レスラーノート

北尾光司

1963年8月12日
三重県津市出身
200cm 150kg

得意技
サンダー・ストーム(足を4の字固めの形にしてジャイアントスイング)
カカト落とし

79年3月に大相撲の立浪部屋に入門。86年9月に横綱に昇進。四股名も北尾改め双羽黒に改名。87年12月、親方夫妻とトラブルを起こし廃業。廃業後はスポーツ冒険家としてタレント活動。しかしほとんど仕事はなかった。ネイティブ・アメリカン版のランボー的映画「サンダー」の吹き替えに挑戦した。 89年、幕下時代から通っていた遠藤ジムの遠藤光男会長(元国際プロレスのレフリー)にプロレス入りを相談。6月1日、新日本プロレス事務所を訪れ、デビューの内諾を得た。6月2日、神宮前のレストラン「ナーム」でプロレス転向の記者会見。アポロ菅原をトレーニングパートナーに、約2ヶ月間、アメリカ・バージニア州ノーフォークのルー・テーズの道場でトレーニングをして8月に帰国した。 90年2月10日、新日本プロレスの東京ドーム大会でビガロを相手にデビュー。ホーガンをまねした黄色のコスチューム、空手のファイトスタイル、技の失敗などからファンからブーイングを浴びつづけた。9分58秒、ギロチンドロップで勝利。新日本プロレスでの入場時のテーマ曲は聖飢魔Uが担当。7月、巡業中の青森県八戸市内のホテルで現場監督の長州と衝突し、失踪。新日本プロレスは、その日の試合会場で選手契約の解除を発表。11月にSWSに入団。11月10日、SWSの道場大会で大矢と対戦。1分45秒、トーキックの連打でTKO勝ち。11月17日、SWSの道場大会で高木と対戦。ラリアットで勝利。12月1日、SWSの道場大会でアポロ菅原と対戦。3分、アバランシュホールドで勝利。12月7日、大阪府立体育館大会でのトーナメント1回戦でグレッグ・バレンタインと対戦。7分53秒、ブレーンバスターで勝利。同日の決勝で天龍と対戦。9分56秒、ボディスラムを切り返されての片エビ固めにフォール負け。 91年2月7日、長崎国際体育館大会でジャイアント・ゴライアスと対戦。6分47秒、バックドロップで勝利。3月30日、テンタとの第1戦を行い、北尾は技のミスを連発しテンタが勝利。試合後に北尾が次の対戦を拒否。胸の骨を怪我させられたと北尾は周りに言いふらした。4月1日、テンタとの第2戦。北尾はスポット破りの脇固め、膝を狙う蹴り、喉輪などで威嚇し、目潰しのポーズまで見せた。テンタは全くひるまなかったので、北尾はレフリーに暴行。反則負けの裁定の後、北尾は「八百長野郎!」と場外のマイクで叫んだ。試合前には、SWSのブッカーのザ・グレート・カブキがテンタに「負けろ」と指示。テンタは従う気でいたが、北尾が暴走してしまった。この試合の背後には北尾に対する観客のブーイング(北尾があまりに下手だったためのブーイング。自分をスターと思っていた北尾との認識に差があった)、元横綱(北尾)と元幕下(テンタ)という相撲界の格意識もあった。プロレスに対して「八百長」発言はタブーだった。その結果、北尾はSWSを解雇された。 92年5月8日、UWFインターナショナルの横浜アリーナ大会でプロレス復帰。山崎一夫と対戦し、7分44秒、KO勝ち。10月23日、UWFインターナショナルの日本武道館大会で高田延彦と3分5ラウンドで対戦。3R46秒、鮮やかな右のハイキックをくらって衝撃的なKO負け。 94年に北尾道場を設立。1月21日、後楽園ホールで旗揚げ戦。 95年に武輝道場となる。所属選手には岡村隆志、望月成晃、多留嘉一がいた。5月3日、新日本プロレスの福岡ドーム大会に出場。5年ぶりの新日本プロレス参戦となった。猪木と組んで長州、天龍組と対戦。10分25秒、猪木がスリーパーホールドからの体固めで長州に勝利。7月15日、後楽園ホールでの「格闘技の祭典」のメインでクラッシャー・クラインと対戦。4分20秒、STFで勝利。7月28日、WARの後楽園ホール大会で荒谷信孝と対戦。8分21秒、裏投げで勝利。10月5日、WARの大宮スケートセンター大会で冬木弘道と対戦。場外で冬木軍の3本の消火器攻撃をくらい、9分12秒、ラリアットでフォール負け。11月28日、新潟市体育館大会で冬木と再戦。冬木軍の乱入を天龍が阻止したため真っ向勝負となり、10分39秒、ラリアットで勝利した。12月4日、WARの両国国技館で天龍と対戦。カカト落としで勝利した。天龍は左鎖骨亀裂骨折で全治3ヶ月の重傷を負った。 96年4月5日、駒沢オリンピック体育館の「第1回UVF」でバーリ・トゥード戦に出場。ペドロ・オタービオと対戦し、1R5分49秒、レフリーストップのTKO負け。5月17日、UFCのミシガン州デトロイト・コボ・アリーナ大会でマーク・ホールと対戦。1R40秒、パンチで鼻を骨折し、ドクターストップ負け。12月1日、代々木競技場第二体育館での「INOKI FESTIVAL」でメイブルと対戦。4分55秒、腕ひしぎ逆十字固めで勝利。 97年10月11日、総合格闘技大会の「PRIDE1」に出場しネイサン・ジョーンズと対戦。パワーで寝技に持ちこみ1R2分14秒、チキンウィング・アームロックで勝利。12月24日、WARの後楽園ホール大会での初代J1王座決定トーナメント準決勝で天龍と対戦。セントーンやキタオドリラーで奮闘したが、11分35秒、体固めに敗れた。 98年7月1日、後楽園ホールで引退を表明。7月19日、キャプチャーの新宿ACBホール大会で北原を相手に引退試合。2分44秒、チキンウイング・アームロックで勝利。 03年、立浪部屋のアドバイザーに就任した。 19年2月10日、慢性腎不全のため死去。



