レスラーノート

小橋建太

本名:小橋 健太
1967年3月27日
京都府福知山市出身
186cm 120kg
血液型:B型

通称
鉄人
タイトル歴
三冠ヘビー
世界タッグ
アジアタッグ
GHCヘビー
GHCタッグ
GHCハードコア
得意技
剛腕ラリアット
ムーンサルトプレス
ハーフネルソンスープレックス
バーニングハンマー
スリーパースープレックス
オレンジクラッシュ
逆水平チョップ
超滞空ブレーンバスター
ヘッドロック

中学、福知山高校時代と柔道に打ち込み、1度は一般企業(京セラ)に勤務したが夢捨て切れず、一念発起してプロレス入り。 当初は年齢と格闘技の経歴がないため断られたが馬場と面談し入団決定。馬場の付き人となる。88年2月26日、滋賀県栗東町民体育館の大熊元司戦でデビュー。4分48秒、ランニングヘッドバッドに敗れた。デビュー後、引き分けをはさんで63連敗。

1989

89年3月27日、後楽園ホール大会で馬場と組んで川田冬木組のアジアタッグ王座に挑戦。ダイビング・ボディアタックを見せるなど健闘したが、18分7秒、川田のドラゴンスープレックスに小橋が敗れた。5月16日、岐阜・可児大会でミッチ・スノーと対戦。11分46秒、ボディアタックを切り返しての片エビ固めで勝利。シングル初勝利を挙げた。89年度のプロレス大賞で新人賞を受賞。

1990

90年1月の試練の7番勝負で2勝5敗。4月9日、岡山武道館大会で2代目タイガーマスクと組んでダグ・ファーナスダニー・クロファット組を破りアジアタッグ王座を獲得。5月17日、広島県立体育館大会で、素顔になった三沢と組んでデイビーボーイ・スミスジョニー・スミス組を相手にタッグ王座の初防衛に成功。試合後、タッグ王座を返上した。9月7日、福井市体育館大会でジョニー・エースと組んでファンタスティックス(トミー・ロジャースボビー・フルトン)を相手にアジアタッグ王座決定戦。15分24秒、小橋がムーンサルトプレスでロジャースに勝利。アジアタッグ王座を獲得した。

1991

91年1月27日、後楽園ホール大会でジョー・ディートンビリー・ブラック組を相手にタッグ王座の防衛戦。16分46秒、小橋がムーンサルトプレスでブラックに勝利。3月30日、富山市体育館大会でスティーブ・ドールレックス・キング組を相手にタッグ王座の防衛戦。15分、小橋が肩車したドールに向けてトップロープからエースがダイビングしてエルボーを決めて勝利。その後、エースの負傷によりアジアタッグ王座を返上した。11月17日、富士市立富士体育館大会でテリー・ゴディと対戦。ムーンサルトプレスをよけられて自爆し、19分7秒、パワーボムに敗れた。

1993

93年5月21日、札幌中島体育センター別館大会でテリー・ゴディと対戦。19分39秒、ムーンサルトプレスで勝利。7月29日、日本武道館大会でスタン・ハンセンと対戦。22分35秒、ラリアットに敗れた。8月31日、豊橋市総合体育館大会でスティーブ・ウイリアムスを相手に三冠王座挑戦者決定戦。27分19秒、バックドロップドライバーとも呼ばれる超急角度のバックドロップをくらい、カウント2で返した直後にさらにバックドロップをくらってしまい、27分19秒、もはや自力で立てない状態でバックドロップホールドをくらって敗れた。9月3日、日本武道館大会でザ・パトリオットと対戦。14分52秒、ムーンサルトプレスで勝利。10月23日、日本武道館大会で川田と対戦。29分37秒、ストレッチプラムに敗れた。年末の世界最強タッグ決定リーグ戦では三沢と組んで参戦。12月3日、日本武道館大会での優勝決定戦で川田、田上組と対戦。23分34秒、小橋がバックドロップで川田に勝利。世界タッグ王座を獲得した。93年度のプロレス大賞で三沢と共に最優秀タッグチーム賞を受賞した。

1994

94年3月19日から始まったチャンピオンカーニバルに参戦。3月20日、後楽園ホール大会でジョニー・エースと対戦。21分22秒、ムーンサルトプレスで勝利。3月24日、平塚総合体育館大会で田上と対戦。30分時間切れ引き分け。3月27日、松本市総合体育館大会で田上と対戦(非公式リーグ戦)。30分時間切れ引き分け。3月28日、長岡市厚生会館大会でダグ・ファーナスと対戦。15分25秒、ムーンサルトプレスで勝利。3月29日、富山市体育館大会でジョニー・スミスと対戦。16分45秒、ムーンサルトプレスで勝利。4月2日、出雲ドーム大会でビッグ・ジョン・ノードと対戦。11分41秒、ムーンサルトプレスで勝利。4月5日、熊本市体育館大会でジ・イーグルと対戦。12分17秒、ムーンサルトプレスで勝利。4月6日、博多スターレーン大会で川田と対戦。23分6秒、パワーボムに敗れた。4月10日、宮城県スポーツセンター大会でハンセンと対戦。26分55秒、ムーンサルトプレスで勝利。4月11日、大阪府立体育会館大会で秋山と対戦。14分40秒、ムーンサルトプレスで勝利。4月15日、後楽園ホール大会でスティーブ・ウイリアムスと対戦。22分10秒、バックドロップホールドに敗れた。リーグ戦は8勝2敗1引き分け(1不戦勝)に終わった。5月21日、札幌中島体育センター別館大会で川田、田上組を相手にタッグ王座の防衛戦。40分25秒、小橋がムーンサルトプレスで田上に勝利。7月14日、大分県立荷揚町体育館大会でジョニー・エースと対戦。30分時間切れ引き分け。7月17日、博多スターレーン大会で田上と対戦。30分時間切れ引き分け。7月22日、清水市営体育館大会でウイリアムス、エース組を相手にタッグ王座の防衛戦。27分48秒、三沢がダイビング・ネックブリーカードロップでエースに勝利。9月3日、日本武道館大会でスティーブ・ウイリアムスの3冠王座に挑戦。3冠王座への初挑戦となり大熱戦を展開したが、41分23秒、バックドロップホールドに敗れた。年末の世界最強タッグ決定リーグ戦では三沢と組んで2年連続優勝した。94年度のプロレス大賞で三沢と共に最優秀タッグチーム賞を受賞した。

1995

95年1月7日、大分県立荷揚町体育館大会でスティーブ・ウイリアムスと対戦。30分時間切れ引き分け。1月19日、大阪府立体育会館大会で川田の3冠王座に挑戦。2日前に大震災が起こり、全選手のファイトマネー全額を義援金として寄付するチャリティー興行となった。詰めかけた満員のファンの前で激闘を繰り広げ、60分時間切れ引き分け。1月24日、山形県体育館大会で川田、田上組を相手にタッグ王座の防衛戦。60分時間切れ引き分け。3月4日、日本武道館大会でウイリアムス、エース組を相手にタッグ王座の防衛戦。36分7秒、小橋がダイビングギロチンドロップでエースに勝利。3月21日から始まったチャンピオンカーニバルに参戦。開幕戦の後楽園ホール大会で田上と対戦。25分22秒、変型パワーボムに敗れた。3月23日、常陸太田市民体育館大会でダニー・スパイビーと対戦。5分57秒、ムーンサルトプレスで勝利。3月25日、長岡市厚生会館大会でダグ・ファーナスと対戦。14分48秒、ドラゴンスープレックスで勝利。3月26日、松本市総合体育館大会で三沢と対戦。22分31秒、タイガースープレックス85に敗れた。3月27日、浜松市体育館大会でジョニー・エースと対戦。30分時間切れ引き分け。3月30日、富山県総合体育センター大会で秋山と対戦。18分14秒、オレンジクラッシュで勝利。4月5日、博多スターレーン大会でハンセンと対戦。30分時間切れ引き分け。4月6日、岡山武道館大会で大森隆男と対戦。14分46秒、ドラゴンスープレックスで勝利。4月11日、名古屋市体育館大会でダニー・クロファットと対戦。15分14秒、ドラゴンスープレックスで勝利。4月13日、宮城県スポーツセンター大会で川田と対戦。30分時間切れ引き分け。リーグ戦を5勝2敗3引き分けで終えた。5月26日、札幌中島体育センター別館大会でジョニー・エースと対戦。30分時間切れ引き分け。6月9日、日本武道館大会で川田、田上組を相手にタッグ王座の防衛戦。42分37秒、川田のパワーボムに三沢が敗れて王座転落。この試合でプロレス大賞のベストバウトを受賞した。7月6日、広島市東区スポーツセンター大会でジョニー・エースと対戦。28分36秒、ドラゴンスープレックスで勝利。7月13日、佐世保市体育文化館大会でパトリオットと対戦。23分4秒、パワーボムに敗れた。7月24日、日本武道館大会で田上と対戦。30分時間切れ引き分け。10日15日、愛知県体育館大会で三沢と組んで川田、田上組の世界タッグ王座に挑戦。60分時間切れ引き分け。10月25日、日本武道館大会で三沢の3冠王座に挑戦。35分51秒、タイガードライバー91に敗れた。年末の世界最強タッグ決定リーグ戦では三沢と組んで参戦。12月2日、大分県立煮揚町体育館大会で川田と対戦。30分時間切れ引き分け。12月9日、日本武道館大会で川田、田上組と優勝決定戦。27分4秒、小橋がムーンサルトプレスで田上に勝利。3年連続優勝を達成した。

