父は陸上自衛隊に所属。父の転勤のため、中学1年の時に仙台の宮城野中に転校。進学校の仙台一校に進学。高校時代はバスケットボールと柔道に打ちこんでいた。卒業後にプロレス入り。入門直後に馬場の付き人となる。馬場が病床にふすまで付き人を務めた。付き人としては馬場についた中では最優秀との評判。94年2月21日、千葉県館山市民センターの浅子覚戦 でデビュー。入門時から細身ではあったが、 プロレスラーとしてデビューしてからもなかなか体重が増えず、思い悩む日々が続く。小橋にも負けない豊富な練習量を誇る。普段は謙虚すぎるほど謙虚な人間。95年9月10日、日本武道館大会でボビー・ダンカン・ジュニアと対戦。大声援を味方につけて果敢に攻めたが、4分10秒、串刺しラリアットからのブルドッキング・ヘッドロックに敗れた。99年6月、地元の仙台大会で小川の世界ジュニア王座に初挑戦し、バックドロップに敗退。00年の全日本分裂時には、どちらの側にも恩があったために引退を考えたが、永源らに説得されてノアに入団。その後、伸び悩んでいたが、小橋建太と組んでから浮上。必殺技の志賀締めを開発し、タッグ王座に挑むまでに成長した。02年には結婚している。02年8月29日、新日本プロレスから参戦してきた西村修とのシングル戦では30分時間切れの引き分け。10月8日、岩手県営体育館でのGHCタッグ王座次期挑戦者決定戦で、小橋建太と組んで本田多聞、井上雅央組と対戦。30分18秒、本田から志賀締めでギブアップ勝利した。10月19日、愛知県体育館でのGHCタッグ戦で秋山準、斎藤彰俊組と対戦。31分11秒の激闘の末、最後は秋山のスターネスダストに敗れた。秋山はリング上でのインタビューに「志賀、立って帰れ!」と叱咤した。11月18日、力皇猛と対戦し、30分時間切れ引き分け。12月1日、小橋と組んでの佐野巧真、三沢光晴組との対戦では、志賀締めで佐野に勝利。12月7日、秋山とのシングル戦では、17分54秒、スターネスダストで敗退。ノアの中心選手として活躍しはじめていたが、03年2月から長期欠場。当初は頚椎ヘルニアの疑いが濃厚だったが、欠場後1年半経って黄色靭帯骨化症と診断され、手術。手術当日には同期の本田多聞も駆けつけて激励した。05年9月18日、日本武道館大会の第1試合で本田多聞と復帰戦。966日ぶりのこの試合で、頭を丸め、黒のロングタイツで登場。11分47秒、志賀絞めからの体固めで敗退した。試合後、本田は志賀を助け起こし「皆さん、志賀賢太郎が帰ってきました。おかえり」とマイクで祝福。2人そろって花道を引きあげた。12月24日、選手会主催のクリスマス興行でパンチパーマになる。ドスを持ち、腹に昇り龍の刺青、着流し姿で登場した。「ちょっとパンチの利いたことをしたいなって考えたんです。パンチといえばパンチパーマだなと」とのこと。手入れが楽だったのと似合うために髪型は定着。以後、ヒゲをたくわえ、サングラスをかけてパンチパーマで売り出す。6月9日、後楽園ホールでのノアの選手会興行で、パートナーの泉田純至と太田一平をパンチパーマにさせてパンチ軍団を結成。秋山、SUWA、青木組と対戦した。北島三郎の「兄弟仁義」で入場すると、場内はパンチコール。セコンドの橋誠を含む全員がダークスーツにサングラスをかけ、胸に竜の入れ墨シールを貼って登場。試合には敗れたが、GHC王者の秋山にパンチパーマのカツラをかぶせることに成功した。試合後の志賀は「一致団結した。今後も増殖させたい」と勢力拡大に意欲を見せた。6月25日、ストロング居酒屋&<Dar>プロレス道場で志賀賢太郎選手ラブリートークライブ「パンチでデート!!」を開催。男性はパンチパーマ(カツラ可)のみ参加可能というイベントの途中で、リーゼントヅラの秋山、マゲヅラの橋、帽子にパンチヅラの金丸がそろってグラサンをかけて応援に駆けつけた。