86年、ボツワナ・ビーストの名でジョージア地区に登場。87年、レンジャー・ロスを破り、ディープ・サウス・ヘビー級王座を獲得。90年2月、テキサスでWWAブラスナックル王者として遠征してきたグレート・ニタに挑戦。敗れたが、名勝負を展開した。90年にブッチャーのパートナーとして初来日。当時は初代キマラ(日本ではキマラと区別するためカマラと呼ばれることも多い)がいたために、2号を名のっていた。その後、初代キマラが来日しなくなったため、キマラに改名。全日本プロレスの中堅選手として活躍。一部では「戦うポンポコリン」という愛称で呼ばれていた。96年夏ごろから泉田純とタッグを組む。泉田が抱え上げキマラがトップロープから飛ぶ合体ネックブリーカーを使ったりしていた。99年にはECWにウガンダのリングネームで登場した。
|