レスラーノート

スーパーJ

本名:ジェフリー・テレンス・ファーマー
1962年8月14日
フロリダ州タンパ出身(ニューヨーク州クレンズフォールス出身説あり)
190cm 120〜129kg

得意技
ダイビング・ラリアット

学生時代はレスリング、フットボール、ウェイトリフティング、陸上に熱中。ボディビルではミスター・セントラル・フロリダに輝いた。スティーブ・カーンのコーチを受け、92年にサンダー&ライトニングのライトニングとしてデビュー。サンダーは従兄弟。フロリダの独立団体IWFに出場し、後のスモーキン・ガンズとなるロングライダースと抗争。IWF崩壊後は93年7月よりWCW所属となり、8月、サンダーと共に全日本プロレスに初来日。チーム解散後の95年にコブラと改名したが実績なし。96年9月、ホーガンの誘いを受けNWOスティングに変身。97年3月に新日本プロレスに登場。NWOジャパンの貴重な戦力として活躍。98年2月15日、新日本プロレスの日本武道館大会で西村修と対戦。9分54秒、ノーザンスープレックスにフォール負け。3月9日、京都府立体育館大会で橋本真也と対戦。10分16秒、左ミドルキックにフォール負け。3月13日、水戸市民体育館大会で西村と再戦。10分27秒、ダイビング・ラリアットで勝利。 99年5月、蝶野が結成したT2000の一員となる。同年11月より素顔に戻りスーパーJと改名した。 00年11月の「第2回G1タッグリーグ戦」ではマスクマンのT2000マシン1号として出場。 01年9月7日から始まった新日本プロレスの最強外国人決定戦「G1 WORLD」に参戦。9月8日、三条市厚生福祉会館大会でジャイアント・シルバと対戦。6分13秒、両者リングアウト。9月9日、東金アリーナ大会でドン・フライと対戦。4分47秒、裸絞めにレフリーストップ負け。9月13日、水戸市民体育館大会でスコット・ホールと対戦。9分15秒、アウトサイダーズエッジに敗れた。9月14日、浜松市体育館大会でスコット・ノートンと対戦。6分50秒、パワースラムに敗れた。リーグ戦は3敗1引き分けに終わった。10月21日、神戸ワールド記念ホール大会で吉江豊と対戦。9分54秒、ダイビング・ラリアットで勝利。10月22日、松江市総合体育館大会でドルゴルスレン・セルジブデと対戦。5分17秒、チョークスラムで勝利。11月30日から始まったG1タッグリーグにスコット・ノートンと組んで参戦。3勝3敗1引き分けでリーグ戦を終えた。 02年3月14日、京都市体育館大会でIWGPタッグ王座決定トーナメントにスコット・ノートンと組んで参戦し、1回戦でジャイアント・シルバ、ジャイアント・シン組と対戦。6分43秒、シンのチョークスラムにスーパーJが敗れた。3月、ノートンと仲間割れし、新日本本隊サイドについた。3月24日、尼崎市総合記念公園体育館大会でスコット・ノートンと対戦。5分10秒、ラリアットに敗れた。6月21日、後楽園ホール大会でスコット・ノートンと対戦。20分時間切れ引き分け。6月27日、春日井市総合体育館大会でヒロ斉藤と対戦。5分17秒、ダイビング・ラリアットで勝利。9月13日、宮城県スポーツセンター大会の全試合終了後、マスクマンのムタとして登場。コーナーに上がって緑の毒霧を天井に向かって吹いて、リング上の中西、蝶野、天山らを指差して無言のアピール。その後、リングを降りて控室の奥へ消えていった。以後、マスクマンのGREAT MUTAとして出場。10月14日、東京ドーム大会で天山広吉と対戦。6分43秒、トルネード・クローズラインで勝利。10月21日から魔界3号に変身し、星野勘太郎率いる魔界倶楽部に加入。 18年2月16日、後楽園ホールでのプロレスリング・マスターズのメインで蝶野をセコンドに天山ヒロ斉藤AKIRAと組んで藤波長州ライガー武藤組と対戦。15分10秒、天山がアナコンダバイスでライガーに勝利。 19年2月15日、プロレスリング・マスターズの後楽園ホール大会で天山、小島、ヒロ斉藤と組んで(セコンドに蝶野)、ドン・フライ人生大谷ケア組(セコンドに武藤)と対戦。フライが裏切ってケアにイス攻撃。17分24秒、小島がラリアットでケアに勝利。 20年2月28日、マスターズの後楽園ホール大会で武藤敬司と組んで藤波辰爾、藤原喜明組と対戦。13分8秒、藤波のドラゴンスリーパーにスーパーJが敗れた。