイブ・メンズ・ディシション・デスマッチで対戦。試合中に5人の選手が投入されて、個人の意思でどちらかを攻撃することができるという過酷なルールで人望を試されることになった。1人目の船木は両者を攻撃、2人目の西村はKENSOを卍固め、3人目の中之上はKENSOにタックル、4人目のレネ・デュプリは大森をとらえてKENSOのイス攻撃を呼びこんだがよけられて誤爆、5人目の征矢学が大森にデスバレーボム。最後は7分57秒、ダブルニードロップで勝利。8月27日、日本武道館での全日本、新日本、ノアの合同チャリティ興業「ALL TOGETHER」に出場し、メインで中邑杉浦と組んで、棚橋、諏訪魔、潮崎組と対戦。突然、味方の2人に張り手をくらわし、杉浦のオリンピック予選スラム、中邑のボマイェをくらい、最後は22分50秒、潮崎のラリアット、諏訪魔のラストライド、棚橋のハイフライフローをくらって敗れた。10月10日、後楽園ホール大会でカズ・ハヤシと対戦。9分59秒、ダブルニードロップで勝利。ハヤシを「TEAM ビチッと!」に加入させた。同日にムタ、ハヤシと組んでダーク・オズ、ダーク・クエルボ、MAZADA組と対戦。12分16秒、KENSOがダブルニードロップでMAZADAに勝利。10月23日、両国国技館大会でダーク・オズ、ダーク・クエルボ組を相手に防衛戦。14分44秒、オズのオズスペシャルにKENSOが敗れて王座転落。11月19日から始まった世界最強タッグ決定リーグ戦にカズ・ハヤシと組んで出場。3勝6敗に終わった。12月25日、沖縄県立武道館大会でカズ・ハヤシと対戦。15分55秒、葉隠れで勝利。

2012

12年2月19日、SMASHの東京ドームシティホール大会でVENENOと組んでサブゥー、葛西純組と対戦。3月4日、後楽園ホール大会でカズと組んで大森、征矢学組を相手に世界タッグ王座挑戦権を賭けてTLCマッチで対戦。10分31秒、征矢が尻を出しながらも天井に吊るされた権利書を獲得したため敗れた。試合後にカズがTEAM ビチッと!からの離脱を表明した。4月21日からチャンピオンカーニバルに参戦。開幕戦の後楽園ホール大会で永田裕志と対戦。15分37秒、バックドロップホールドに敗れた。4月23日、イコス上尾大会で関本大介と対戦。13分22秒、ジャーマンスープレックスに敗れた。4月28日、米子ビッグシップ大会で大森と対戦。19分36秒、葉隠れで勝利。4月29日、ふくやま産業交流館ビッグローズ大会のメインで諏訪魔と対戦。17分17秒、ラストライドに敗れた。4月30日、井原市井原体育館大会で河野真幸と対戦。13分11秒、ダイビングニードロップに敗れた。5月4日、名古屋国際会議場大会で浜と対戦。11分11秒、ダブルニードロップで勝利。リーグ戦を2勝4敗で終えた。5月12日、藤沢市秩父宮体育館大会で浜と対戦。11分52秒、ランニングボディプレスに敗れた。5月19日、築上町椎田体育館大会でハヤシと対戦。11分31秒、葉隠れで勝利。9月8日、後楽園ホール大会でザ・グレート・サスケと組んで西村、井上雅央組と対戦。10分28秒、サスケがセグウェイで井上に勝利。試合後のリング上で、世界最強タッグ決定リーグ戦への出場を依頼し、サスケと握手した。11月17日から世界最強タッグ決定リーグ戦にサスケと組んで参戦。11月20日、銅夢にいはま大会での試合中にサスケが左肩甲骨骨折の重傷を負い、欠場。公式戦を1試合もしないまま、リーグ戦は全試合不戦敗に終わった。12月15日、後楽園ホールでの「ファン感謝デー」でアンディ・ウーとウィップ・アス・ランバージャックデスマッチ(リング下のセコンドたちがリングに落ちた選手を鞭で叩くランバージャックデスマッチ)で対戦。6分11秒、ダイビングエルボードロップで勝利。