1996

96年3月22日から始まったチャンピオンカーニバルに参戦。開幕戦の後楽園ホール大会で田上と対戦。30分時間切れ引き分け。3月24日、戸田市スポーツセンター大会で秋山と対戦。18分34秒、ムーンサルトプレスで勝利。3月28日、伊勢崎市民体育館大会で本田多聞と対戦。16分31秒、ムーンサルトプレスで勝利。3月30日、福井市体育館大会でパトリオットと対戦。18分7秒、ムーンサルトプレスで勝利。3月31日、愛知県体育館大会で三沢と対戦。24分7秒、ダイビング・ネックブリーカードロップに敗れた。4月1日、大阪府立体育会館大会でハンセンと対戦。22分15秒、パワーボムを切り返してのエビ固めでフォール勝ち。4月5日、大分県立荷揚町体育館大会で大森と対戦。14分29秒、ムーンサルトプレスで勝利。4月7日、博多スターレーン大会で川田と対戦。29分38秒、パワーボムに敗れた。4月10日、京都・KBSホール大会でスティーブ・ウイリアムスと対戦。27分53秒、後頭部へのダイビング・ギロチンドロップで勝利。4月14日、宮城県スポーツセンター大会でゲーリー・オブライトと対戦。14分9秒、ジャンピング・ネックブリーカードロップで勝利。4月18日、平塚総合体育館大会でジョニー・エースと対戦。30分時間切れ引き分け。リーグ戦は7勝2敗2引き分けに終わった。5月24日、札幌中島体育センター別館大会で川田を相手に3冠王座挑戦者決定戦。19分41秒、ジャンピングハイキックに敗れた。7月11日、博多スターレーン大会で秋山と対戦。30分時間切れ引き分け。7月24日、日本武道館大会で田上の3冠王座に挑戦。27分25秒、ダイビング延髄ギロチンドロップで勝利。3冠王座を初めて獲得した。以後、名実共にプロレス界を背負って立つ存在に成長。8月23日、萩市民体育館大会でジョニー・エースと対戦。24分21秒、ラリアットで勝利。9月5日、日本武道館大会でハンセンを相手に防衛戦。26分7秒、ラリアットで勝利。10月12日、愛知県体育館大会で小橋と組んでウイリアムス、エース組の世界タッグ王座に挑戦。32分33秒、ウイリアムスのタイガースープレックスにパトリオットが敗れた。10月18日、日本武道館大会で川田を相手に防衛戦。60分時間切れ引き分け。年末の世界最強タッグ決定リーグ戦ではパトリオットと組んで参戦。リーグ戦は8勝4敗に終わった。96年度のプロレス大賞でMVPを受賞した。

1997

97年1月20日、大阪府立体育会館大会で三沢を相手に防衛戦。エプロンから場外へのパワーボムを狙ったが、ウラカンラナに切り返されて転落。42分6秒、エルボーバットに敗れて王座転落。3月22日から始まったチャンピオンカーニバルに参戦。開幕戦の後楽園ホール大会で大森と対戦。13分53秒、ラリアットで勝利。3月24日、千葉公園体育館大会で本田と対戦。13分、ラリアットで勝利。3月25日、佐久市総合体育館大会でゲーリー・オブライトと対戦。12分39秒、ラリアットで勝利。3月28日、長岡市厚生会館大会で三沢と対戦。24分9秒、ラリアットで勝利。3月30日、愛知県体育館大会で秋山と対戦。20分13秒、ラリアットで勝利。4月4日、熊本市体育館大会でジョニー・エースと対戦。16分39秒、ラリアットで勝利。4月5日、岡山武道館大会で田上と対戦。21分22秒、ダイナミックボムに敗れた。4月10日、ツインメッセ静岡大会でハンセンと対戦。19分51秒、ラリアットで勝利。4月12日、後楽園ホール大会で川田と対戦。30分時間切れ引き分け。4月14日、新潟市体育館大会でスティーブ・ウイリアムスと対戦。23分50秒、バックドロップに敗れた。4月15日、郡山セントラルホール大会でジャイアント・キマラと対戦。13分23秒、ラリアットで勝利。リーグ戦を9勝2敗1引き分け(1不戦勝)の同点1位で終了。4月19日、日本武道館大会で三沢、川田を相手に巴戦で優勝決定戦。第1試合で三沢と対戦。30分時間切れ引き分け。第2試合で川田が三沢に勝利。第3試合で川田と対戦。21分27秒、ジャンピングハイキックに敗れて川田の優勝に終わった。5月27日、札幌中島体育センター別館大会でジョニー・エースと組んで川田、田上組の世界タッグ王座に挑戦。23分40秒、小橋がラリアットで田上に勝利。世界タッグ王座を獲得した。7月25日、日本武道館大会でウイリアムス、オブライト組を相手にタッグ王座の防衛戦。29分36秒、合体雪崩式パワーボムをくらってウイリアムスに小橋がフォール負け。世界タッグ王座から転落した。8月26日、札幌中島体育センター別館大会で馳浩と対戦。32分49秒、ラリアットで勝利。9月29日、松本市総合体育館大会で秋山と対戦。21分57秒、ラリアットで勝利。10月4日、愛知県体育館大会でジョニー・エースと組んでウイリアムス、オブライト組の世界タッグ王座に挑戦。22分38秒、小橋がラリアットでオブライトに勝利。世界タッグ王座を奪回した。10月21日、日本武道館大会で三沢の3冠王座に挑戦。32分55秒、タイガードライバー91に敗れた。この試合でプロレス大賞のベストバウトを受賞した。

1998

98年1月25日、横浜文化体育館大会で川田、田上組を相手にタッグ王座の防衛戦。32分6秒、田上のダイビングハイキックに小橋が敗れて世界タッグ王座から転落。2月24日、ツインメッセ静岡大会でハンセンと対戦。30分時間切れ引き分け。3月21日から始まったチャンピオンカーニバルに参戦。開幕戦の後楽園ホール大会でジョニー・エースと対戦。30分時間切れ引き分け。3月22日、後楽園ホール大会でウルフ・ホークフィールドと対戦。9分9秒、ラリアットで勝利。3月27日、長岡市厚生会館大会で川田と対戦。19分34秒、ラリアットで勝利。川田からシングル初勝利を挙げた。3月28日、福井市体育館大会でゲーリー・オブライトと対戦。13分58秒、フルネルソンスープレックスに敗れた。3月29日、愛知県体育館大会で大森と対戦。12分42秒、ラリアットで勝利。4月1日、岡山武道館大会で三沢と対戦。25分、タイガードライバー91に敗れた。4月7日、熊本市体育館大会でキマラと対戦。12分35秒、ラリアットで勝利。4月11日、後楽園ホール大会で秋山と対戦。30分時間切れ引き分け。4月12日、宮城県スポーツセンター大会で泉田と対戦。12分29秒、ラリアットで勝利。4月14日、会津若松鶴ヶ城体育館大会でスティーブ・ウイリアムスと対戦。20分6秒、ラリアットで勝利。4月16日、小山ゆうえんちアメリカンビレッジ大会でハンセンと対戦。19分32秒、ラリアットで勝利。リーグ戦は8勝2敗2引き分け(1不戦勝)に終わった。6月5日、札幌中島体育センター別館大会でジョニー・エースと組んで川田、田上組の世界タッグ王座に挑戦。30分26秒、田上のダイナミックボムに小橋が敗れた。6月12日、日本武道館大会で川田の3冠王座に挑戦。33分49秒、ラリアットで勝利。3冠王座を獲得した。7月24日、日本武道館大会で秋山を相手に防衛戦。32分50秒、ラリアットで勝利。8月、秋山、志賀賢太郎金丸とユニット「バーニング」を結成。9月11日、日本武道館大会で田上を相手に防衛戦。25分39秒、ラリアットで勝利。10月11日、愛知県体育館大会で秋山と組んで川田、田上組の世界タッグ王座に挑戦。29分51秒、川田のジャンピングハイキックに秋山が敗れた。10月31日、日本武道館大会で三沢を相手に防衛戦。エプロンから場外へのタイガードライバーをくらって大ダメージを負い、43分29秒、エルボーバットに敗れて3冠王座から転落した。この試合でプロレス大賞のベストバウトを受賞した。年末の世界最強タッグ決定リーグ戦では秋山と組んで参戦。12月5日、日本武道館大会での優勝決定戦でハンセン、ベイダー組と対戦。19分3秒、小橋がラリアットでハンセンに勝利。リーグ戦に優勝した。98年度のプロレス大賞でMVPを受賞した。

1999

99年1月7日、高知県民体育館大会で秋山と組んで川田、田上組の世界タッグ王座に挑戦。25分58秒、小橋がラリアットで田上に勝利。世界タッグ王座を獲得した。1月15日、横浜文化体育館大会でベイダーと対戦。16分59秒、ビッグバンクラッシュに敗れた。3月6日、日本武道館大会で三沢、小川良成組を相手にタッグ王座の防衛戦。30分49秒、秋山がエクスプロイダーで小川に勝利。3月26日から始まったチャンピオンカーニバルに参戦。3月27日、後楽園ホール大会で大森と対戦。17分14秒、ラリアットで勝利。3月31日、新潟市体育館大会で三沢と対戦。24分15秒、ラリアットで勝利。4月2日、岡山武道館大会で高山善廣と対戦。11分52秒、ラリアットで勝利。4月4日、広島市東区スポーツセンター大会で秋山と対戦。24分37秒、ラリアットで勝利。4月5日、博多スターレーン大会で田上と対戦。17分6秒、ラリアットで勝利。4月6日、熊本市体育館大会で新崎人生と対戦。16分20秒、ラリアットで勝利。4月8日、大阪府立体育会館大会でベイダーと対戦。30分時間切れ引き分け。4月11日、後楽園ホール大会でジョニー・エースと対戦。30分時間切れ引き分け。4月14日、岩手県営体育館大会でゲーリー・オブライトと対戦。12分25秒、ラリアットで勝利。リーグ戦を7勝2引き分けの1位で終了。4月16日、日本武道館大会でベイダーを相手に優勝決定戦。19分11秒、ベイダーアタックに敗れた。6月9日、宮城県スポーツセンター大会でジョニー・エース、バート・ガン組を相手にタッグ王座の防衛戦。19分36秒、エースのコブラクラッチスープレックスに秋山が敗れて王座転落。6月11日、日本武道館大会で三沢の3冠王座に挑戦。必殺のタイガードライバー91を返したが、43分40秒、エメラルドフロウジョンに敗れた。9月4日、日本武道館大会でザ・グラジエーターと対戦。19分9秒、ラリアットで勝利。10月23日、愛知県体育館大会で秋山と組んで三沢、小川組の世界タッグ王座に挑戦。27分25秒、小橋がバーニングハンマーで三沢に勝利。世界タッグ王座を獲得。10月30日、日本武道館大会で高山、大森組を相手にタッグ王座の防衛戦。14分54秒、小橋がラリアットで高山に勝利。年末の世界最強タッグ決定リーグ戦では秋山と組んで参戦。12月3日、日本武道館大会で田上、ハンセン組を相手に優勝決定戦。20分15秒、秋山がエクスプロイダーで田上に勝利。リーグ戦に優勝した。99年度のプロレス大賞で秋山と共に最優秀タッグチーム賞を受賞した。

