レスラーノート

アポロ菅原

本名:菅原伸義
1954年2月10日
秋田県男鹿市出身
181cm 100kg

得意技
ブロックバスター

中学2年の時からボディビルを始め、秋田工高でアマレスを始める。72年の和歌山国体の81キロ以上級で優勝。全国高校大会では75キロ以上級で4位。73年に卒業し、三井造船千葉造船所に入社。遠藤光男の千葉ボディビルセンターでボディビルを続ける。遠藤に相談し、79年4月に国際プロレスに入団。9月17日、福岡・九電記念体育館での高杉正彦戦でデビュー。10分5秒、逆エビ固めで敗れた。前座で人気を得る。81年9月に国際プロレスが崩壊。10月にマイティ井上を慕って全日本プロレスに参加。83年4月、若手のリーグ戦「ルー・テーズ杯争奪リーグ」に出場し、三沢に20分時間切れ引き分け、川田に勝利するなど健闘したが、予選敗退した。 84年6月、オーストリアのウィーン・トーナメントに参戦。12月に帰国。 85年12月12日、日本武道館大会で笹崎伸司と対戦。6分59秒、逆エビ固めで勝利。 88年、リストラ要員となり全日本プロレスを解雇された。解雇後は同じくリストラされた剛竜馬、高杉正彦とともにパイオニア戦志を結成した。 89年、北尾がプロレス入りを相談した相手が遠藤光男だった関係で、デビュー前の北尾のトレーニングパートナーを務めた。 90年11月、SWSに入団。鈴木みのると伝説に残る二人のスタイルが噛み合わない試合をした。11月10日、SWSの道場大会で冬木と対戦。10分、判定勝ち。11月17日、SWSの道場大会で佐野と対戦。4分57秒、ショルダースルーを着地した佐野が右足首を痛めたためレフリーストップ勝ち。11月22日、浜松アリーナ大会で畠中浩と対戦。4分31秒、バックフリップで勝利。12月1日、SWSの道場大会で北尾と対戦。3分、アバランシュホールドに敗れた。12月15日、SWSの道場大会で北原と対戦。8分3秒、首固めでフォール勝ち。12月22日、SWSの道場大会で佐野と対戦。6分25秒、ソバットをくらって場外に転落し、リングアウト負け。91年2月22日、後楽園ホール大会でドン荒川と対戦。7分12秒、急所攻撃をされて反則勝ち。5月22日、草加市スポーツ健康都市記念体育館大会で山中鉄也と対戦。7分54秒、ブロックバスターで勝利。5月23日、後楽園ホール大会で新倉史祐と対戦。9分29秒、首固めでフォール勝ち。6月11日、大阪府立体育館大会でドン荒川と対戦。7分5秒、首固めにフォール負け。7月8日、八戸市体育館大会で新倉と対戦。11分53秒、首固めにフォール負け。8月4日、長岡市厚生会館大会で山中と対戦。8分48秒、ブレーンバスターで勝利。8月5日、高崎中央体育館大会で片山明と対戦。12分33秒、バックドロップで勝利。9月18日、長野市民体育館大会で鶴見五郎と対戦。11分52秒、逆さ押さえ込みにフォール負け。92年3月14日、青森県営体育館大会で阿修羅原と対戦。4分13秒、ラリアットに敗れた。3月16日、秋田県立体育館大会でドン荒川と対戦。7分8秒、ラリアットで勝利。3月18日、新潟市体育館大会で阿修羅原と対戦。4分15秒、ラリアットに敗れた。SWS崩壊後はNOWなど、インディ団体で活動。