2013

13年1月2日、後楽園ホール大会でSUSHIと対戦。7分13秒、ダイビングエルボードロップで勝利。1月19日、横浜ラジアントホール大会でSUSHIと対戦。9分13秒、ダイビングエルボードロップで勝利。1月22日、千葉ポートアリーナ・サブアリーナ大会でSUSHIと対戦。8分27秒、ダイビングエルボードロップで勝利。2月9日、京都KBSホール大会でSUSHIと対戦。9分43秒、葉隠れで勝利。3月12日、山形ビッグウイング大会でSUSHIと対戦。9分42秒、ダイビングエルボードロップで勝利。3月13日、弘前市河西体育センター大会でSUSHIと対戦。10分40秒、ダイビングエルボードロップで勝利。3月15日、岩手県営体育館大会でSUSHIと対戦。11分、葉隠れで勝利。3月31日、明石市立産業交流センター大会で大和ヒロシと対戦。9分28秒、ダブルアーム式パイルドライバーで勝利。4月18日から始まったチャンピオンカーニバルに出場。開幕戦の後楽園ホール大会で秋山準と対戦。12分43秒、リストクラッチ式エクスプロイダーに敗れた。4月24日、茅野市民館大会で船木と対戦。13分17秒、腕ひしぎ逆十字固めに敗れた。4月25日、名古屋国際会議場大会でジョー・ドーリングと対戦。11分1秒、横入り式エビ固めでフォール勝ち。4月26日、松下IMPホール大会でKAIと対戦。16分26秒、スプラッシュプランチャに敗れた。4月27日、松下IMPホール大会で曙と対戦。9分30秒、リングアウト勝ち。リーグ戦は2勝3敗に終わった。その後、肺気胸により長期欠場。6月30日、両国国技館大会で復帰戦を行い、潮崎と対戦。14分53秒、ゴーフラッシャーに敗れた。この大会を最後に武藤派が全日本プロレスを離脱。全日本プロレスが分裂した。分裂後も全日本プロレスに残留。7月14日、新体制となった初の大会となる後楽園ホール大会で秋山と対戦。14分56秒、ランニングニー、リストクラッチ式エクスプロイダーからのランニングニーに敗れた。7月17日、松本平広域公園内体育館大会で井上雅央と対戦。10分45秒、葉隠れで勝利。7月21日、大阪府立体育会館第2競技場大会でジョー・ドーリングと対戦。16分41秒、レボリューションボムに敗れた。7月23日、高松シンボルタワー展示場大会で金丸義信と対戦。10分7秒、葉隠れで勝利。7月25日、新居浜商業振興センター銅夢にいはま大会で宮本和志と対戦。12分17秒、葉隠れで勝利。8月17日、博多スターレーン大会で宮本と対戦。12分55秒、葉隠れで勝利。8月27日、VKFの新宿FACE大会で矢郷良明のVKF王座に挑戦。14分40秒、葉隠れで勝利。VKF王座を獲得した。9月14日、王道トーナメントに参戦し、横浜ラジアントホール大会での1回戦でバンビ・キラーと対戦。13分24秒、バンビデスショットに敗れた。11月18日、潮崎が新しく結成したユニットに加入。11月21日、シリーズ開幕戦の後楽園ホール大会で潮崎と組んでディーロ・ブラウン、バンビ・キラー組と対戦。13分39秒、KENSOが葉隠れを潮崎に決めて、ディーロがフォール勝ち。初戦でいきなり裏切り、大ブーイングの中、ユニットから脱退した。11月27日、京都KBSホール大会で宮原健斗と対戦。11分23秒、葉隠れで勝利。11月30日から始まった世界最強タッグ決定リーグ戦にディーロ・ブラウンと組んで参戦。リーグ戦を1勝5敗1両者リングアウトで終えた。12月15日、後楽園ホール大会で宮原と対戦。12分48秒、KEOSOが腰布で首を絞め、さらにレフリーに暴行したため反則負け。試合後に潮崎との対戦を要求した。