2000

00年1月10日、熊本市総合体育館大会でベイダー、ジョニー・スミス組を相手にタッグ王座の防衛戦。17分10秒、秋山がエクスプロイダーでスミスに勝利。1月17日、大阪府立体育館会館大会で川田と対戦。18分15秒、ラリアットで勝利。2月17日、北海道立総合体育センター大会でスティーブ・ウイリアムスと対戦。24分37秒、ラリアットで勝利。2月20日、神戸ワールド記念ホール大会でベイダー、ウイリアムス組を相手にタッグ王座の防衛戦。25分14秒、ベイダーのチョークスラムに小橋が敗れて世界タッグ王座から転落した。2月27日、日本武道館大会でベイダーの3冠王座に挑戦。19分49秒、ラリアットで勝利。3冠王座を獲得した。4月1日、岡山武道館大会でトーナメント戦となったチャンピオンカーニバルに参戦。1回戦でジョニー・エースと対戦。20分56秒、ラリアットで勝利。4月8日、後楽園ホール大会での2回戦でジョニー・スミスと対戦。17分43秒、腕固めで勝利。4月11日、石川県産業展示館1号館大会での準決勝で三沢と対戦。26分8秒、ラリアットで勝利。4月15日、日本武道館大会での決勝で大森と対戦。25分12秒、ラリアットで勝利。チャンピオンカーニバルに優勝した。5月26日、日本武道館大会で高山を相手に防衛戦。21分20秒、ラリアットで勝利。6月16日、ディファ有明での三沢の新団体設立会見に、他の参加メンバーと共に同席し、ノアの旗揚げに参加。8月5日、ディファ有明で旗揚げ戦。小橋建太に改名。度重なる膝への負担が元で長期欠場になる。

2002

02年2月17日、武道館での復帰戦で左膝を負傷。またもや戦線離脱を余儀なくされた。

7月5日に復帰後は、常勝エースとしてノアに君臨。

2003

03年3月1日、日本武道館大会で三沢を破り第6代GHCヘビー級王座を獲得した。2年間に渡り同王座を防衛。絶対王者と呼ばれた。

2004

04年7月10日、ノアで初開催となった東京ドーム大会のメインで秋山を相手に防衛戦。35分34秒、バーニングハンマーで勝利。この試合でプロレス大賞のベストバウトを受賞した。

2005

05年3月5日に力皇猛に敗れて王座陥落。7月18日のノアの東京ドーム大会ではセミファイナルで佐々木健介と初の対戦。合計200発以上に及ぶ壮絶なチョップ合戦の末に23分38秒、剛腕ラリアットで勝利した。この試合でプロレス大賞のベストバウトを受賞した。9月20日から10月4日まで、アメリカ遠征。9月22日、WLWのエルドン大会でWLW王者のワイルド・ウェイド・チズムと対戦。14分8秒、剛腕ラリアットで勝利した。10月1日、ROHのニューヨーク大会でサモア・ジョーとシングルで対戦。23分42秒、剛腕ラリアットで勝利した。10月2日、ROHのフィラデルフィア大会でホミサイドと組んでサモア・ジョー、ロウキー組と対戦。27分36秒、ロウキーから剛腕ラリアットで勝利した。

2006

06年6月29日、右腎臓の腫瘍手術のため長期欠場を表明。7月6日に右腎臓摘除手術。7月27日に退院した。12月12日、日本武道館大会に来場し、ファンに挨拶。「今回の病気のことでみなさんに大変ご心配をおかけしました。手術も成功し、体調も徐々に良くなっております。これから先のことはまだなにも決まっていませんが、必ず、このリングに・・・・・・帰ってきます!」と力強く宣言した。

2007

07年12月2日、日本武道館大会で復帰戦。高山善廣と組んで三沢、秋山組と対戦。この対戦カードは、脳梗塞から長期欠場した高山の復帰戦として一度は決まっていたが、小橋の欠場のために流れた形となっていた。1万7000人の超満員の観客の前で、全盛期と変わらぬファイトを披露。ハーフネルソンスープレックス、マシンガンチョップ、豪腕ラリアット、ムーンサルトプレスを炸裂させた。対する三沢、秋山も容赦ない攻めを展開。最後は27分7秒、雪崩式エメラルドフロウジョンで小橋がフォール負け。勝利した三沢のテーマ「スパルタンX」に合わせて観客は大「小橋」コールで祝った。この試合は07年度プロレス大賞のベストバウトに選ばれた。その後は体調に合わせて出場試合を制限していたが、

2008

08年8月23日から9月6日のシリーズでは全戦出場した。しかし右肘を痛めてしまい、9月9日に「遅発性尺骨神経麻痺」と「両肘関節遊離体(通称ねずみ)切除」の手術をし、入院。

2009

09年3月1日、日本武道館大会で復帰戦。欠場前よりも7、8キロ体重を増加させ、全盛期に近い体での登場となった。第1試合で井上雅央と対戦し、100発以上のチョップを浴びせ、14分7秒、ハーフネルソンスープレックスからのラリアットで勝利。6月8日、京王プラザホテル大会で秋山を特別レフリーにして橋誠のハードコア王座に挑戦。試合開始から10分間はチョップ禁止という不利なルールでの試合となった。うっかり2発出して追いこまれたが、試合開始10分後に逆水平チョップを連発。わずか2分15秒の間に41連続を含む83発を叩きこみ圧倒。最後は12分15秒、ハーフネルソンスープレックスからのラリアットで勝利してGHCハードコア王座を獲得。6月13日、広島県立総合体育館大会での試合で三沢が死去。7月6日、都内の事務所で臨時株主総会、取締役会を開き、田上が社長に就任。小橋は丸藤と共に副社長に就任した。8月30日、全日本プロレスの両国国技館大会で伊藤菊地と組んで小島KAI大和組と対戦。約9年ぶりの全日本プロレス参戦となった。29分13秒、小島のラリアットに伊藤が敗れた。ハードコア王座は井上(7月21日)、川畑(8月29日)、キース・ウォーカー(10月28日)、相島勇人(11月24日)を相手に順調に防衛を重ねたが12月に王座返上を表明した。12月24日、腰椎捻挫のため、その日の大会を欠場した。さらに右肘の状態が悪化。

2010

10年1月から肘部管症候群のため長期欠場。1月6日、右尺骨神経剥離術と右膝関節遊離体切除の手術。10月2日、美人演歌歌手のみずき舞と東京・日比谷の帝国ホテルで挙式。記者会見では年内の復帰に意欲を見せた。

2011

11年7月24日、大阪府立体育会館大会で復帰戦。潮崎と組んで秋山、齋藤組と対戦し、28分9秒、秋山の変型スターネスダストに小橋が敗れた。8月27日、日本武道館での全日本、新日本、ノアの合同チャリティ興業「ALL TOGETHER」に出場し、武藤敬司と組んで飯塚矢野組と対戦。終盤に武藤がシャイニングウィザードから飯塚にムーンサルトプレス。14分58秒、大声援の中で拳を握りしめ、ムーンサルトプレスを決めてフォール勝ち。この試合でプロレス大賞のベストバウトを受賞した。9月29日付でノアの取締役副社長を退任。

2012

12年2月19日、仙台サンプラザホールでの「ALL TOGETHER」第2回大会で武藤と組んで秋山、大森組と対戦。ムーンサルトプレスを放ったが、頭から着地するような不完全な形となった。20分20秒、武藤がムーンサルトプレスで秋山に勝利。この試合で左脛亀裂骨折、右膝内側側副靭帯損傷、右脛骨挫傷の重傷を負い、長期欠場。2月20日から都内の病院に入院。3月5日に退院した。12月4日、東京スポーツが、12月いっぱいで小橋がノアを「解雇」され、秋山、潮崎、鈴木鼓太郎青木、金丸が退団する記事を掲載。12月9日、両国国技館大会でリングに登場してファンにあいさつ。「まず最初に言っておきたいことがあります。一部報道されたノアからの戦力外通知、解雇などということは一切ありません。ですが、実は4年前から首の影響で左足に力が入らなくなってきていました。医師から緊急手術をするか引退するかどちらかを決めてほしいと言われました。今年7月に思いきって首を手術しました。この間、復帰を目指して頑張ってきました。しかし、依然として状態は悪く、ここに来て私自身、完全復活は無理だと判断し・・・。引退することを決意しました。でもプロレスは僕の命です。もう一度、もう一度だけリングに上がって完全燃焼して自分のプロレス人生に区切りをつけたいと思います。これからの人生はプロレスで学んだ不屈の精神、一生懸命頑張っていきたいと思います。本当に皆さん、なにもなかった自分がここまで来れたのは、皆さんの本当に応援があったから。だからがんばれたと思います。皆さんに対して出る言葉は本当に感謝の気持ちしかありません。でも、もう一度、もう一度だけ自分のコンディションを作ってリングに上がります。もう一度だけお願いします。皆さんありがとうございました。自分がこうして引退宣言をする日が来るなんて思わなかったです。小橋建太に世代交代はないと言ってきましたが、自分でこういう日が来るなんて思いませんでした。しかし、時代は動いています。人間必ずこういう時が来ます。しかし人生が終わったわけではありません。これからもう一度がんばってこの充実したプロレス人生に負けない人生を送りたいと思っています。皆さん本当にどうもありがとうございました」と語り、リングを降りた。

2013

13年5月11日、ノアの日本武道館大会のメインで引退試合。武藤、佐々木健介、秋山と組んでKENTA、金丸、潮崎、マイバッハ谷口組と対戦。17,000人の超満員の大観衆を前に全力を出し切った真っ向勝負を展開。39分59秒、小橋がムーンサルトプレスで金丸に勝利。

2014

14年6月8日、後楽園ホールでプロデュース興行を開催。全6試合の合間に長州力と30分間のトークショーを行った。
スクラップブック
(秋山社長の徒然日記「高知大会」2008年1月11日 (金曜日) より)
今日、高知大会なのでバスで岡山から移動してきた。
高知のホテルに到着したのが午後1時頃なのだが、会場からの連絡で今日特別参戦の小橋さんが既に会場に来て練習をしていると・・・(6時30分試合開始なのに早過ぎるだろ!)
そして僕達のバスが4時頃会場に着いたのだが、リング上で小橋さんはまだ練習していた・・・。試合前に3時間練習なんて・・・やり過ぎだろ!誰か止める人はいないのだろうか!?
止まらないとは思うが・・・


小橋に対する若林アナの名言(週刊プロレス別冊「四天王プロレスFILE」より)
「現住所、全日合宿所!」
「ここでやめたら、誰が君の拳に夢を見るのですか?」
「いつも5年先の稽古をしている!」
「将来有望、現在無謀!」


第6代GHCヘビー級王座の記録(03.3.1〜05.03.05)

※タイトル獲得 vs三沢光晴
03年3月1日Navigate for Evolution03最終戦 日本武道館
33分28秒バーニングハンマー→体固め
超満員の日本武道館。序盤から三沢は急角度のバックドロップ、コーナーから場外へのエルボースイシーダ、エプロンを走ってのウルトラタイガードロップ。さらに右腕を重点的に攻めこむが、小橋は場外でのハーフネルソンスープレックスで反撃。 その後は、小橋のハーフネルソンスープレックスにスリーパースープレックス、三沢はタイガースープレックスやタイガースープレックス85など、投げっぱなしスープレックスが交錯する一進一退の攻防。三沢は花道で腰を落とす小橋に対してリング内からエルボースイシーダ、そして花道の上からリングの下へ投げ捨てタイガースープレックスを放つ。リング上で三沢が必殺のエメラルド・フロウジョンを繰り出したが小橋はカウント2で返す。さらにエルボーで追い討ちをかけようとした三沢を、小橋はラリアットで迎撃。そこから垂直落下式ブレーンバスターに繋ぎ、最後はバーニングハンマーでタイトル獲得に成功した。