スクラップブック
ザ・マミー 長州インディー批判につながった失神事件′黷驕u控室に猪木さんが来て・・・」
(2023年11月12日10:02配信 東スポWebより)
【プロレス蔵出し写真館】「オレ個人から言わせりゃ、あんなもんプロレスじゃない!」。メインを務め、試合を終えた長州力が、痛烈にインディーを批判した。
 この長州発言は、今から27年前の1996年(平成8年)6月30日、横浜アリーナに超満員1万6000人の大観衆を集めて開催された「メモリアル力道山」で飛び出した。
 この大会は力道山OB会が主催し、新日本プロレスが牽引して実現。全日本プロレス、FMW、各インディー団体、女子プロなど男女合わせて16団体が参加した日本プロレス史上最大の交流戦だった。
 長州の発言を誘発したのは、第2試合で行われた「IWA格闘志塾」提供の鶴見五郎VSザ・マミー戦。
 鶴見といえば、ジャイアント馬場も認めた試合巧者。一方のマミーは94年2月23日に、レスリング・ユニオンの後楽園ホール大会で半世紀ぶりによみがえったエジプトのミイラ男。全身包帯風の衣装とマスクの怪奇派だ。横浜の試合では動くたび、そして攻撃を受けると全身から謎≠フ白い粉が舞い上がった。
 マミーは場外で鶴見にチェーンでラリアート。リングに戻るとボディースラムを見舞い、セカンドロープからダイビングヘッドバットを敢行した。
 しかし、距離が足りずなんと頭からマットに突っ込み、失神してしまった。鶴見は動けなくなったマミーの足をSTF気味に決め7分9秒、レッグロックで勝利した。マミーがリング上でドクターのチェックを受けていると、鶴見はリング下に降りて異例のマイクアピールを行った。
 「俺はもう1回こいつとやる!こんな力じゃないこいつは!」とマミーを擁護。マミーは担架で運ばれて行き、救急車で病院に搬送された。
 さて、失神事件を起こしたマミーの正体は、アポロ菅原だといわれる。菅原に話を聞いた。
――マミーのことで話が聞きたい
菅原 マミー?マミーのベストバウトは流山でやったポイズン澤田とのマムシ・デスマッチかな(94年12月25日、流山市総合体育館でのノーロープ有刺鉄線ランバージャック猛毒マムシ・デスマッチ)。日刊スポーツの川副(宏芳)記者が大きく紙面を割いてくれましたよ。大位山さん(元国際プロレス)が出店で出したうどん屋で、1杯300円のうどんが500杯売れたって喜んでましたね。
――メモリアル力道山での話なんですが
菅原 あぁ、あの試合・・・
――マミーは菅原さんだと言われてますが
菅原 そうですよ。もう(引退したんで)、聞かれたファンにもそう答えてます。あの試合は入場するときからヤバいと思いました。照明が暗くて、リングの中だけ明るかった。マスクで周囲が見えず、足元もおぼつかないし、(サポートしてくれる)セコンドもいなかったから、(注意して)すり足で動いてましたよ。
――ダイビングヘッドバットを自爆しましたが
菅原 暗かったから、だいたいこの辺りだろうと(思って)飛んだんです。
――失神したんですよね
菅原 鶴見さんに、「鶴見さん、ダメだ(動けない)」って(言いました)。
――担架で運ばれましたが
菅原 控室で(アントニオ)猪木さんが来てくれて・・・
――猪木さんが?
菅原 周り(の選手)は皆、どうしていいかわからず遠巻きに眺めてるだけでした。猪木さんが(新日本の若手に)「マスク外せ!」って言って、足や手を触ってくれて「大丈夫か?」と聞いてくれました。オレは「猪木さん、すいません」と言いましたよ。猪木さんには感謝しかないですね。
――そんなやり取りがあったとは・・・
菅原 マミーは昼間(の試合)だけやってたから、夜の照明は(周りが)見づらかったね。マミーは大会場には向いてないです。小さい怪しい雰囲気(の会場)が向いてますね。
――最後に、あの白い粉は
菅原 パウダーですよ。ヤバい白い粉≠カゃないですよ。
 菅原はそう言って笑った。