2014

14年1月2日、後楽園ホール大会で潮崎と対戦。13分43秒、ゴーフラッシャーに敗れた。同月、蝶野正洋、ディーロ・ブラウン、バンビ・キラーとダーク・キングダムを結成。すぐに3人が全日本プロレスを離脱して1人だけのユニットになったが、2月から長井満也がダーク・キングダムに加入。その後、南野タケシ、真霜拳號、新井健一郎、ベアー福田らが加入した。2月23日、沖縄コンベンションセンター大会で諏訪魔と対戦。11分26秒、ラストライドに敗れた。4月13日から始まったチャンピオンカーニバルに参戦。開幕戦のベルサール渋谷ガーデン大会で潮崎と対戦。13分15秒、ラリアットに敗れた。4月15日、河西体育センター大会でドーリングと対戦。6分43秒、レボリューションボムに敗れた。4月23日、後楽園ホール大会で吉江豊と対戦。11分23秒、DKロック(変形外道クラッチ)でフォール勝ち。4月26日、名古屋国際会議場大会で秋山と対戦。9分45秒、足四の字固めに敗れた。4月27日、大阪府立体育会館大会でゼウスと対戦。8分2秒、ラリアットに敗れた。リーグ戦を1勝4敗で終えた。5月29日、後楽園ホール大会のメインで真霜と組んで諏訪魔、ドーリング組の世界タッグ王座に挑戦。26分35秒、ドーリングのレボリューションボムにKENSOが敗れた。7月12日、大阪府立体育会館第2競技場大会で長井と組んで秋山、大森組の世界タッグ王座に挑戦。27分13秒、大森のアックスボンバーに長井が敗れた。7月13日、島根・湖遊館大会で鈴木鼓太郎と対戦。11分58秒、葉隠れで勝利。7月14日、浜田市金城総合運動公園大会で宮原と対戦。1分38秒、ブレイクハートに敗れた。7月25日、水戸市東町・県立スポーツセンター大会でゼウスと対戦。13分44秒、葉隠れで勝利。8月16日、後楽園ホール大会でゼウスと対戦。12分7秒、ジャックハマーに敗れた。8月30日、愛知県体育館大会で真霜、長井と組んで入江石井慧介、高尾組のKO−D6人タッグ王座に挑戦。試合中に真霜に裏切られ、11分4秒、入江のフライングソーセージをくらってKENSOが敗れた。9月15日、後楽園ホール大会での王道トーナメントに参戦し、1回戦で鈴木鼓太郎と対戦。9分24秒、エンドレスワルツにフォール負け。10月5日、羽村市リサイクルセンター大会で大森と対戦。14分48秒、アックスボンバーに敗れた。10月8日、木更津市民体育館大会で諏訪魔と対戦。14分1秒、万力スリーパーに敗れた。10月17日、大阪・アゼリア大正ホール大会で潮崎と対戦。16分26秒、ラリアットに敗れた。10月22日、後楽園ホール大会で真霜拳號と対戦。12分36秒、パウダー攻撃、垂直落下式ブレーンバスターからの葉隠れで勝利。10月25日、三条市栄体育館大会でゼウスと対戦。10分41秒、葉隠れで勝利。11月16日から始まった世界最強タッグ決定リーグ戦に長井と組んで参戦。2勝5敗に終わった。12月14日、後楽園ホール大会で鈴木鼓太郎のTV王座に挑戦。14分39秒、ダイビングエルボードロップで勝利してGAORA・TV王座を獲得した。12月31日、新木場1stRINGでの佐野直の自主興行のメインで佐野直と対戦。15分7秒、ダイビングエルボードロップで勝利。