※初防衛 vs本田多聞
03年4月13日Encountering Navigation03最終戦 有明コロシアム
26分55秒ショートレンジ剛腕ラリアット→体固め
序盤はバックの取り合いなど、グラウンドでの攻防が続く。小橋の足をロックした本田は、回転してアマレス式のフォール狙い。あわてて小橋は肩を上げていく。 ヘッドロックを決める小橋は、本田がロープへ飛ばそうとしても放さず、かわず落としからフルネルソンの拷問技で本田から徐々に力を奪っていく。本田は「回転地獄五輪」シリーズの全5種を駆使し、花道に向けてデッドエンド、さらに雪崩式のデッドエンドで小橋を追いつめていく。左腕での豪腕ラリアットで優勢に立った小橋はさらにラリアットを狙うが、多聞がスピアー、デッドエンドで反撃。小橋はすぐに起きあがってラリアットを放ち、両者ダウン。とどめのラリアットを狙った小橋だが、本田は腕を巻きこんで、そのまま丸め込む。惜しくもカウント2。小橋はチョップで反撃し、急角度のハーフネルソンスープレックス。最後は、強引に本田を起こした小橋が右の豪腕ラリアットを放ち、ついに3カウントを奪った。

※2度目の防衛 vs蝶野正洋
03年5月2日 新日本プロレス「ULTIMATE CRUSH」 東京ドーム
28分27秒剛腕ラリアット→体固め
序盤は一進一退の攻防。小橋のスープレックスにすかさず立ち上がった蝶野は、ブリッジのきいた高角度バックドロップを4連発。さらにケンカキックでフォールを狙うもカウントは2。続けての蝶野のフライングキックにカウントは2.9。さらに蝶野が必殺のSTFを決める。リング中央で小橋を絞め上げる。蝶野をひきずりロープに手を伸ばす小橋。蝶野はその手をとらえ、バタフライロックに移行。小橋は何とかエスケープ。小橋は背後に回り、ハーフネルソンスープレックス。しかし、蝶野はすぐに立ち上がる。小橋は豪腕ラリアットを放ち、完全に試合のペースをつかむ。さらに蝶野をひきずり起こし、パワーボムでコーナーに叩きつける。続けて強烈なハーフネルソンスープレックスの3連打で、蝶野は完全にグロッキー。人形のようにひきちぎられる蝶野に思わず、天山らがエプロンに上がる。さらに小橋はハーフネルソンスープレックス。とどめのラリアットをかわした蝶野はコブラツイストを狙うが、振り切られ、またも小橋の6発目となるハーフネルソンで大の字。最後は小橋が横たわる蝶野を引きずりおこしての豪腕ラリアット2連発で蝶野から完璧な3カウントを奪った。

――改めて小橋さんの印象というのは?
蝶野「確か向こうも復帰して半年ぐらいだったでしょ?その後、絶対王者みたいになったけど、まだ本調子じゃないんじゃないのかなっていう感じはしたね。自分も同じレスラーとして復帰できないんじゃないかっていう怪我から立ち上がってきたし、そういう意味では共感する部分もあったよ」
――試合後には、安堵感からか涙を流されていたのが印象的でした。
蝶野「この時は何も出来ないって自分で分かってたから。でも5万人ぐらい入ってたお客さんたちには、俺の怪我なんて関係ない話じゃない?そこでプロとしての仕事ができるのか、試合ができるのかっていうことが、勝ち負けの自分の頭の中を駆け巡ったよね」
(週刊ゴング NO.1073の蝶野のインタビューより)

※3度目の防衛 vsバイソン・スミス
03年8月26日Navigation Over the Date Line03 名古屋国際会議場
23分32秒剛腕ラリアット→体固め
バイソンは124キロのパワーで圧倒し、新技バイソン・ボムで小橋を強烈にトップロープから叩きつける。雪崩式フランケンシュタイナーをも放ち優勢に立ったバイソンだったが小橋は超人的な粘りを発揮。ハーフネルソン・スープレックス4連発で勝利をたぐり寄せ、髪をわしづかんでの至近距離ラリアットで決着をつけた。

※4度目の防衛 vs永田裕志
03年9月12日Navigation Over the Date Line03最終戦 日本武道館
30分13秒ショートレンジ剛腕ラリアット→体固め
互角の攻防から、小橋が永田をロープに詰めるとチョップを放ち、滞空時間の長いブレーンバスターで永田を叩きつけ、ヘッドロックを決める。永田はなんとか返そうとするが、小橋が力ずくで絞めあげていく。どうにか逃れた永田は、小橋をグラウンドへ誘う。小橋が永田をヘッドシザースにとらえると、永田は西村張りの倒立で脱出。顔面蹴りで小橋を花道に追いやった永田はフロントスープレックスで小橋を投げすてる。小橋は首筋を狙ってチョップを連打するが、永田も耐えぬいて、腕ひしぎ逆十字固めを決める。試合は永田のペースとなり、場外に小橋を落とすとフェンスに叩きつけ、リング上では指をつかんでのアームブリーカーで小橋の豪腕封じを狙う。小橋もローリングチョップから反撃。永田のエクスプロイダーを受けるものの、ランニングネックブリーカーを決め、永田をダウンさせる。ナガタロックを防いだ小橋はハーフネルソンスープレックス。20分を経過し、小橋は永田を投げ捨てパワーボムの要領でコーナーにたたきつけ、さらにハーフネルソンスープレックス2連発からスリーパースープレックス。永田は小橋のラリアットをカウンターのニールキックで迎撃。さらに永田は雪崩式エクスプロイダーから延髄斬り6連発とたたみかけ、バックドロップホールドを決める。だが、小橋も腕を捕まえてのチョップ連打で反撃。左右のラリアットで勝機をつかんだ小橋は垂直落下式のブレーンバスターを放ち、最後はショートレンジの豪腕ラリアットで試合を決めた。


※5度目の防衛 vs小川良成
03年11月1日Navigation,Against the Current03 日本武道館
23分51秒剛腕ラリアット→体固め
小川はゴングを待たずに水をふきかけ、奇襲攻撃。小橋もチョップの連打で小川をダウンさせるが、小川は小橋の腕を取ると、小橋の巨体を転がし、ヘッドロックの体勢で、小橋の顔面をロープにこすりつけ、さらにスリーパーを狙う。小橋はそれをこらえると意表をつくローリングクレイドルで大回転。小川を丸め込もうとする。さらにチョップの連打を浴びせ、小川はダウン。だが、すきをついて小川が低空ドロップキックを小橋のひざ裏に叩きこむ。小川は小橋の最大の弱点であるひざをストンピングやエルボーで徹底的に痛めつける。レッグブリーカーで小橋のひざを引っぱっていく。小橋もなんとか反撃をしようとするが、ドラゴンスクリューから片逆エビ固めで小川も応戦。だが小橋は上半身の力だけでプッシュアップして小川をはねかえし、コーナーにつめてマシンガンチョップを叩きこむ。しかし、小川は両足で小橋の足をはさんでチョップを防ぐと、再度のドラゴンスクリューから鉄柱を使っての4の字固めで徹底的にひざを痛めつける。小川は小馬鹿にするように、小橋の頭をはたく。小橋はランニングネックブリーカーで反撃。小川は小橋をレフェリーに投げつける。レフェリーは失神。 無法地帯となったリングに小川はゴングを持ちこんで、小橋のひざに叩きつけ、さらに場外フェンスに投げつける。だが小橋もラフにはラフでとばかりに鉄柱に小川をたたきつけ、さらにローリング袈裟斬りチョップでコーナーに小川の体を再度たたきつける。グロッキー状態の小川にナックルパートを連打。小川は流血。リングに戻ってもフラフラの小川の額に拳を突き立て、さらに花道でも同じ攻撃を続ける。小川もひざへの蹴りで対抗するが、小橋は意に介さず、DDTで小川の頭を花道に突き刺す。小川も急所攻撃で反撃。だが、小橋は雪崩式ブレンバスターを放つ。それでも立ち上がる小川はバックドロップを放つと、丸め込みを2連発。場内は大きくどよめくが、3度目は小橋が俵返し気味に投げすてる。最後は飛びつき腕十字式の丸め込みをこらえると、至近距離のラリアット2連発で勝利した。

※6度目の防衛 vs佐野巧真
04年1月25日The First Navigation04 神戸ワールド記念ホール
25分58秒垂直落下式ブレーンバスター→体固め
佐野の右ストレートで小橋は大の字にダウン。佐野はひざを狙って低空ドロップキック、ドラゴンスクリュー。さらにはコーナー最上段から場外へのフットスタンプ。ハーフネルソンスープレックスを狙うが佐野は腕固めで切り返す。しかし小橋はそのまま持ち上げて佐野を後方に投げすてた。ラリアットを決めるがカウント2。最後は垂直落下式ブレーンバスターで試合を決めた。

※7度目の防衛 vs力皇猛
04年3月6日Navigate for Evolution04 日本武道館
25分28秒ショートレンジ豪腕ラリアット→体固め
ゴングと同時にチョップ合戦。力皇は豪快なぶちかましから、突っ張りや張り手の連打。さらに喉輪からそのまま後方に叩きつけると、コーナーでも豪快な体当たり。小橋は場外の花道で力皇のパイルドライバー狙いを切り返してDDT。チョップ連打から回転チョップでダウンさせる。リング上で滞空時間の長いブレーンバスター。力皇も小橋の左足をとらえると非情のドラゴンスクリューで反撃。さらに場外に連れ出し、フェンスに小橋の足を叩きつけ、リング上でもアンクルホールド。場外戦でも力皇は左足1本に狙いを定め、エプロンの小橋の足にラリアット。さらにリング上でニークラッシャーからさそり固めで攻めこむ。力皇とリング中央で豪快な頭突き合戦.。力皇は1歩も退かず小橋をコーナーに後退させる。小橋をパワーボムの体勢に持ち上げると、そのままコーナーポストに叩きつけ、小橋をダウン。さらに上段から全体重でのボディープレスでカウント2。小橋は、後頭部への回転チヨップ2連打から、ハーフネルソンスープレックス。しかし力皇はぶちかましからコーナー上段からのバックドロップ、さらにラリアートで反撃しカウント2。そして高角度のパワーボム。しかし、ラリアットを狙ったところを、小橋は至近距離からラリアット。小橋はブレーンバスターを狙うが、力皇はお返しのブレーンバスタースラム。続けてのパワーボムでフィニッシュを狙った力皇だが、それをウラカンラナで返した小橋は、力皇の頭を固定しての顔面張り手の連打。うつぶせに倒れた力皇をひきずり起こしてハーフネルソン。25分経過の声とともに回転チョップの連打。力皇をひきずり起こし、豪腕ラリアート。7度目の防衛に成功した。