9月3日、愛知県体育館大会で、グローバル・ハードコア・クラウン王者のスコーピオに挑戦。反則とリングアウト裁定なしのルールで大量の凶器を袋に詰めて入場したが、開始早々に王者スコーピオに袋の口を縛られて使用不能となり大苦戦。流血で自慢のパンチパーマが赤く染まったが、一瞬のスキを突いてジャックナイフ式エビ固めで大逆転勝利。初のベルト奪取となった。GHCを自分なりに「ガチッと決まった、ハートゆさぶる、チョーいかしたパンチ」と解釈し、王者として君臨。10月20日、広島グリーンアリーナ大会で川畑と防衛戦。負ければモヒカン刈りという過酷なルールの中で、28分47秒 逆さ押さえ込みで勝利して初防衛に成功した。11月29日、故郷の仙台サンプラザホール大会で太田一平と防衛戦。15分1本勝負、引き分けの場合は挑戦者にタイトル移動、場外に転落した場合は負けという過酷なルールの中で、残り1分を切ったところで14分25秒、志賀絞めからの片エビ固めで勝利。12月27日、ZERO1−MAXの後楽園ホール大会で神風とランバージャック・デスマッチで防衛戦。場外にいるノアとZERO1−MAXのセコンドが試合に介入する展開となった。18分11秒、グラウンドコブラを切り返しての押さえ込みで勝利。3度目の防衛に成功した。試合後、志賀はマイクを握り「神風選手。いや、アニキ。今回はアニキ決定戦ということだったけど、あんたも充分アニキだったよ」と敗者を称えた。その後、挑戦者が現れず「だれもかみついてきてくれない」と寂しさをもらす。07年に入り、突如として第5代王座を返上し、GHCハードコア王座をシングル王座からタッグ王座へ変更するように会社に要求。川畑と組んで「パンパーズ」を結成し、第6代GHCハードコア王座決定トーナメントに出場。2月15日に百田、平柳組に勝利し1回戦を突破。2月17日の決勝戦で潮崎、谷口組と対戦。27分44秒、川畑のムーンサルトプレスで勝利してGHCハードコア王座を獲得。4月17日、鹿児島アリーナ大会で泉田、橋組と防衛戦。26分19秒、志賀の逆さ押さえ込みが橋に決まり初防衛に成功。5月21日、越谷市の桂スタジオ大会でエディ・エドワーズ、テッド・デビアス・ジュニア組相手に防衛戦。25分9秒、川畑のムーンサルトプレスがテッド・デビアス・ジュニアに決まり勝利。敗れた挑戦者組にパンチパーマの米国布教活動が科せられた。志賀は「ジョージ・ルーカスとかアーノルド・シュワルツェネッガーのパンチも見たい」、「パンチパーマが米進出。次は欧州に広めたい」と試合後にご満悦。6月8日、横浜文化体育館大会で高山、杉浦組と対戦。7分50秒、オリンピック予選スラムを狙った杉浦を回転片エビ固めで丸めこみ勝利した。その日のメインで防衛に成功した秋山、力皇組に対しGHCタッグ王座の次期挑戦者として名のりをあげる。7月1日に秋山、金丸組と対戦。川畑が懐から取り出した手錠で、秋山の腕を場外の鉄柵に拘束。その間に志賀が金丸から逆さ押さえ込みで勝利した。7月3日、秋山、谷口組を相手に防衛戦。19分21秒、川畑がダイビング・セントーンで谷口に勝利。秋山にタイトル挑戦を認めさせる。試合後に「勝ってパンチのカールを引き締める」と戴冠に向けて気を引き締めた。7月15日、日本武道館大会で秋山、力皇組のGHC王座に挑戦。合体技のロールパンチやダブルインパクト、志賀の雪崩式ブレーンバスターで川畑を投げる合体技を見せたが、実力の差は歴然。27分11秒、川畑への力皇の天下無双に敗れた。8月から川畑と共に欧州遠征。英国、ドイツ、オランダ、ベルギーを遠征し、22日間の滞在で36試合のハードスケジュールをこなした。11月19日、新潟市体育館大会でパートナーの川畑輝鎮を相手にGHCハードコア王座決定戦を行い、24分26秒、ムーンサルトプレスで敗れ、王座を失うと同時に自慢のパンチを丸坊主にされた。