2015

15年1月2日、後楽園ホール大会のメインで長井と組んで秋山、大森組の世界タッグ王座に挑戦。16分48秒、大森のスライディング式アックスボンバーにKENSOが敗れた。1月3日、後楽園ホール大会で土方隆司を相手に防衛戦。9分19秒、葉隠れからのダイビングエルボードロップで勝利。1月11日、名古屋市中村スポーツセンター大会で青柳政司を相手に防衛戦。9分37秒、ダイビングエルボードロップ3連発で勝利。1月12日、淀川区民センター大会で三冠王座への挑戦権を賭けてゼウスと対戦。17分25秒、ジャックハマーに敗れた。2月11日、館林市民体育館大会で大森と対戦。7分53秒、アックスボンバーに敗れた。2月13日、銚子市体育館大会で諏訪魔と対戦。10分46秒、ラストライドに敗れた。2月14日、千葉Blue Field大会でジョー・ドーリングと対戦。8分51秒、レボリューションボムに敗れた。3月14日、蓮田市総合市民体育館大会で佐藤光留を相手に防衛戦。17分50秒、ダイビングエルボードロップで勝利。3月16日、新潟市体育館大会で宮原と対戦。12分41秒、ブレイクハートに敗れた。4月5日から始まったチャンピオンカーニバルに参戦。4月12日、山形ビッグウイング大会でゼウスと対戦。14分46秒、ジャックハマーに敗れた。4月13日、宮城野区文化センター大会で秋山と対戦。9分29秒、リストクラッチ式エクスプロイダーに敗れた。4月19日、名古屋国際会議場大会で曙と対戦。11分20秒、ヨコヅナインパクトに敗れた。4月21日、栃木県総合文化センター・サブホール大会でドーリングと対戦。10分41秒、レボリューションボムに敗れた。4月22日、上田創造館大会で宮原と対戦。14分8秒、パッケージジャーマンスープレックスに敗れた。リーグ戦は5戦全敗に終わった。5月6日、後楽園ホール大会で大森と対戦。7分8秒、アックスボンバーに敗れた。5月9日、Blue Field大会でタンク永井と対戦。10分59秒、ダイビングエルボードロップで勝利。5月13日、鶴ヶ城体育館大会でボディガーと対戦。10分40秒、アルゼンチンバックブリーカーに敗れた。5月14日、一関市総合体育館大会でビリーケン・キッドと対戦。10分29秒、ダイビングエルボードロップで勝利。6月4日、後楽園ホール大会でSUSHIを相手に防衛戦。13分6秒、乱入した南野の缶ビールでの殴打が誤爆し、TEKKAMAKIにフォール負けして王座転落。8月1日、全日本プロレスを退団してフリーに転向。8月17日、全日本プロレスのロワジールホテル豊橋大会でゼウスと対戦。12分48秒、ジャックハマーに敗れた。9月13日、全日本プロレスの高松シンボルタワー展示場大会での王道トーナメント1回戦で金丸と対戦。14分19秒、ジャックナイフ式エビ固めにフォール負け。10月11日、ZERO1の後楽園ホール大会でTARUと対戦。7分18秒、葉隠れで勝利。10月21日、全日本プロレスのアイメッセ山梨大会で野村直矢と対戦。7分16秒、ラリアットで勝利。11月3日、DDTの名古屋国際会議場大会で高木と対戦。6分38秒、エジプトの秘薬攻撃からの片エビ固めにフォール負け。11月8日、DDTの春日部ふれあいキューブ大会で伊橋剛太、岩崎孝樹と3WAYマッチ。4分57秒、KENSOがラリアットで岩崎に勝利。11月23日、ZERO1の新木場1stRING大会で崔領二と組んで佐藤耕平、関本組のNWAインターコンチネンタルタッグ王座に挑戦。16分52秒、関本のジャーマンスープレックスに崔が敗れた。11月23日から始まった全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグ戦に西村と組んで参戦。リーグ戦は3勝3敗に終わった。