※8度目の防衛 vs高山善廣
04年4月25日Encountering Navigation04 日本武道館
28分47秒ムーンサルトプレス→片エビ固め
序盤は高山が優勢。ヒザ蹴りを浴びた小橋は、自ら場外へエスケープ。下りてきた高山をタックルで迎撃した小橋だが、エプロンサイドでバックドロップを決められ、カウント19でリングに復帰した。高山の蹴り足をつかみ、キックを阻止した小橋は、ヘッドバット、フェースロックと反撃に出るも、高山の勢いは止まらない。小橋の右ヒザを絞め上げ、さらに後頭部へのひざ蹴り、エベレストジャーマンを放つ。かろうじてこらえた小橋も反撃のハーフネルソンスープレックス、オレンジクラッシュを見舞うが、カウント3ならず。逆にドラゴンスープレックスを食らい、ダウンカウント9を数えられてしまう。立ち上がりざま高山にラリアットをたたきこんだ小橋。カウント9で立ち上がってくるやもう1発。だが、高山もレフェリーの制止を振り払いキックをたたきこんでいく。小橋はハーフネルソンスープレックスから垂直落下式ブレーンバスター。バーニングハンマーは阻止されるもラリアット。そして、ここ数年封印していたムーンサルトプレスを放つ。宙を舞った小橋の体が高山をとらえ、カウント3が入った瞬間、興奮した観客がリングサイドに詰めかけた。

※9度目の防衛 vs秋山準
04年7月10日DEPARTURE2004 東京ドーム
35分34秒バーニングハンマー→体固め
序盤は静かな展開。秋山は何十発と水平チョップをたたきこまれようと、まったくひるまず、逆に小橋の顔面にキックを直撃。さらに、エプロンに寝かせた小橋にギロチンドロップを叩きこみ、小橋の動きを完全に止める。秋山のヘッドシザースからはなんとかエスケープしたものの、小橋の表情はもうろうとしたまま。タラバガニロックも一度は回避したが、ひざ蹴り、フェイスバスター、後頭部ラリアット、そして再びタラバガニロックにとらえられ、小橋はグロッキー状態。小橋は秋山をヘッドロックでとらえると、どんなに投げられても離さず、ついにはスープレックスを敢行。さらにコーナーに秋山を追い込んでの水平チョップ、回転袈裟斬りチョップで加速をつけ、エプロンからのブレーンバスターで秋山を場外のマットにたたきつける。リングインしてからもハーフネルソンスープレックス、オレンジクラッシュ、ショートレンジの剛腕ラリアットとたたみかける。しかし、秋山はバーニングハンマーをかわすと、エプロンからセカンドロープに上った小橋に場外へのエクスプロイダー弾。もはやフラフラの両者はカウントアウトギリギリでリングへ転がりこんだ。秋山はエクスプロイダーを放った直後、今度は小橋をコーナーに持ち上げての雪崩式エクスプロイダー。小橋がカウント2で返した直後、30分経過が告げられる。なおも攻撃の手をゆるめない秋山は頭突きからフロントネックロック、そしてフィニッシュ予告からリストクラッチエクスプロイダーを放つ。なおもカウント2で返す小橋。観客の声援に支えられた小橋はもうろうとしながらも垂直落下式ブレーンバスターからハーフネルソンスープレックス。秋山はすぐに立ち上がり、エクスプロイダー。もう一度ハーフネルソンをくらった秋山は、またもやすぐに立ち上がりエクスプロイダー。立ち上がった小橋は剛腕ラリアット。もう一発。そしてムーンサルトプレス。秋山はカウント2で返す。最後は必殺のバーニングハンマー。小橋は王座防衛に成功した。

※10度目の防衛 vs田上明
04年9月10日Navigation, Over The Date Line04 日本武道館
28分05秒リストクラッチ式バーニングハンマー→体固め
ゴングを合図にガッチリとロックアップをした両者。田上はヘッドロック、脳天唐竹割り、延髄斬りと怒涛の攻撃で小橋を場外へ追いやると、久々にトペ・スイシーダを敢行。場外では小橋を鉄柵へたたきつけ、リングに戻ってからもチョップ、コーナーへ詰めてのラリアット、スリーパー、DDTとまったく手を休めない。小橋も水平チョップで反撃を試みるが、田上のハイキック一発でダウン。だが、小橋もまさかのプランチャで田上の虚を突くことに成功すると、河津掛、水平チップ、コブラツイストと流れを引き戻そうとする。だが、田上火山は大噴火。小橋の左ひざに狙いを定め、後ろ回し蹴りのようなキックで小橋のコブラツイストをはずすと、ドラゴンスクリューでひざ攻め。さらにSTFまで繰り出していく。田上は寝ている小橋に蹴りを見舞い、ひざへローキック。小橋は逆水平で反撃するも、田上は徹底的なローキックから、さらにニークラッシャー。さらにグラウンドで4の字固めをしかけ、小橋のひざを絞めあげていく。 だが、小橋はチョップでの反撃からフロントネックロック。小橋は花道の上で田上に逆水平からローリングの袈裟斬りを放つが、これをかわされる。田上はのど輪の体勢に。小橋はロープをつかんで粘るが、田上はロープへのビッグブーツで小橋の手を離すと、花道でのど輪落とし。さらにリングに戻って投げっ放しのバックドロップ。さらにエプロンサイドからは断崖式の「俺が田上」を敢行。小橋は完全にグロッキー。田上はカウントを無視して小橋を起き上がらせると、ダイナミックボム。小橋は何とかカウント2で返す。田上はさらにのど輪落としを狙う。しかし、小橋はこれをチョップ攻撃で外すと、剛腕ラリアットで田上をなぎ倒す。その後、小橋が反撃し、ムーンサルトプレス。しかし、田上はこれをかわし、小橋はひざから落ちたために大ダメージ。田上はのど輪落としから、「俺が田上」へつないでフォール。小橋、なんとかカウント2で返す。 田上は小橋をコーナートップに座らせる。小橋は田上の足をつかむが、田上が器用に切り返す。さらに跳び蹴り。そして、リング中央でついに幻の大技「秩父セメント」を発射。ブレーンバスターの体勢から真下にのど輪落としでたたきつけるこの大技が完全な形で決まるが、小橋はカウント2.9で返す。田上はコーナートップからの豪快なダイビングボディプレスでもう一度フォールに入るが、小橋はなんとか粘る。場内は田上への大コールが鳴り止まない。しかし、スタミナに勝る小橋は、先に立ち上がった田上に後方からラリアット。リング中央でブレーンバスターへ。しかし、田上はこれを切り返していく。小橋は低空のハーフネルソンを放つと、さらに立ち上がった田上にローリングの袈裟斬りを連発。リング中央では剛腕ラリアット。今度は田上がグロッキー。最後は小橋がリストクラッチ式バーニングハンマーをはなち、王座防衛に成功した。

※11度目の防衛 vs斎藤彰俊
04年10月24日Navigation,Against the Current04 大阪府立体育会館
28分55秒リアル・ブレーンバスター→体固め
にらみ合いからチョップとエルボーを打ち合う2人。小橋は左右の袈裟切りチョップを見せるが、斉藤もローリングチョップで応戦。ならばと小橋はジャンピングショルダーを繰り出すが、斉藤はすぐに立ち上がりラリアット。そして小橋のローリング袈裟切りをかわし、高角度のバックドロップで叩きつける。小橋はたまらず場外へ。一度は斉藤がリングに上げたものの、すぐに場外に下りてしまう。斉藤は「どうした、小橋」と挑発。リングに戻ってきた小橋に高々と手を差し出し、力比べを要求する斉藤。それに応えて小橋も手を握り、力比べが始まった。小橋がロープに押し込むと、斉藤がローキック。小橋も逆水平を返すが、打ち合いになると斉藤が競り勝ち、ローの連打でダウンを奪う。しかし、小橋もすぐに立ちあがると、今度は頭突きの打ち合いに。ここでも斉藤が競り勝つ。コーナーに押し込んでまで頭突きを連打した斉藤。小橋がコーナーで倒れこむと、串刺しのニー。さらに、場内にアピール。場内の大歓声を浴びると、顔面にキックを放つ。ここから斉藤の攻撃は一転。小橋のひざを攻める。厳しく絞めあげると、ストンピングを連打。小橋も握り拳を作るが、斉藤は足を持って引きずると、鉄柵に叩きつけていく。立ったところで、離れ際に逆水平を決めた小橋に、斉藤はローを返すが、怒った小橋はひざ蹴りからチョップを連打し、場外に。小橋は、エプロンに上がってきた斉藤を再び場外に落とし、プランチャ。そして、花道まで連れ出すと、逆水平で押し込む。ロープに振って逆水平をまたもや叩き込むと、花道上でDDT。そして「いくぞ」と叫んでもう一発DDT。小橋が流れを引き戻し始める。リング内で上体だけ起こした斉藤にチョップを決めた小橋はSTFに固める。さらにナガタロック2に固めるが、斉藤はこれを何とか凌ぐ。小橋はキチンシンクの連発から、ノド元に垂直にチョップを落とすと、さらにそれを連発してフォールにいくが、カウントは2。フェイスロックで絞めあげてからのフォールもなんとか返す斉藤。続けて、小橋は東京ドームで見せた断崖ブレーンバスターを狙うが、斉藤がこれを逆に投げ返す。小橋の体勢が横に流れ、危険な形で場外に叩きつけられてしまう。動きが止まった小橋をリングに戻しフォールにいく斉藤。これを返されると、場外に連れ出し、鉄柱に右腕を固定。そこに手刀を落としていく。さらに、リング上でもショルダーブリーカーや、腕へのチョップを見せると、小橋は逆水平で反撃するが、痛みで威力は半減。逆に斉藤は右腕をロープで固定し、そこにカカト落としを落とす。腕ひしぎで絞り上げた斉藤は花道に連れ出すと、ロープに振り、ボディへの正拳突きからチョークスラム。ここでポーズを作り観客にアピール。大声援が斉藤に送られる。小橋はカウント15でリングに戻るも、右腕のダメージは相当なもの。斉藤は容赦なく右腕に蹴りを連打、ショルダーアームブリーカーを連発。さらにニールキックを放つが、これを打ち落とした小橋はランニングネックブリーカー。小橋は右腕の痛みをこらえ、マシンガンチョップを放つ。斉藤は正拳突きとローのラッシュで小橋を押し返すと、顔面パンチ、さらに飛びひざ蹴り。これをカウント2で切り返されると、危険な角度のジャーマンで投げ捨て、さらにパワーボム。小橋コールが起こると、なんとかカウント2で返す。まだ体力が残っている斉藤は首を切るポーズを作るが、この隙に小橋が組みついてバックドロップ。背後から掴みかかり、ハーフネルソン。小橋は剛腕ラリアットを狙う。しかし、これに手刀を合わせた斉藤は、カウンターでスイクルデスを発射。なんと小橋はすぐさま立ち上がり、剛腕ラリアットを決めるが、両者ダウン。斉藤は正拳突きから、顔面パンチ。前のめりに倒れた小橋を立ち上がらせると、スイクルデス。カウントは2。ならばと、デス・パニッシュ。これもカウント2で返される。25分経過。斉藤はデス・ブランドを狙う。しかし、小橋は背後に着地すると、後から頭突きを連発。ローリング袈裟切りからハーフネルソンで投げる。すぐに立ち上がった斉藤だったが、腕を絡め取られると、さらにもう一発ハーフネルソンで投げられてしまう。ほぼ同時に立ち上がった2人。斉藤は関節蹴りをカウンターで突き刺すと、スイクルデス。しかし、これもカウント2。斉藤はまたもやデス・ブランドを狙うが、小橋はこれを防ぎ、ローリング袈裟切りを連発。3発目でコーナーに倒れこむ斉藤。そこにさらに2発、そして立ち上がらせてもう一発。小橋が凄まじい連打を見せると、コーナーに後ろ向きに担ぎ上げて、その状態で後ろに体を倒させ、垂直に手刀を落としていく。斉藤はカウント2で返すが、小橋はショートレンジ剛腕ラリアット。これをカウント2ぎりぎりで返した斉藤はパンチを顔面に打ちこむが、小橋も顔面にナックルパートを連発。最後はリアルブレーンバスターでカウント3。

