レスラーノート

ショーン・モーガン
(バル・ビーニス)

SHAWN MORGAN

本名:ショーン・アレン・モーリー
1971年3月6日
カナダ・オンタリオ州オークビル出身
191cm 120kg

タイトル歴
CMLL世界ヘビー
WWC世界タッグ
WWFインターコンチネンタル
WWE世界タッグ
得意技
マネーショット(フライング・ボディプレス)

デューイ・ロバートソン(ミッシング・リンク)のトレーニングを受けて、91年にデビュー。プエルトリコに定着。レックス・キングとストライク・ハードを結成し、WWCタッグ王座を獲得。 97年2月にレックス・キングと共に全日本プロレスに初来日。2月16日、後楽園ホールでの来日第1戦で志賀賢太郎と対戦し、8分56秒、パワースラムからのダイビングボディプレスで勝利した。2月21日、熊谷市民体育館大会でキマラと対戦。9分29秒、ボディプレスに敗れた。2月22日、水戸市民体育館大会でモスマンと対戦。ダイビング・ボディプレスで勝利。2月23日、厚木市荻野運動公園体育館大会で本田多聞と対戦。13分54秒、タモンズパワードに敗れた。メキシコのEMLLに進出し、マスクマンのスティールとして活躍。4月にCMLL世界ヘビー級王座を獲得。10月11日、全日本プロレスの福岡国際センター大会でジャイアント・キマラと対戦。12分4秒、ダイビング・ネックブリーカードロップに敗れた。 98年にWWFに入り、AV男優のキャラクターとしてヴァル・ヴィーニスの名で活躍。「ハロー!レディース!」とマイクアピールしながら腰に巻いたバスタオルを外すポージング、そのタオルを女性にプレゼントするパフォーマンスで異色のキャラとなる。 99年2月にケン・シャムロックを破りインターコンチ王座を獲得。 00年から真面目路線に変更。7月にリキシを破り、再びインターコンチ王座を獲得。 02年11月からはエリック・ビショフの部下、チーフ・モーリーとして活躍。ランス・ストームと組んで世界タッグ王座を獲得。5月5日にジェリー・ローラーに敗れたためにビショフから解雇を通告される。5月18日にヴァル・ヴィーニスとして復帰し、その後はWWEで中堅選手として活躍。 03年3月24日、ランス・ストームと組んで世界タッグ王座を獲得。3月30日、PPV「レッスルマニア」でケイン、RVD組を相手にタッグ王座の防衛戦。9分58秒、ダッドリーズの乱入により勝利。 05年2月4日、さいたまスーパーアリーナでのWWE日本公演に来日し、第1試合でシェルトン・ベンジャミンのインターコンチネンタル王座に挑戦。マネーショットをかわされ、9分5秒、Tボーン・スープレックスに敗れた。 08年7月に肩の手術を受けて長期欠場。 09年1月にWWEを離脱。3月、新日本プロレスに来日。3月8日、愛知県体育館大会のメインでジャイアント・バーナードと組んで棚橋永田組と対戦。14分41秒、バーナードのバーナードライバーで棚橋に勝利。3月22日、尼崎市記念公園総合体育館大会でIWGP王者の棚橋とノンタイトルマッチで対戦。マネーショットをヒザを立てられて防がれ、12分50秒、スリングブレイド2連発からのハイフライフローに敗れた。7月、新日本プロレスに来日。11月21日から28日にかけて、ホーガンの旗揚げした「ハルカマニア」のオーストラリア・ツアー(全4戦)に参加し、ショーン・モーリーの名で出場した。 10年1月4日、TNAにショーン・モーリーの名で登場。1月17日、PPV「ジェネシス」でクリストファー・ダニエルズと対戦。マネーショットで勝利。3月にTNAを離脱。 19年6月29日、SICWのイリノイ州ベルビル大会でビーストマンと対戦。7分30秒、スクールボーイでフォール勝ち。