2016

16年1月31日、DDTの後楽園ホール大会の開始前に高木三四郎を相手にエニウェアフォール60分アイアンマンマッチで対戦。16対16で引き分け。2月12日、ヤンゴン市Thein Phyu競技場で開かれたミャンマー初のプロレス大会で日高と組んで鈴木秀樹、サンジェイ・ダット組と対戦。18分1秒、サンジェイのムーンサルトプレスに日高が敗れた。5月11日、DDT・DNAの北沢タウンホール大会で岩崎孝樹と対戦。10分56秒、ダイビングエルボードロップで勝利。6月5日、DDTの春日部ふれあいキューブ大会でのKING OF DDTトーナメント1回戦でアントーニオ本多と対戦。14分11秒、葉隠れで勝利。6月9日、DDT・DNAの北千住シアター1010大会でレインボー・カワムラと対戦。8分54秒、垂直落下式ブレーンバスターで勝利。6月12日、大阪府立体育会館・第2競技場大会での2回戦でHARASHIMAと対戦。16分6秒、蒼魔刀に敗れた。7月1日、DDTの北沢タウンホール大会で梅田公太と対戦。16分56秒、逆さ押さえ込みにフォール負け。7月10日、DDTのグリーンドーム前橋サブアリーナ大会で平田一喜と対戦。10分19秒、垂直落下式ブレーンバスターで勝利。9月3日、IGFの東京ドームシティホール大会でラジャ・シンと対戦。12分14秒、ダイビングエルボードロップで勝利。

2017

17年2月23日、DSWの新木場1stRING大会でユン・ガンチョルのNKPWA韓国ヘビー級王座に挑戦。12分57秒、両者リングアウト。3月12日、全日本プロレスの後楽園ホール大会で秋山を相手にGAORA・TV王座決定戦。9分28秒、リストクラッチ式エクスプロイダーに敗れた。4月8日、上海バンダイナムコ・ドリームホールでの上海IGFの旗揚げ戦のメインで常剣鋒と組んでアレクサンダー大塚、林棟軒組と対戦。14分49秒、常がフロッグスプラッシュで林に勝利。8月11日、DDT・ガンプロの板橋グリーンホール大会で「ガンバレ☆クライマックス」トーナメントに参戦し、1回戦でベン・マッコイと対戦。9分58秒、魂のレッグロックで勝利。8月12日、板橋グリーンホール大会での2回戦でケンドー・カシンと対戦。12分20秒、リングアウト勝ち。8月13日、両国KFCホール大会での準決勝でデイブ・クリストと対戦。10分57秒、魂のレッグロックで勝利。同日の決勝で大家健と対戦。16分8秒、炎のスピアに敗れた。

2018

18年3月11日、ノアの横浜文化体育館大会でジェイ・ブラッドリーと組んでマイバッハ谷口、長井組と対戦。9分34秒、谷口のマイバッハボムツヴァイにブラッドリーが敗れた。4月29日、ノアの新潟市体育館大会で長井と対戦。9分31秒、首固めでフォール勝ち。5月4日、ノアの後楽園ホール大会でマイバッハ谷口と対戦。9分41秒、両者リングアウト。