※12度目の防衛 vsザ・グラジエーター
04年12月4日Navigation, Uprising Spirit04 横浜文化体育館
28分21秒ムーンサルトプレス→体固め
グラジエーターが小橋を場外に投げ捨て、一気にヒートアップ。約2メートルのグラジエーターが挑発するかのように手を高く掲げて小橋を挑発すると、小橋も手を伸ばし、力比べへ。続くチョップ合戦でもまったく引かず、たちまちグラジエーターの胸板が真っ赤に染まった。小橋はチョップでなぎ倒したグラジエーターをスリーパーにとらえると、場外戦でもチョップ、かわず掛けを見舞うが、グラジエーターも小橋をかかえ上げて後ろへ倒し、さらにリングに戻って場外へのトペを敢行。リングに自力で戻った小橋だが、立ち上がることもできずにストンピング、キャメルクラッチとグラジエーターのペースにはまってしまう。なんとかエスケープした小橋だが、またしても場外へ連れ出され、さらにリング上でもキャメルクラッチ、背中へのチョップ、ラリアットと猛攻は続いたまま。小橋がグッタリしているスキにエプロン下に机を用意したグラジエーターはエプロンへ小橋を連れ出し、机上アッサムボムの体勢へ。ケサ斬りチョップなどで何とか脱出をはかった小橋だが、グラジエーターに強引に押し切られ、アッサムボムで背中を机に強打。机は衝撃でまっぷたつにへし折られた。なんとかカウントを2で返した小橋だが、グラジエーターは投げ捨ての裏投げ、フェイスクラッシャー、ダイビングラリアット。グラジエーターの体をかわし、場外へ落とした小橋はまさかのプランチャ。リングに戻ると、水平チョップの連打を見舞うがかわされてしまい、なかなか反撃に移れない。勢いに乗るグラジエーターは、花道の小橋にトペで突っ込むと、花道から助走をつけてのアッサムボム、さらにダイブングボディープレス。カウント2とみるや、さらにもう1発アッサムボム。場内には小橋コールが巻き起こる。これに小橋はトップロープからの反撃を試みるが、切り返されて逆にコーナートップからのカミカゼ・アッサムボムを食らってしまう。ものすごい高さから落とされた小橋は、場内の悲鳴の中、なんとかカウント2で返す。小橋はハーフネルソンスープレックスからショルダータックルで一気に形勢を逆転。もう1発ハーフネルソンを放った小橋は雄たけびをあげ、豪腕ラリアットを狙うが、グラジエーターはこれをカット。再びラリアットを放つが、これは当たりが浅くカウント2。すると、小橋はすぐさまムーンサルトプレスに切り替えて宙を舞い、完璧な3カウントを奪った。

※13度目の防衛 vs鈴木みのる
05年1月8日GREAT VOYAGE05 日本武道館
25分22秒 豪腕ラリアット→片エビ固め
ゴングが鳴るや組み合いを要求した小橋だが、鈴木はフットワークを使い、かわしまくる。小橋の袈裟斬りチョップすらよけた鈴木は、小橋の右腕を足でとらえるが、小橋はエスケープ。ヘッドロックにとらえた小橋は、鈴木を執拗に絞めあげる。ようやく離した小橋はエプロンでチョップをたたきこむと場外へ。そこでも鈴木の頭部を絞める。コーナーに鈴木を据えた小橋は水平チョップから高速チョップへ。苦痛に鈴木の顔がゆがみ、場内大歓声。しかし鈴木は小橋の右腕をとらえると、コーナーから逆さ吊りになり全体重をかけて絞めあげる。痛みにしゃがみこむ小橋に、鈴木は右腕へのキック、さらに腕十字。エスケープした小橋だが、鈴木は腕折りからキック。小橋も技を仕掛けるが、かわされてしまう。小橋は自ら左ほほを指さして張り手合戦を仕掛けるが、鈴木はすぐに関節技へ移行。小橋の右腕をねじ曲げていく。小橋にロープへ逃げられると、鈴木はキックからアームブリーカーへ。しかし、小橋は後ろからスリーパーへとらえ、そのままスープエックスを放った。15分経過。花道でハーフネルソンスープレックスを狙った小橋だが、逆に鈴木にスリーパーにとらえられ、そのまま場外へ転落。鈴木のパンチ攻撃、ツームストンを食らうも、ハーフネルソンスープレックスで返す。鈴木はなおもコブラツイスト。グッタリする小橋にキック、スリーパーを狙う。20分経過。鈴木にラリアットを見舞った小橋は、パワーボムを放つが、鈴木は体勢を入れ替え、逆十字へ。先に立ち上がった鈴木がキックを放つと、小橋も殴りかかる。張り手2発にラリアットでお返しした小橋は、バックドロップからレフェリーを制してもう一発。拳を握りしめると、すでに立つのがやっとの鈴木に豪腕ラリアットで試合を決めた。

※王座陥落 vs力皇猛
05年3月5日Navigate for Evolution05 日本武道館
27分11秒 無双→片エビ固め
力皇がまずはチョップ。小橋の袈裟斬りチョップをブロックして袈裟斬り返しをすると、場外でもエルボー、キック。さらに鉄柱に小橋の顔面を打ちつけ、場外マットの上から花道にパワーボムでたたきつける。小橋は、袈裟斬りチョップで力皇を場外へ落とすが、力皇はリングに戻るやタックルで反撃。さらに、サーフボードストレッチ、背中へのドロップキック、首4の字固め、エルボー、ラリアット。小橋は力皇を雪崩式ブレーンバスターでたたきつけ、逆エビ固めへ。10分経過。小橋はコブラツイスト、花道でのDDT、首へのギロチンチョップ、水平チョップ、首へのエルボー、キック。力皇はツッパリで反撃した。15分経過。小橋はマシンガンチョップで猛攻をかけるが、力皇もラリアットからタックルとパワーで押しまくる。小橋も負けじと場外へのプランチャ、ダイビングショルダー、ハーフネルソンスープレックスを決めると、花道でも狙いにいくが、力皇に阻まれて失敗。しかし今度は花道でブレーンバスターを狙うが、逆に力皇に決められ、さらにパワーボムまで。一発目は食らった小橋だが、2発目をかわすとハーフネルソンから剛腕ラリアット!力皇は2で返す。小橋はコーナーからのチョップからムーンサルトプレスを放つが、これもカウント2。さらに居合い抜き式の剛腕ラリアットまでも返される。力皇はハーフネルソンスープレックスから張り手、ラリアットを決めるとパワーボム、そして無双へ。2で返されると今度は急角度のバックドロップ、さらにタックル、そして無双へ。カウント3を奪い、ついに小橋は王座陥落。


小橋建太引退

東京スポーツ2012年12月4日より
ノア激震!小橋解雇、秋山ら退団
小橋、解雇へ――。プロレスリング・ノアの鉄人・小橋建太(45)に戦力外通告が出されていたことが3日、本紙の取材で明らかになった。
ケガで長期欠場中の小橋は現役続行を希望していることから、来年からはフリーとして復帰を目指す。小橋は腎臓がん、さらにはひざやひじなどの負傷による欠場を繰り返しており、ここ数年は年間を通じてのシリーズ参戦が不可能という状況が続いていた。小橋はこの日、本紙の取材に対し「今は何も話せない・・・」とだけコメントした。
さらに秋山準(43)、潮崎豪(30)ら主力5選手が11月30日までに、来年1月からの所属契約を結ばない意思を、団体側に伝えていたことが判明。総勢6人のトップ選手が年内をもって団体を去ることが決定的となり、来年旗揚げ14年目を迎えるノアは、最大の危機を迎えることになる。


2012年12月9日ノアの両国国技館大会での小橋引退宣言(ノアのホームページより)
【リング上】
「まず最初に言っておきたいことがあります。一部報道されたノアからの戦力外通知、解雇などということは一切ありません。ですが、実は4年前から首の影響で左足に力が入らなくなってきていました。医師から緊急手術をするか引退するかどちらかを決めてほしいと言われました。今年7月に思いきって首を手術しました。この間、復帰を目指して頑張ってきました。しかし、依然として状態は悪く、ここに来て私自身、完全復活は無理だと判断し・・・。引退することを決意しました。でもプロレスは僕の命です。もう一度、もう一度だけリングに上がって完全燃焼して自分のプロレス人生に区切りをつけたいと思います。これからの人生はプロレスで学んだ不屈の精神、一生懸命頑張っていきたいと思います。本当に皆さん、なにもなかった自分がここまで来れたのは、皆さんの本当に応援があったから。だからがんばれたと思います。皆さんに対して出る言葉は本当に感謝の気持ちしかありません。でも、もう一度、もう一度だけ自分のコンディションを作ってリングに上がります。もう一度だけお願いします。皆さんありがとうございました。自分がこうして引退宣言をする日が来るなんて思わなかったです。小橋建太に世代交代はないと言ってきましたが、自分でこういう日が来るなんて思いませんでした。しかし、時代は動いています。人間必ずこういう時が来ます。しかし人生が終わったわけではありません。これからもう一度がんばってこの充実したプロレス人生に負けない人生を送りたいと思っています。皆さん本当にどうもありがとうございました」

