レスラーノート

アニマル浜口

本名:浜口平吾
1947年8月31日
島根県浜田市出身
178cm 108kg

通称
闘将
タイトル歴
IWA世界タッグ
アジアタッグ
WAR世界6人タッグ
北米タッグ(カルガリー版)
WWC北米タッグ
得意技
ダイビングエルボードロップ
バックフリップ

小学校の頃、大阪の堺市に移る。中学卒業後、1年間、名古屋、豊橋、東京、横浜の工事現場などで働く。大阪に戻って鉄工所に勤めながら難波トレーニングセンターでボディビルに熱中。68年のボディビルの兵庫県コンテストで準優勝。ボディビルジムの荻原会長に推薦されて69年8月に国際プロレスに入門。荻原会長と国際プロレスの吉原社長は友人だった。9月20日、岡山県高梁市民会館の本郷清吉戦でデビュー。デビュー当時は本名の浜田平吾。その後、ミスター浜口、浜口兵庫に改名。69年のゴッチ教室では最もゴッチに気に入られるほど練習熱心だった。70年11月に吉原社長の命名でアニマル浜口に改名。国際プロレスの道場長にもなっている。72年2月にアメリカ遠征。AWA圏のオマハで活躍後、WWA地区に出場し、ディック・ザ・ブルーザーと抗争。ラフファイトに磨きをかけて73年6月に帰国。76年にカルガリーのスタンピードレスリングで、ミスター・ヒトと組んで北米タッグ王座を獲得。9月29日からプエルトリコのWWCに転戦。10月16日、ゴードン・ネルソンと組んでWWC北米タッグ王座を獲得。77年2月に帰国。3月26日、蔵前国技館大会でグレート草津と組んでビッグ・ジョン・クイン、クルト・フォン・ヘス組を破りIWA世界タッグ王座を獲得。11月6日、マイティ井上と組んでグレート小鹿大熊元司組を破りアジアタッグ王座を獲得。78年1月20日、グレート草津と組んでサモアンズを破りIWA世界タッグ王座を獲得。79年2月23日、マイティ井上と組んで山本小鉄星野勘太郎組を破りIWA世界タッグ王座を獲得。11度の防衛に成功した。80年7月15日、マイティ井上と組んでストロング小林永源組を破りIWA世界タッグ王座を獲得。国際プロレス崩壊後はラッシャー木村寺西勇らと「はぐれ国際軍団」を結成し新日本プロレスに登場。その後、長州力と意気投合し維新軍団に参加。 84年9月21日、長州、谷津小林邦昭、寺西と共に新日本プロレスを離脱して新日本プロレス興行に移籍。10月9日、新日本プロレス興行がジャパンプロレスリング株式会社に社名変更。12月12日、横浜文化体育館大会で全日本プロレスに初登場。以後、全日本プロレスに出場。 86年3月13日、日本武道館大会でジャンボ鶴田と対戦。フライング・ボディーシザース・ドロップに敗れた。 87年3月28日、長州、マサ斎藤、小林、保永ストロング・マシンヒロ斉藤笹崎佐々木健介、寺西、服部がシリーズ開幕戦の後楽園ホール大会への来場をキャンセル。ジャパンプロレスが分裂した。8月、「体力の限界」を理由に引退。引退の原因は、ジャパンプロレス分裂に際してどちらの側も傷つけたくなかったためとも言われている。 8月20日、新日本プロレスの両国国技館大会で引退セレモニー。一筋のスポットライトと共に、濃紺のガウンに身を包んで入場。1万1570人の超満員のファンからは割れんばかりの大歓声。ガウンを脱ぎ捨てて、ワンショルダースタイルに。長州は涙を浮かべながら「今となってはもう言うことはありません。ただ一つ・・・このリングの上でみなさんのいろんな夢をかなえてくれたこのアニマル浜口を、どうか記憶の中から消さないでほしいのです。お願いします」とマイクで語った。続いて、浜口が「長い間、ご声援ありがとうございました。この四角いリングの中に、僕の青春がありました。人生があったんすよ。ありがとう、プロレス。さようなら、プロレス。ありがとうございました!」と別れの挨拶。胴上げされて、現役生活にピリオドを打った。 引退後、半年で35キロの減量に成功し、88年9月15日、ボディービルミスター東京シニアの部で優勝。その後、全日本ボディビル大会シニアの部で7位。 90年1月18日、新日本プロレスの徳山市体育館大会でリングに上がり長州に馬乗りになって張り手を乱打。大会後の宿舎での会見で「昔のギラギラした長州に戻ってほしいから事を起こした。おれは長州を目覚めさせることでプロレス界に恩返しがしたい。レスラーとしてのカムバックはない」と語った。5月6日、後楽園ホール大会での10人タッグマッチで復帰。9月14日、新日本プロレスの広島サンプラザ大会で栗栖正伸と対戦。5分54秒、ジャンピング・ネックブリーカードロップで勝利。 91年3月21日の新日本プロレスの東京ドーム大会の第1試合で8人タッグマッチに出場した。その後、WARで復帰。95年4月、天龍源一郎北原光騎と組んでWAR世界6人タッグ王座を獲得。7月28日、後楽園ホール大会で板倉広と対戦。8分41秒、胴絞めスリーパーで勝利。引退後は東京の浅草でジムを開き、大谷大森小島など、多くのレスラーを育てている。長女の浜口京子はアマレスで活躍し、97年の世界選手権75キロ級で優勝した。