2021

21年5月30日、チャクリキの大阪・世界館大会で鈴木悟と対戦。9分25秒、首固めでフォール勝ち。
鈴木浩子(旧姓:水野)
1975年7月14日 千葉県出身
明治大学文学部卒業。大学在学中から、月刊誌「ラクビーワールド」にて記者を勤める。卒業後の98年、福島中央テレビ(日本テレビ系列)にアナウンサーとして入社。00年に退社。フリーとなり、テレビやラジオの司会で活躍。03年12月13日に、鈴木健想と入籍を発表。鈴木の明大ラグビー部在籍時代から交際していた。ケンゾーがWWEに登場した時にはヒロコの名で芸者の格好をしてマネージャーとなった。
スクラップブック
異色のテレビマン
(2020年7月 共同テレビジョンのHPより)
第3制作部所属の営業プロデューサー、鈴木健三。共同テレビに中途入社した彼の経歴は、まさに知る人ぞ知る華麗なものだった・・・。今回は、そんな異色のテレビマン鈴木健三の波乱万丈のキャリアに迫る!
Q  鈴木さんは共同テレビに入る前はかなり異色な経歴をお持ちだそうですが・・・。
鈴木 はい。高校から始めたラグビーを大学でも続け、進学した明治大学では大学日本一に2度なることができました。ただし、卒業後は、不動産業を代々生業とする厳格な父の言いつけと、もともとマザコン気質だったこともあって、故郷の愛知県にある東海テレビ放送にUターン就職をしました。
Q 東海テレビではどんな仕事を?
鈴木 入社後は3ヶ月の本社研修の後、1年目から華の東京支社のネット営業部で働いていましたが、ある時、新日本プロレスの坂口征二社長にスカウトされまして、東海テレビを史上最短期間で退職させて頂き、プロレスラー道を進むことになったんです。
Q テレビ局の営業をしていてどうしてスカウトされるんですか?
鈴木 当時、博報堂の1階にスーツの仕立て屋さんが模擬店を出していました。その店に新日本プロレスの卓上カレンダーが置いてあり、私はそのカレンダーを手にとってじっと見つめていたそうです。その姿を見た店主が、新日本プロレスの坂口征二社長に連絡し、明大の先輩でもある坂口社長と会うことになったんです。その後いろいろと悩んだのですが、熱心に誘われてあれよあれよという間に入団の運びとなりました。
Q プロレスラーとしてすぐにデビューを?
鈴木 入門後すぐに故橋本真也さんの付き人になりました。8ヶ月後にプロレスラーとして東京ドームでデビューできました。合宿所の生活やプロレスラーになる為の基礎練習は相当厳しかったのですが・・・明大ラグビー部1年生の時に比べると人間として扱って頂けるだけ心に余裕がありました。
Q 海外のプロレス界でも活躍されていたんですよね?
鈴木 アメリカWWEではタッグチームチャンピオンとしてアメリカの全ての州はもちろん、カナダ、メキシコ、コスタリカ、キューバ、イギリス、フランス、ドイツ、オランダ、イラク、日本、韓国、フィリピンと試合に行きました。
Q 特に印象に残っている試合はありますか?
鈴木 印象深いのはイラク戦争中のイラク慰問試合でした。外国人唯一の参加者だったせいか米兵の監視が2人つきました。私は日本人の感覚として、戦地のイメージはひもじく、辛い印象しかなかったのですが、実際に米軍キャンプの中で生活をすると食事は豪華、バーやボウリング、ビリヤード、バーガーキングなど、ここは本当にイラクか?と思うくらい豪華な施設が整っていました。私の場合は米兵の監視が食事をする時もお酒を飲むときも常に一緒だった為、4日間滞在したのですがすぐに仲良くなってしまい、ブラックホーク(ヘリコプター)でイラクの上空散歩を毎日の楽しみにしていました。今考えるとよく下から追撃されなかったなと・・・。国防総省(PENTAGON)より感謝状を頂いたのですが一生の宝にしています。
Q そもそも、明大ラグビー部で活躍したラガーマンが、テレビの仕事を選んだ理由は?
鈴木 高校卒業後、1年間イギリスのバースという町にラグビー留学していたのですが、当時、新聞のイギリス王室への提言が国民の支持を得て王室が大きく変わった事を現地で経験してからマスコミという仕事を強く意識するようになりました。明大ラグビー部では2年生の時からレギュラーとして活躍し、卒業を前に30社近い企業からリクルートのお話を頂きましたが、中日新聞と東海テレビを記念受験した結果、本番にすこぶる強い性格と溢れる人間力を大いに発揮し、見事に東海テレビより内定をいただきました。
Q その後、共同テレビにはどのような経緯で入社されたのですか?
鈴木 プロレスラーの活動を続ける中で、40歳を境にセカンドキャリアの構築を考えていました。そこで、まずはレスラーとしての契約とは別に、試合のチケット販売もできるように契約を結んで、法人相手のチケット販売や特別興行の買取販売などチケットセールスを兼業させてもらい、いいセールス成績を残すことができました。この時、営業の基礎を学んだのは東海テレビ時代の経験だったと気がつき、東海テレビ時代からお世話になっていたフジテレビの先輩(プロレス転向を後押ししてくれた方)に相談しまして、共同テレビジョンを紹介していただきました。
Q 現在は主にどのような仕事をされていますか?
鈴木 広告代理業(CM出稿)をはじめ、番組制作、CM制作、PV制作、ヘアショー、WANGAN夏祭り、プロレス興行冠協賛、著作権の代理販売などをしています。
Q 本当に幅広いですね!その中でも特に印象に残っている 仕事は?
鈴木 やはり、初めて制作を担当したBSフジ「反骨のプロレス魂」という番組です。この番組は毎年年末に放送していまして、今年でパート4になります。これは広告代理店に勤める大学の先輩、後輩たちが毎年営業をしてくれ成り立っているのですが、彼らには本当に感謝をしています。後輩たちは会う度に「先輩、今年は勘弁して下さい!」と毎年言われていますが、泣く泣くやってくれます。本当に心強い後輩達です。
Q 最初に共同テレビに来た時、会社のイメージ、雰囲気についてどう感じましたか?
鈴木 初めて11階のエレベーターを降りた時にタバコの匂いがしたのが今でも印象的です。(笑)
Q 実際に共同テレビで仕事をしてみてどうでした?
鈴木 営業の仕事はやはりキツイですよ。毎月の営業案件が取れるかいつも心配だし、普段は外回り営業と初対面の会社も多いので孤独です。ただ会社の先輩方と食事をしたり、社内や喫煙所での"励まし雑談"でパワーと営業アイデアを頂いたりしています。僕にとっては共テレに戻った時がパワーを貯める時間になっています。
Q 以前在籍していた放送局(東海テレビ)と共同テレビのような制作会社の違いを感じることはありますか?
鈴木 東海テレビに入った時は、新卒でいきなりの東京支社勤務だったので、ただひたすら営業をするしかなかったのですが、やはり制作会社の方が、自由に仕事ができるのではないでしょうか。自分の場合は広告代理業であったり、キャスティングの代行であったり、イベントであったりと、何でも業態を変えられるところが面白いと思っています。
Q これまでの経歴は現在の仕事にどのように活かされている?
鈴木 東海テレビ営業部、明大ラグビー部時代の先輩後輩、プロレス人脈と本当に皆さまに支えられて仕事をしています。感謝しかないです。
Q 今後はどんなテレビマンを目指していますか?
鈴木 素直に反省でき、素直に喜び、良い事も悪い事にも感謝のできる明るいテレビマンになりたいですね。