【バックステージ】
―最後に赤コーナーに立って頭を下げていましたが、今の気持ちは?
小橋「自分が小橋建太のプロレスが出来ないと判断して、自分で決めたことなので。誰に言われたことでもなく、自分自身で決めたことなので。自分で決めたということをはっきりしたかったというのはあります」
―夏の手術を経て状態が思わしくなかったということですが?
小橋「首だけじゃなくて、膝、腰というのも。首の影響からも膝はなかなか完治しづらいところもあったので。それ以外、首だけじゃなくて膝はもともと悪いですしね。両国大会があって7月の力(力皇猛)の引退セレモニーがあってそこだけはどうしても出たかったので。本当はそれ以前に医師からは手術をすすめられていたのですけど、そこだけは出たかったので。7月の終わりに手術をしました。退院してから、骨盤から首に移植をしたのですけど、その骨盤が真っ二つに割れましてそれがアクシデントになりまして、またリハビリが遅れてきたというのもありました」
―リング上での挨拶中もファンの皆さんから声があったと思います。いかがですか?
小橋「だから言葉が出てこなかった。なにか言ったら・・・みんな聞きたくないのかなって、聞きたくなくてもそこは言って、でももう一回だけ上がりたい、それまでにコンディションをもう一回作って、そういう体を作って、しっかり、1試合だけやりたいですね」
「最後の試合っていうのもまだ決まっていないですし、まだあの、手術して半年くらいしか経っていなくて、骨がつく段階ですし、まだコンタクトの練習、人とぶつかる練習はしていないですけど、ウェイトトレーニングはしていますけど、後は骨がついてどれだけ動けるか。腕の神経、足の神経にも来ていたんですけど、先生が言うにはやっぱり『スポーツ選手では最悪な状態。小橋君の場合はスポーツ選手じゃなくて普通のサラリーマンの人が来ても即手術』と言われたんですけど。自分としてもはいそうですか、とはならないので。力が入らなくなってきたというのは分かっていたんですけど、そこは、首だけは手術したくないというのがあったので」
―7月に手術して最終的に決断をしたのはいつですか?
小橋「いつというのは分からない。悩みに悩んだというか。もうやっぱりプロレスを引退というのは自分の頭の中にはなかったので。さっきも言いましたけど小橋建太には世代交代はないと言ってきましたけど、やはり時代は動いているんだなと。まあでもやっぱりできないんだなあと」
―自分で表明するとなったのは?
小橋「本当は年末までと思っていましたけど、自分自身の口からファンのみんなに一番最初に言いたかった」
―最後の試合はどういった試合にしたい、という希望は?
小橋「いや、まだ白紙です」
―今の体重は?
小橋「今、107、8はあるんじゃないですか。一時より練習ができるようになったんですね。左腕とか左足が全く力が入らなかった。首が悪いというのは分かっていたのですけど。力が入らなくて、練習とかも左の力が入らないということは右ができないじゃないですか。だから体がしぼんできていたのも自分で分かってきたのですけど、なんとか人の何倍も時間をかけてやっていればなんとか。そうしてやるしかないな、と。やっぱり限界というのはありましたけど」
― 一番調子の良い時の体重はどれくらい?
小橋「チャンピオンの時は115から120の間です」
―葛藤は?
小橋「苦しいです。まだやっと力が入るようになってきて練習もだいぶできるようになってきた。ウェイトトレーニングとかもできるようになってきた。力が入るようになってきた。でもやめなくちゃいけない。そこの葛藤というのはすごくありますね。体を作ることができるようになってきた。だけどやめなくちゃいけない。首をカバーする膝、腰、肘がないということ」
「手術をしてもまた試合をしようとしているということは考えられないと医師からは言われましたけど、先生、僕はプロレスラーなんです。これで生きてきたんです。バカだと言われるかもしれないけど、それだけ好きなんです。いつもプロレスのことを考えてきました。急にやめろといわれても決断できないです」
―誰かに相談は?
小橋「自分で決めました。小橋建太のプロレスができないということで自分で決めました」


週刊プロレス No.1663より
「2月に、ヒザを痛めて歩けなくなって翌日に入院した。そのときにいろんな箇所を見てもらって、首が悪いのはわかってたんだけど、前に比べてさらに悪くなっていた。ヒザで欠場しているのに、首(の手術を)やっちゃうと(復帰が)延びるでしょう。そこで「手術はできない」と言うと、先生は「やらないとダメだ」。とりあえず、神経を殺す薬を投与して安静にしていれば少しはよくなるという。実際によくなって退院後にウェートとかをやっていた。俺は復帰する気満々で、5月に先生に「復帰します」と。そこで首のMRIを撮ったところ、「復帰するとかそういうことを言ってるレベルではない。死んでしまう」と。」
「これは書いていいのか悪いのかわからないけど、三沢さんの首を診ていた先生で「正直、三沢さん(の状態)より悪い」と言う。手術をして神経の圧迫が4〜5年前からある。足まできているというのは本当にヤバいと。圧迫されて死んでしまった神経はもう生き返らないけど、死にかけている神経はその圧迫を取ったら生き返るらしい。ただ、それが何本死んでるかは映像で見てもわからないらしい。2月のときには「手術しないとダメだ」と言われたんですけど、先生も鬼になって「手術か引退か、どっちかを選んでくれ」と。懇々と言われた。「プロレスラーとして生きることも大切かもしれないけど、人間として生きるチャンスがあるのに・・・。自分からそのチャンスを放棄することはない。そのままやってれば、下半身が動かなくなる可能性もあるわけでしょ。そうならないように生きようよ」と」


大会前のインタビュー(13年5月3日 東スポwebより)
―引退試合まで残り1週間余り。
小橋:少しずついい感じになっています。試合はもちろん、首を手術(昨年7月、骨盤の骨を首に移植)してから初めての実戦なので、その部分を強化する練習に重点を置いている。それとスタミナをつけるための有酸素運動。自転車を1時間半こいだり・・・。
―しかし相変わらず朝は早い。
小橋:練習は午前9時開始から遅れることはないですね。大体2時間から3時間かな。実は先週、左ヒザの調子がおかしくなって病院に行ったんです。
―え、またケガですか。しかも左ヒザ・・・(最後の試合となった昨年2月19日のALL TOGETHER仙台大会で左脛骨骨折。長期欠場へ)。
小橋:結局、水がたまっていたので抜いてもらった。オーバーワークだったみたい。今はいい方向に向かってますよ。
―どんな試合に。
小橋:やり残したことがないよう、後悔のないような試合をしたい。完全燃焼。とにかくこのひと言に尽きる。
―佐々木健介選手も出場するし、伝説の「チョップ213発」超えを期待する声もある。
小橋:8人タッグマッチだし、それは難しいかなあ(笑い)。でも「やり残したことがないように」という点では、それも含まれるかもしれないね。
―思い出深い3人とチームを組む。
小橋:準は入門してきた時からずーっと一緒だった。試合でもプライベートでもいつも一緒だった。今、バーニングの看板を背負ってくれている。前に引退うんぬんと言っていたことを聞いたけど、まだまだでしょう。あと何年やれるか分からないけど、後悔のないように自分のプロレスを貫いてほしい。
―武藤とは最後の試合(2・19仙台)でコンビを組んで以来となる。
小橋:「引退する」と発表した時、すぐ名乗りを上げてくれた。感謝してます。深い縁と絆を感じますよ。
―そして健介だ。
小橋:退院して引退を決めた時、真っ先に連絡を入れたんですよ。まだ何も決まっていないのに。そうしたら「何でも協力するから」と言ってくれた。あの時、あの言葉がどれだけありがたかったか・・・。
―しかしこれが最後の試合になるなんて信じられない。
小橋:俺自身がそうですよ。今でも信じられない。「俺、本当にプロレスをやめるのかな」って時々思う。自分が引退する日が来るなんて、夢にも思わなかった。
―・・・・・・。
小橋:だけど決めたのは自分自身ですから。簡単に決めたことじゃない。強い覚悟を持って決めたこと。だからこそ、しっかりとその日を迎えたい。
―プロレスラーとしては幕を引くが、第2の人生も待っている。
小橋:プロレスと同じくらい自分の全身全霊を傾けられることを探さないとね。それは5月11日以降に探しますよ。
―ファンにメッセージを。
小橋:小橋建太というプロレスラーがいたことを、少しでも皆さんの胸に刻み込んでもらえれば幸せです。俺はファンの皆さんから勇気をもらった。大声援を受けるたび、生きる幸せと喜びを感じていた。ただ感謝のみ。後悔はありません。5月11日、日本武道館。プロレスラー・小橋建太は完全燃焼します。


執刀医が語る鉄人「小橋さんは特別な存在」(13年5月8日 東スポwebより)

小橋建太(46)にとって、レスラー人生最大の危機は2006年6月に発覚した腎臓がんだった。執刀医の横浜市立大病院の中井川昇医師(48)が、がんさえも克服した鉄人の引退に際してメッセージを送った。

小橋の腎臓がんが発覚したのは06年6月。小橋は当時、命の危機に面していたにもかかわらず、脳梗塞を克服した山善廣の復帰戦(同年7月)出場を直訴していた。

中井川医師:病気を治すのは最後で、目の前の仕事、約束を全部果たさないと、という感じ。だから最初の外来で2〜3時間は話をしました。「がんを治すことを第一に考えないと、最善の治療は受けられませんよ」と言い続けました。

幸いにも手術後の経過は良好で、復帰を目指してトレーニングが再開された。腎臓を一つ摘出した小橋が再びプロレスラーの肉体をつくるのは、タンパク質の摂取制限など困難も多かった。それでも07年12月、小橋は奇跡の生還を果たした。

中井川医師:すごかったよね。神様みたいだった。手術の前に「生きていれば、いつかプロレスができる」という話をしていて、復帰戦が終わった後は「小橋さんにとって生きているってことはプロレスをしてることなんですね」と言いました。

小橋の復活は、他のがん患者にとっても大きな励みになった。

中井川医師:外来の患者さんで「私も頑張らなきゃ」と言う方もいます。「小橋さんのサインをもらえたら治りそうな気がする」と言う小児科の患者さんには、小橋さんが会ってくれた。腎がんに関わっている人、全てにとって特別な存在なんです。

腎臓がんの再発率は2〜3%と言われ、今でも小橋は年に2回以上の検査を受けているが、数値は全て良好だという。それは腎機能低下による引退を避けるべく尽力してきた中井川医師にとっては、せめてもの救いだった。

