レスラーノート

菊地毅

(きくちつよし)

1964年11月21日
宮城県仙台市出身
177cm 100kg
血液型:B型

通称
火の玉小僧
タイトル歴
世界ジュニア
アジアタッグ
IWGPジュニアタッグ
NWA世界ジュニア(ZERO1版)
NWAライトタッグ(ZERO1版)
WEWジュニア
得意技
フィッシャーマンズスープレックス
ゼロ戦キック
火の玉ボム
ロコモーションジャーマン
頭突き

小中学生の頃はスイミングクラブに通い、一級下のクラスには斎藤彰俊がいた。大東文化大学のレスリング部で活躍。元々は90キロ級の選手だったが、86年に日大の本田多聞が卒業したため、選手層が薄くなった全日本大学選手権の100キロ級に出場。この作戦が当たってみごと優勝した。87年に鶴田の紹介でプロレス入り。 88年2月26日、滋賀県栗東町民体育館の百田光雄戦でデビュー。6分29秒、逆エビ固めに敗れた。12月16日、日本武道館大会で百田光雄と対戦。7分41秒、バックドロップに敗れた。 89年6月5日、日本武道館大会で小川良成と対戦。10分59秒、ショルダースルーをかわそうとしたところを押しつぶされて体固めにフォール負け。7月18日、滋賀県立体育館大会で百田光雄と対戦。7分51秒、バックドロップに敗れた。12月6日、日本武道館大会でマイティ井上と対戦。8分21秒、サマーソルトドロップに敗れた。 90年3月6日、日本武道館大会で折原昌夫と対戦。7分3秒、バックドロップで勝利。6月5日、千葉公園体育館大会でマイティ井上と対戦。8分12秒、サンセットフリップ連発に敗れた。7月17日、石川県産業展示館大会でリチャード・スリンガーと対戦。12分10秒、キチンシンクをかわしてエビ固めで丸めこんでフォール勝ち。7月27日、松戸市運動公園体育館大会でザ・デストロイヤーと対戦。14分1秒、足4の字固めに敗れた。鶴田にやられまくりながらも立ち上がってくるファイトで人気上昇。 91年9月4日、日本武道館大会で渕正信の世界ジュニア王座に挑戦。16分44秒、延髄斬りに敗れた。11月、世界最強タッグ決定リーグ戦に小橋と組んで初参戦。勝ち点4の同点最下位に終わった。11月17日、富士市立富士体育館大会でスティーブ・ウイリアムスと対戦。5分12秒、ジャンピング・パワーボムからのアバランシュホールドに敗れた。 92年3月にはチャンピオンカーニバルに参戦。3月22日、後楽園ホール大会で鶴田と対戦。記憶を失うほどの圧倒的な攻撃をくらう。バックドロップをくらってから、15分3秒、体が宙に浮くほどの強烈なスタンディングスリーパーをかけられて敗れた。リーグ戦は1勝7敗1不戦勝で、10人中8位の成績に終わった。5月25日、小橋と組んでアジア・タッグ王座を獲得した。11月、世界最強タッグ決定リーグ戦にドリー・ファンク・ジュニアと組んで参戦。勝ち点4の同点最下位に終わった。 93年2月28日、日本武道館大会で渕正信の世界ジュニア王座に挑戦。11分3秒、バックドロップ5連発に敗れた。 94年6月3日、日本武道館大会で井上雅央と対戦。10分7秒、火の玉ボムで勝利。10月22日、日本武道館大会でダニー・クロファットの世界ジュニア王座に挑戦。14分56秒、タイガードライバーに敗れた。 96年3月2日、日本武道館大会で小川良成の世界ジュニア王座に挑戦。19分35秒、バックドロップホールドに敗れた。7月24日、日本武道館大会で渕正信の世界ジュニア王座に挑戦。18分58秒、ジャーマンスープレックスで勝利。世界ジュニア王座を獲得した。10月12日、愛知県体育館大会でロブ・バン・ダムを相手に防衛戦。16分20秒、ジャーマンスープレックスを飛びつき前方回転エビ固めに切り返してフォール勝ち。 97年1月15日、後楽園ホール大会で小川良成を相手に防衛戦。17分18秒、前方回転エビ固めを押しつぶされてフォール負け。世界ジュニア王座から転落した。7月25日、日本武道館大会で池田大輔と対戦。11分48秒、ジャーマンスープレックスで勝利。 98年1月3日、後楽園ホール大会で馳浩と対戦。グラウンドでのサブミッション合戦をしかけたが、12分21秒、腕きめ肩固めに敗れた。10月31日、日本武道館大会で橋誠と対戦。5分32秒、ダイビング・ボディアタックを片エビ固めに切り返してフォール勝ち。 99年3月6日、日本武道館大会で垣原賢人と対戦。10分18秒、腕ひしぎ逆十字固めに敗れた。 00年にノアの旗揚げに参加。