この試合後も川畑と共に活躍。伸びてきた髪もパンチパーマに整えて出場を続ける。09年から専属契約を解除されて年間報酬保障フリー契約選手になり、ノアでの出場が減る。3月25日、ハッスルの後楽園ホール大会に出場。「ハッスルにはパンチが足りない」と以前から出場をアピールしていた「2代目モンスター℃オーディション」に参加し、バトルロイヤルで素人4人を相手に文句なしの勝利。2代目℃に就任した。4月23日、ハッスルの後楽園ホール大会のメインでパンチ・ドCの名でマスクマンとなって登場。川田利明と組んでナットーマン、きっこーまん組と対戦。7分1秒、パンチ・ドCの2代目DDCでナットーマンにフォール勝ち。4月29日、ハッスルの名古屋国際会議場イベントホール大会でパンチ・ドCとして小路二等兵と対戦。5分42秒、グラウンドコブラ・ド・Cで勝利。5月4日、ハッスルの横浜文化体育館大会で坂田亘と対戦。6分35秒、スーパーキック2009に敗れた。5月27日、ハッスルの後楽園ホール大会でモンスターHGと組んで天龍、RG組と対戦。11分40秒、RGのドリー式逆さ押さえこみにド・Cがフォール負け。6月25日、ハッスルの後楽園ホール大会でザ・モンスター℃と組んで天龍、越中詩郎組と対戦。すきを見ては「C」のポーズを出していたが、天龍のチョップでダウンして片足で踏みつけられ、3分53秒、越中のダイビングヒップアタックにモンスター℃がフォール負け。6月27日、ハッスルの桐生市民体育館大会でモンスター℃と組んでボノくん、TAJIRI組と対戦。9分、ボノくんのCつぶし(ボディプレス)に両者フォール負け。7月5日、ディファ有明でのノアの選手会興行の第1試合の時間差バトルロイヤルに参加。途中で退場となったが、マスクマンの「おしりかじり虫」として再登場。最後の3人というところで橋に雪崩式ブレーンバスターを決めて体固めで3カウントを取ったが、直後に丸藤正道?(井上雅央)に体固めをひっくり返されてフォール負け。8月22日、神戸サンボーホール大会で力皇と対戦し、11分45秒、ショートレンジラリアットに敗れた。9月6日、つくばカピオ大会で青木篤志と対戦し、12分24秒、前方回転エビ固めにフォール負け。12月5日、IWAジャパンの新宿FACE大会で川畑、河童小僧と組んでビッグフット、雪男、ゴム人間組と対戦。11分16秒、志賀がゴム人間の腕を最大限に引っぱり、そのまま首固めでフォール勝ち。10年1月31日、新日本プロレスのディファ有明大会で本田と組んで真壁、本間組と対戦。9分14秒、真壁のダイビング・ニードロップに志賀がフォール負け。3月14日、ディファ有明での丸藤プロデュース興行で、ブル中野を彷彿とさせるブル猛(森嶋)と対戦。3分1秒、豪快なダイビング・ギロチンドロップにフォール負け。同日のIWAジャパンの新宿FACE大会ではゴム人間とゴムチューブ・デスマッチで対戦。セコンドのミヤコ女史にゴムで打たれ、場外でゴムでグルグル巻きにされるなど苦戦したが、7分21秒、ゴム縛り式首固めで勝利。3月18日、キラメッセぬまづ大会で吉江豊と対戦。11分12秒、ダイビングボディプレスに敗れた。10月29日、IWAジャパンの新宿FACE大会でのノアの2軍「HONA」対UMA軍団の全面対抗戦に出場し、ビッグフットと対戦。7分44秒、首固めでフォール勝ち。11年8月27日、日本武道館での全日本、新日本、ノアの合同チャリティ興業「ALL TOGETHER」で、26選手参加のデストロイヤー杯争奪バトルロイヤルに出場。11分54秒、最後に残った外道を外道クラッチで押さえこんで、まさかの勝利。試合後にデストロイヤーからデストロイヤーのマスクを記念に贈られ、すぐにリング上でかぶった。11月10日、後楽園ホールでの天龍のデビュー35周年記念興行に出場。第1試合で泉田、菊地毅と組んで天龍、百田、グレート小鹿組と対戦。