中井川医師:他のケガは知らないので、余計なことは言えないんですが…。がんを克服して、がんになる前の仕事に戻った。それだけで僕は十分だと思う。同じ病気になった人の支えになってくれて、ありがとうございました。「プロレスラー・小橋建太は、がんに勝った」でいいんじゃないですかね。人生はこれからの方が長いので、また一緒にやっていきましょう。


「FINAL BURNING in Budokan 小橋建太引退記念試合」(ノアのホームページより)

【引退セレモニー】
「本日はご来場の皆様、ライブビューイングをご覧の皆様、テレビをご覧の皆様、小橋建太引退記念試合にご参加くださいまして誠にありがとうございます。最後にもう一試合あります。全力で頑張りますので最後まで応援よろしくお願いします」

【小橋選手リング上挨拶】
―最後はムーンサルト。自分でピリオド打ちましたね。
「そうですね」
―引退記念試合、どんな気持ちでリングに上がりましたか?
「いつもと変わらなかったです。いつもと変わらず普通にやることができました。朝早く起きて道場に行って練習して武道館に来ました」
―いつもと変わらぬプロレスを続けるにあたり、辛いこともありました。悲しいこともありました。でもなぜ25年間も頑張ることができたのですか?
「それは分からないです。それはプロレスが好きだから、プロレスが好きでこうして応援して下さる皆さんがいる、それが続ける力になりました」
―腰には絶対王者時代のベルトを巻いています。
「今日で最後ということであえて、現チャンピオンがいるんんですけど、そこでベルトを巻いて行って良いものなのかと悩みましたけど、最後なので、自分の思いを通しました」
―このベルトは今から10年前、3・1ここ日本武道館であの三沢さんから獲ったベルトです。ちょうど花道のこのあたりでしたでしょうか。花道から三沢さんの場外へのタイガースープレックスを受けました。三沢さんにはどんな言葉で引退を報告しますか? 「三沢さん、そして馬場さんには心の中で“引退します”と天国に届くように言いました。(場内から三沢コール)」
―今、色んな思いがよみがえってきましたね?
「今の三沢コールは引退試合ができなかった三沢さんへのみんなの思いだと思うので、僕も嬉しいです。」
―今日この武道館、お集まりのお客さんの数は17,000人超満員でした。ここで17,000人の中からお二方上がってきて頂けるようです。小橋さんを陰で支え続けましたお母様と奥様です。今日この試合も会場で声援を続けていらっしゃいました。(花束と記念品の贈呈)
―小橋さんにとってファンの皆さんの存在はどんなものでしたか?
「僕の力でした。皆さんの応援があるから頑張れました。何もない自分がここまでこれたのはみんなの応援のおかげです。ありがとうございました」
―小橋さんにとってプロレスとは何だったのでしょうか?
「今、幕を閉じようとしているプロレス人生、自分の青春でした。しかし、また46、47、48と青春は続きます。一つの青春は終わりました。でもまた次からの青春を頑張ります」
―最後にお集まりの皆さん、テレビの前のみなさん、全国でスクリーンをご覧の皆さんにお願いします。
「とうとうこの日が来ました。26年前入門をして色んな事がありました。しかし自分で自分自身で決断をして歩んできたプロレス人生に悔いはありません。苦しいこともたくさんありました。しかしそれを乗り越えた時何倍もの嬉しい事、幸せな事、たくさんありました。その幸せなプロレス人生を共に歩んでくれたファンの皆さん、本当にありがとうございました。感謝の気持ちでいっぱいです。今日、私は引退しますが、プロレスで学んだ不屈の精神でこれからも頑張っていきたいと思います。そしてこれまで小橋建太に関わってきて頂いた全ての皆さんに感謝いたします。もう一度言わせてください。ファンの皆さん、私は最高なプロレス人生を送ることができました。本当にありがとうございました」

【小橋選手バックステージ】
<小橋>
「自分のコンディションとの戦いでどれだけできるかっていうところでしたけど、全力を尽くしてやると。これまでの小橋建太を全力を尽くしてやればと思ってやりました」
―最後はムーンサルトで決めました。あの技で怪我をしましたが?
<小橋>
「武藤さんがやってアピールしてたんで、all togetherの時みたいな感じでした」
―秋山さん、同じリングに立ってどんな試合でしたか?
<秋山>
「一番の状態の小橋さんを出させたかったんで、とにかくサポートに。サポート出来るように。やばいときは入らなきゃいけないなと思ってました」
―あえてカットに行かずに任せるという時間帯がありましたが?
<秋山>
「前に立ってるのが小橋さんの付き人でね、教えてきた選手たちなんで、特に小橋さんもその技を全身で受けていたいんじゃないかというのがわかったんで、なるべくはいらないようにしました。だからそれぞれが刻み込まれたと思います」
―今日の小橋さんはどんな選手でありどんなレスラーだったと感じましたか?
<秋山>
「こうやってたくさんファンの方が来て下さって、いままで小橋さんがファンの方のためとかそういうものが全部最後見れたんじゃないかと思います」
―健介さん、今回はどういう思いで臨んだ試合ですか?
<健介>
「引退試合ということですけど、僕の中でははじめてやった東京ドームのときのままです。僕の中では小橋建太という選手は永遠のプロレスラー」
―健介選手と潮崎選手が逆水平をやっている、その時間帯コーナーでどんな思いで見てたんですか?
<小橋>
「どんな気持ちで?「もっといけ」(笑)」
―それはパートナーの建介さんにですか?それとも潮崎選手に?
<小橋>
「誰にでも。そうやってアピールしてくれたほうが絶対に面白い試合になる。負けないようにアピールして。それがもう最高です。もっと行ってほしかった」
―潮崎選手との逆水平胸に刻まれてますね?
<健介>
「さすが小橋選手が教えただけあってチョップが効くようになってる」
―小橋選手とはもうやりあうことは出来ませんが?
<健介>
「同じコーナーにいるときにタッチのときはチョップでタッチしようかなと思ったんですけど、でも、僕と小橋選手はあれだけチョップを打ち合ってきたんで、それを最高の思い出を胸にしまっておきます」
―改めて小橋さん、全てが終わってこれからまた新たな青春が始まると思うんですが、まず今何をしたいですか?
<小橋>
「うーん、別にないですね」
―今日はいつもと同じように過ごしたとおっしゃっていました。
<小橋>
「今日の朝も起きて道場に行きました。最後の練習で道場にありがとうと」
―道場に通う毎日。その生活ともお別れになるわけです。
<小橋>
「そうですね」
―ファンの皆さんはおそらく小橋さんにはこれからいろいろな形でプロレスに関わってもらいたいと思っているはずです。
<小橋>
「そうですね。そういう思いでみんながいてくれたらそれは嬉しいですね」
―今後新たなプランは?
<小橋>
「今とにかく目の前のことにチャレンジをすることで、これまではプロレスが青春でしたけどそれに代わる何かを見つけていきたいと思います。自分がやりたいということを」
―これで小橋さんは引退なされますが、これからプロレスを引っ張って行ってくれる人たちが会場で素晴らしいプロレスを見せてくれました。
<小橋>
「そうですね。パートナーも素晴らしい試合をしてくれましたし。楽しい時間でしたね」
―改めてファンの皆さんに最後のメッセージを。
<小橋>
「本当にここまでやってこれたのはファンの皆さんの後押しがあったから、応援があったからここまでこれたと本当に感謝しています。これからの人生もがんばっていきますんで小橋建太というプロレスラーがいたことを心の片隅にでも残していてくれれば、それが一番嬉しいですね。今日、引退しましたけれどこれから先も心の隅に残ってくれれば嬉しいですね」


小橋“鉄人2世”育成へ(13年5月15日 東スポwebより)
“鉄人2世”育成へ。奇跡のムーンサルトで引退興行(11日、日本武道館)を締めくくった小橋建太(46)が、本紙に独占手記を寄せ、ラストマッチを終えた胸中をつづった。小橋は不可能と思われた月面水爆を放った理由を明かし、今後は公私共に“2世育成”を目指すという。

【小橋建太独占手記】
引退試合を無事に終えることができてホッとしている。幸いケガはなかった。あらためて引退試合に関わってくれたすべての方々に感謝します。なぜあの場面、危険を承知でムーンサルトを出したのか。それは後悔したくなかったから。俺は去年2月19日の「ALL TOGETHER」(仙台)でムーンサルトを出して両ヒザに大ケガを負った。トラウマを背負ったまま、新しい人生に踏み出したくはなかった。失敗してもいい。かわされてもいい。これをやらないでプロレスを辞めるわけにはいかなかった。185発もチョップを打った。道場ではダミー相手に2000発は打っていた。でも生身の人間に打つと、相手から相当のエネルギーが返ってくる。447日ぶりの試合だし、スタミナもどうかなと思っていたが、今は満足している。しばらくゆっくり休んでから…とは考えない。試合後も「Going」(日本テレビ系、午後11時55分)に出てから、家に戻って朝6時まで試合のビデオを見ていた。明日(13日)からもいろいろ仕事が入っている。忙しいほうがいいし、気が張ったままのほうが俺にとってはいい方向に働く。そのために「Fortune KK」(プロモーション会社)を作ったんだし、いろんな人に会って可能性を広げていきたい。セレモニーで馳(浩衆院議員=PWF会長)さんから花束を渡された時「PWF(次期会長)頼んだよ!」と言われた。さすがにリング上では即答できなかったけど、これもじっくり考えていきたい。引退試合は「お祭り」にしたいと公言してきた。皆が団体の垣根を越えて参加してくれた。これを機にいろんな団体を見に行くのもいい。団体の大小にかかわらず、若くていい選手は日本にたくさんいる。そういう選手を引き上げていくのも、これからの自分の役目かもしれない。「いつかは自分のジムを」という考えはいつも頭の片隅にあるし、そこで自分の遺伝子を受け継ぐ選手を育てるのも、ひとつの夢です。プロレスをプロ野球やサッカーに並ぶ競技まで引き上げられるような選手たちをね。子供を作ることもこれから考えないと。俺の血を受け継いだ子なら「プロレスがやりたい」と絶対に言うだろうな。そうなれば「お前はプロレスに命をかけられるか」と問うだろう。中途半端な気持ちなら絶対にやらせない。覚悟を決めてレスラーを目指すなら止めない。ケガを乗り越えてはい上がってきた俺の生きざまを本か何かで子供が読むようになったら、父親をどう思うだろ・・・。今日から新しい青春を探す日々が始まる。小橋建太というプロレスラーに声援を送ってくれた皆さんには、ただただ感謝しかない。そのことは一生の宝にしたい。本当にありがとうございました。そしてこれからも応援よろしくお願いします。