レスラーノート

ケン・マンテル

KEN MANTELL

本名:ケン・ルスク
1942年
カリフォルニア州出身
182cm 112kg

タイトル歴
NWA世界ジュニア
NWAアメリカスヘビー
得意技
河津落とし

アマレスで数多くのタイトルを獲得し、66年にデビュー。弟のジョニー・マンテルも68年にデビューした。71年8月、本名で日本プロレスに初来日。73年12月、ダニー・ホッジを破り、NWA世界ジュニアヘビー級王座を獲得。74年12月5日、全日本プロレスの日大講堂大会でジャンボ鶴田を相手に防衛戦。1本目は腕を長時間攻められて苦戦したが、滞空時間の長いブレーンバスターを決めて、12分39秒にフォール勝ち。2本目は4分44秒、ダブルアームスープレックスでフォール負け。3本目は圧倒的に攻めこまれたが、鶴田のコブラツイストがもつれて場外転落。3分2秒、両者リングアウトで引き分けとなり王座防衛に成功。表現力にあふれたファイトで試合を盛り上げた。75年8月にヒロ・マツダに敗れるまで1年8ヶ月王座に君臨。74年12月には全日本プロレスで鶴田を相手に王座防衛。全日本プロレスには75年のオープン選手権にも来日。76年4月には新日本プロレスに来日し、第3回ワールドリーグ戦に出場。リーグ戦は3勝10敗という結果だった。同年10月にNWAアメリカスヘビー級王座を獲得。引退後は87年にテキサスでインディ団体WWW(Wild West Wrestling)を運営。その後、88年始めにWCCWとドッキングし、WCCWのチーフ・ブッカーに就任。フリッツ・フォン・エリックの片腕を務めた。