スクラップブック
【プロレス蔵出し写真館】北尾光司の「八百長」発言はナゼ飛び出したか ジャイアント馬場の貴重な“考察”
(2021年6月20日10:00配信 東スポWebより)
 多くの期待をかけられ、新人としては異例の東京ドーム(新日本プロレス、1990年2月10日)でデビューしたのはサンダーストーム*k尾光司だ。
 デーモン小暮(現・デーモン閣下)が作曲したテーマ曲にのり、革ジャンにサングラス姿で入場。トップロープを飛び越えてリングインし、対戦相手の入れ墨獣<Nラッシャー・バンバン・ビガロを指さし挑発。名前をコールされるとハルク・ホーガンばりにタンクトップを引き裂き、フィニッシュもホーガンをまねた(?)ギロチンドロップ。
 この中身が伴う前に格好≠ゥら入った北尾に、観客は失笑しブーイングを浴びせた。新日本プロレスでは十数試合行ったが、残念ながらファンの支持を得られることはなかった。
 それでも、テレビ朝日で同14日に放送された特番「水曜スーパーテレビ」は平均視聴率20・2%を記録。瞬間最高視聴率は25・3%(いずれもビデオ・リサーチ調べ)と、プロレス番組として20%越えは7年ぶりの快挙だった。
 しかし、7月23日、青森・八戸グランドホテルの駐車場で、青森・十和田大会の出場をめぐり現場責任者の長州力との大ゲンカが勃発する。
 椎間板ヘルニアの状態もあり欠場を希望した北尾に対し、長州は「試合に出ろ」と対立。北尾の胸ぐらをつかむと、北尾も上着を脱ぎ始め、あわや殴り合い寸前までエスカレートした。お互いに暴言を吐き、北尾は八戸市内の別のホテルに移動した。本紙の直撃に「ストリートファイトでもOKだ」と長州を過激に挑発した。
 結局、約2か月後に、北尾の所属先「アームズ」と坂口征二社長の会談で新日本とは円満に契約を解除した。
 長州とは人を介して和解したようだが、長州の「他の団体が手を差しのべても、100%、同じことを起こすだろう」という予見が、後に的中する。
 北尾は天龍源一郎を頼り、11月1日にSWSに入団。10日に、若手中心の登龍門マッチ(道場マッチ)で、大矢健一(後の剛功)を破り初陣を飾ると、22日に静岡・浜松アリーナで行われた道場対抗のタッグトーナメントで天龍とのコンビで見事優勝を果たした。
 しかし、翌91年アースクエイク<Wョン・テンタとの2連戦で前代未聞の事件が発生する。初戦の東京ドーム(3月30日)はテンタが先勝。4月1日に行われた神戸大会は序盤からかみ合わず、手四つでは組むものの、ロックアップさえしない両雄。北尾を背後から胴締めして強引に後ろに投げ、バックを取るテンタに北尾は明らかに不機嫌な表情になり、場外にエスケープ。そして本部席の机を持ち上げるとリングに向かって放り投げた。
 リングに戻りテンタと対峙した北尾は、なんと2本の指をテンタの顔に向け目つぶしポーズ。するとテンタも同じポーズで対抗し、一度、北尾が仕掛けるとテンタは激高。この状態のまま時間だけが過ぎていく。そうこうしていると、北尾は間に入った海野宏之レフェリーに蹴りを見舞い反則負けの裁定が下った。
 リングに降りた北尾はマイクで「八百長野郎!この野郎!八百長ばっかりやりやがって。八百長!」とまさかの八百長の連呼。レスラーからの八百長発言に観客、関係者も騒然となった。
 宿舎での北尾は、新日本で長州ともめた時には、長州への怒りがいつまでも収まらなかったが、このテンタ戦では冷静さを取り戻し反省しているようだった。しかし、当然SWSは解雇された。
 この試合の数日後、地方巡業でジャイアント馬場を取材すると「レスラーは連敗というのは嫌なものなんだ。プライドもあるしな・・・」と北尾に一定の理解を示していた。
 時はたち、北尾は95年5月3日に福岡ドームでアントニオ猪木と組み長州、天龍組と対戦。長州にローキックを見舞って圧倒し、アルティメットスタイルの馬乗り殴り合いを展開した。長州は「北尾はデカいし、いいものを持っている。最初で最後かとも思ったが、次は奴次第だ」と語った。6年越しの遺恨、怨念は氷解したようだった。ちなみに、テンタとはWARのリングで対戦しフォール勝ちしている。