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キラー・カール・クラップKILLER KARL KRUPP本名:ジョージ・モンバーグ 1934年5月13日 オランダ出身 193cm 120kg |
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通称
青銅の爪
タイトル歴
インタータッグ
テキサス・ヘビー 得意技
ブロンズクロー
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57年にプロレス入り。デビュー当時は欧州で活躍。70年にカナダに進出。71年にアメリカ進出。ロス、アマリロ、デトロイトなどを転戦。ナチスギミックの悪役レスラーとして活躍した。テキサス地区ではフリッツ・フォン・エリックとの「鉄の爪」対「青銅の爪」のクロー合戦で活躍。73年2月に日本プロレスに初来日。2月22日、大阪府立体育会館大会でジョニー・バレンタインと組んで大木、坂口組を破りインタータッグ王座を獲得。3月6日に愛知県体育館で大木、上田組に敗れて王座転落したが、4月18日に焼津市民体育館でフリッツ・フォン・エリックと組んで王座奪回。
4月19日、日本プロレスの横浜文化体育館大会で高千穂明久のUN王座に挑戦。1本目は10分17秒にフォール勝ち。2本目は25秒にフォール負け。3本目は5分40秒にフォール負けした。
74年春に新日本プロレスに登場。猪木のライバルとして活躍。ワールドリーグ戦では猪木にフォール勝ち2回、リングアウト勝ち1回という記録を残した。74年の第1回ワールドリーグ戦では予選リーグを1位で通過。決勝リーグでも猪木、坂口に並んで決勝戦に進出。決勝戦では坂口に反則負けし、猪木に弓矢固めで敗れた。75年の第2回ワールドリーグ戦では予選リーグをトップで通過。決勝戦で猪木と対戦し、16分42秒、卍固めに敗れた。76年の第3回ワールドリーグ戦にも出場。4月26日には全勝同士の対戦となったストロング小林戦に勝利するなど順調にリーグ戦を消化。坂口、ビクター・リベラと並んでリーグ戦を2位で通過。優勝戦進出決定戦では、ブレーンクローでリベラに勝利したが、坂口に敗れて優勝戦に進出できなかった。80年1月と11月に国際プロレスに登場。81年11月には全日本プロレスの最強タッグ決定リーグ戦にバロン・フォン・ラシクと組んで参加。95年8月24日、心臓麻痺で死去。
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