  アポロ菅原が鈴木みのるとの不穏試合に言及「裏で焚きつけた人間いる」 現在は熊本で居酒屋経営
(2022年3月21日10:00 東スポWebより)
【プロレス蔵出し写真館】1991年(平成3年)4月1日、館内を騒然とさせた北尾光司の「八百長」発言があったSWSの兵庫・神戸ワールド記念ホール大会。その日、もうひとつ不穏試合≠ェ発生していたのは意外に知られた話だろう。
 第4試合で行われた、SWS対新UWF藤原組対抗戦の第1試合(対抗戦は3試合)、アポロ菅原VS鈴木みのる戦。対抗戦で盛り上がる客席が、ほどなくブーイングに変った。
 組もうとする菅原と、掌底とキックで距離をとる鈴木。お互いガードポジションのままにらみ合いが続く。どちらかがコーナーに詰まると、すぐに膠着状態。
 5分経過して、ようやくロックアップの体勢から鈴木が一本背負い。菅原が上から押しつぶしてアマレススタイルのバックの取り合い。攻防らしい攻防はこれだけ。
 その後も両者は組み合うことなく、距離を保ったまま。業を煮やした菅原は前蹴りの連発から強引に組みつき、アッパー気味の掌底を鈴木の顔面に乱打。するとなぜかレフェリーのミスター空中から注意が与えられ、菅原はやってられるか≠ニいうような素振りで場外に出た。空中はすぐにゴングを要請して9分3秒、菅原の試合放棄という裁定が下った。
 館内にはブーイングがこだました。鈴木も判定に納得せず、感情を爆発させて観客に何か叫ぶと、リングを降りてそのまま会場の外まで出て泣きじゃくった。菅原は空中に「数えてねぇじゃねぇかこの野郎!プロレスは外へ出たら20カウントなんだ、わかってんのかコラッ!」。そう罵倒して引き揚げた――
 さて、あれから31年。菅原は熊本にいた。
 ――なぜ熊本に
 菅原 ウチの(注:奥さんの庸さん)が熊本だったんでね。(黒猫)ヤマトの委託ドライバーをやってたけど、重い荷物で悪くしてたヒザに負担がかかってしまって・・・。思い切って勝負してみようと、飲食店を始めることになりました。
 ――店名は
 菅原 「apolloキッチン」。居酒屋です。近くに熊本大学があるので、昼は学生さんに食べてもらおうかなとも思ってます。コロナ禍で予定より遅れたけど、30人ぐらい入れる店を、3月25日オープンに向けて準備中です。
 ――ところで、あの鈴木戦ですが
 菅原 ユーチューブ(アポロ菅原チャンネル)でもしゃべってますけどね。ようは仕事≠拒否したってことですよ。向うを焚きつけた人間がいるんですよ、裏でね。UWFは真剣勝負だ!って煽ってね。真剣勝負で負けたら菅原は弱いってことになるじゃないですか。それならそれで、こっちもそうはいくかい、となりますよね。千何百試合やってきて、逆らったことないですけどね。「今回は譲れないです」と(グレート・)カブキさんに言いました。妥協案を持って来ましたけどね。断りました。
 ――試合後、船木が鈴木を連れて菅原選手の控室に謝りに行ったようですが
 菅原 鶴見(五郎)選手と一緒に来ましたね。突っけんどんに聞こえたかもしれないけど、『もういいよ。終わったことだから』と言いました。俺はね、新日本(プロレス)だったら違う対応になったんじゃないかと思ってるんですよ。(アントニオ)猪木さんや坂口(征二)さんなら、面白いからやれ!となったかもしれないってね。ただね、鈴木選手に対しては何とも思ってないですよ。彼はまだ現役でやってるんでしょ?ケガだけは気をつけてやってもらいたいですよ。
 ――ファンにメッセージを
 菅原 来て飲んでくれ!それだけだね。店に出て対応もしますのでね。そうそう、嫁さんが鈴木選手と同じ年なんですよ。でも、家庭内は不穏≠カゃないですよ(笑い)。