10分53秒、百田のサムソンクラッチに志賀がフォール負け。12月23日、ディファ有明大会で鈴木鼓太郎と対戦。12分30秒、回転十字固めにフォール負け。12年からノアの契約から離れて本格的にフリーに転向。3月3日、ノアの京都KBSホール大会でハーレム・ブラバドと対戦。11分49秒、志賀絞めで勝利。6月5日、ノアのオロシティーホール大会で久しぶりに川畑と組んで、潮崎、鈴木鼓太郎組と対戦。20分20秒、潮崎のラリアットに志賀が敗れた。7月8日、ノアのディファ有明大会で平柳と対戦。8分4秒、玄藩クラッチにフォール負け。8月18日、ノアの神戸サンボーホール大会で金丸と対戦。12分51秒、逆さ押さえ込みにフォール負け。8月19日、テレピアホール大会で青柳政司と対戦。7分43秒、横入り式回転エビ固めでフォール勝ち。9月1日、みちのくプロレスのふく面ワールドリーグ戦にグレート・ゼブラに変身して出場。仙台産業展示館での1回戦でエル・サムライと対戦。5分26秒、ラ・マヒストラルをエビ固めに切り返してフォール勝ち。同日の2回戦で獣神サンダーライガーと対戦。7分25秒、両者リングアウト。再試合では1分17秒、コーナーに突っこんだところに前方回転エビ固めに丸めこまれてフォール負け。12月13日、みちのくプロレスの後楽園ホール大会で、グレート・ゼブラとして「宇宙大戦争」に出場。バラモン・シュウ、バラモン・ケイ、カラテ・バラモン、ベイン火野(火野裕士)と組んでヤッペーマン1〜3号、超人関本(関本大介)、サスケ(ケガのためほぼ欠場)組と対戦。23分16秒、関本のジャーマンスープレックスをケイがくらって、サスケの体固めにフォール負け。12月22日、ノアの館林市民体育館大会で南条隼人と対戦。11分22秒、ラ・マヒストラルにフォール負け。13年1月14日、ノアのイコス上尾大会で平柳と対戦。9分54秒、回転片エビ固めにフォール負け。5月11日、日本武道館での小橋建太引退記念大会で本田と組んで鈴木鼓太郎、青木組と対戦。11分29秒、鼓太郎のエンドレスワルツに志賀がフォール負け。12月7日、ノアの有明コロシアム大会で田上明の引退試合に出場。天龍、藤波辰爾、井上雅央と組んで田上、森嶋、杉浦、平柳組と対戦。10分40秒、田上のオレが田上に雅央が敗れた。
志賀のパンチパーマになってからの悪行。。。
NOAH社員の弁当のおかずを強奪。
事務所の冷蔵庫から職員の飲み物を盗もうとする。
街頭で配られるティッシュを往復して何度ももらう。
スーパーの試食を何度も食べて結局買わない。
会社のトイレットペーパーを自宅に持って帰る。
事務所の電気をつけっぱなし。
道場の水道を出しっぱなし。
メイド喫茶に突撃し、店内を凍りつかせた。
フォークを隠し持って入場。
試合前のボディチェックで股間からブラシを発見される。スキンヘッドの相島勇人に対し、そのクシで頭をとかそうとする。
椅子を菊地に持たせ、自分は頭を抱えて福田レフェリーに殴られたとアピール。
試合前に斎藤と握手をすると見せかけて毒霧(水)発射。
髪をいじられると怒りの反撃、そしてすかさず髪を直す(お約束のムーブ)。
試合前にヌンチャクを発見される。ヌンチャクを使ってみたが失敗して頭を直撃。
06年8月13日、相手チームにムシキング・テリーがいたため、首から虫カゴを提げ虫取りアミを手に入場。場外戦の時に虫取りアミをテリーの頭部にかぶせ、捕獲に成功。少年のように目をキラキラさせながらガッツポーズを決める。
06年9月29日、GHCハードコア戦の記者会見時に、丸藤が保有しているはずのGHCヘビー級ベルトを持って登場。「アレ!これ違うな。とんでもないことしちゃった」と平然と言いのける。
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