番組で猪木さんに2年間密着したKENSOが追悼「これで痛みから逃れられるのかな」
(2022年10月1日16:01配信 東スポWEBより)
心不全のため1日に79歳で死去したアントニオ猪木さん(本名猪木寛至)の最後の雄姿≠撮影したプロレスラーの「KENSO(ケンゾー)」こと鈴木健三氏(48)が、師匠を追悼した。
「会長(猪木さん)には、ゆっくりしてほしいですね。これで痛みから逃れられたのかなとほっとしている部分があります」
 共同テレビプロデューサーの健三氏は、猪木さんが難病「全身性トランスサイレチンアミロイドーシス」で闘病する姿を密着取材。ドキュメンタリー番組「燃える闘魂 ラストスタンド〜アントニオ猪木 病床からのメッセージ〜」はNHK放送とNHK―BSプレミアムで放送され、大きな反響を呼んだ。
「2年間、密着させていただき、心臓が20%しか稼働していないのに無理をして付き合っていただきました。撮影している時はしゃきっとしていたが、そうではない時はゼエゼエして言葉を振り絞っていた。僕はかっこいいアントニオ猪木しか出したくなかったし、毎回無理をしてかっこいいアントニオ猪木として素晴らしい言葉を残してくれた。感謝しかないです」と振り返る。
 番組を制作するにあたり、健三氏は猪木さんに手紙を書いた。「僕みたいな中途半端なレスラーが撮影することはおこがましい。ふさわしい人間ではない」と思っていたからだ。
 だが、猪木さんは「ニューヨークで会ったよね」と声をかけてくれたそうで、健三氏は「あれで払拭された。気にせず胸に入って来いという優しさを感じました」と感謝の言葉を述べる。
 今年の7月まで健三氏は猪木さんを撮り続けていたという。「低空飛行だったけど、元気というか、しっかり生きているなという感じでした」とし、哀悼の意を表した。