2001

01年8月14日、築館町総合運動公園体育館大会で力皇猛と対戦。9分33秒、パワーボムに敗れた。8月15日、皆瀬村とことん山キャンプ場大会で青柳と対戦。11分5秒、横入り式エビ固めでフォール勝ち。8月26日、東金アリーナ大会でマット・マーフィーと対戦。10分43秒、羽折り式腕固めで勝利。9月6日、青森県武道館大会でバイソン・スミスと対戦。5分58秒、ラリアットに敗れた。10月17日、山形市総合スポーツセンター大会でリチャード・スリンガーと対戦。7分30秒、サムソンクラッチでフォール勝ち。11月25日、愛知県体育館大会で高岩竜一のGHCジュニア王座に挑戦。20分47秒、雪崩式デスバレーボムに敗れた。

2002

02年1月6日、ZERO−ONEの後楽園ホール大会に出場し、星川尚浩と対戦。13分30秒、チキンウイング・アームロックで勝利。1月9日、広島市東区スポーツセンター大会で鈴木康弘と対戦。8分15秒、火の玉ボムで勝利。5月6日、宮城県スポーツセンター大会でGHCジュニア王座決定トーナメントに参戦し、1回戦でリチャード・スリンガーと対戦。10分48秒、腕固めで勝利。5月20日、旭川市大成市民体育館大会で大森隆男と対戦。11分49秒、アックスボンバーに敗れた。5月25日、札幌メディアパークスピカ大会での準決勝でKENTAと対戦。4分24秒、高角度後方回転エビ固めにフォール負け。7月7日、ディファ有明大会で高山善廣と対戦。2分57秒、高角度ジャーマンスープレックスに敗れた。7月16日、高岡テクノドーム大会でバイソン・スミスと対戦。10分35秒、バイソンテニエルに敗れた。8月27日、分水町総合体育館大会でバイソン・スミスと対戦。7分9秒、アイアンクロースラムに敗れた。8月29日、新日本プロレスの日本武道館大会で金丸義信と組んでライガー田中稔組のIWGPジュニアタッグ王座に挑戦。22分16秒、菊地が火の玉ボムでライガーに勝利。IWGPジュニアタッグ王座を獲得した。9月23日、日本武道館大会でエル・サムライ成瀬昌由組を相手にタッグ王座の防衛戦。14分33秒、金丸が垂直落下式ブレーンバスターで成瀬に勝利。10月12日、徳島市立体育館大会で杉浦KENTA組を相手にタッグ王座の防衛戦。23分15秒、菊地が火の玉ボムで杉浦に勝利。10月19日、愛知県体育館大会で金丸義信のGHCジュニア王座に挑戦。16分53秒、垂直落下式ブレーンバスターに敗れた。11月16日、アクトシティ浜松大会でマイケル・モデストと対戦。4分59秒、場外でリアリティーチェックをくらってリングアウト負け。11月18日、新潟市体育館大会でベイダーと対戦。2分17秒、チョークスラムに敗れた。11月24日、宮城県スポーツセンター大会でマイケル・モデスト、ドノバン・モーガン組を相手にタッグ王座の防衛戦。19分28秒、菊地が首固めでモーガンにフォール勝ち。12月7日、横浜文化体育館大会で邪道外道組を相手にタッグ王座の防衛戦。17分54秒、金丸が垂直落下式ブレーンバスターで外道に勝利。

2003

03年1月26日、神戸ワールド記念ホール大会で金本浩二、ライガー組を相手にタッグ王座の防衛戦。27分11秒、ライガーの掌打に菊地が敗れて王座転落。2月27日、焼津市民体育館大会で池田大輔と対戦。12分33秒、デスバレーボムに敗れた。3月16日、ディファ有明大会で井上雅央と対戦。12分39秒、アルゼンチン・バックブリーカーに敗れた。5月17日、気仙沼市総合体育館大会でIZUと対戦。11分33秒、いん石に敗れた。6月8日、後楽園ホール大会で川畑輝鎮と対戦。9分37秒、首固めでフォール勝ち。7月6日、ディファ有明大会で百田光雄と組んで初代GHCジュニアタッグ王座決定トーナメントに参戦し、1回戦で丸藤正道、KENTA組と対戦。16分4秒、丸藤の不知火に百田が敗れた。8月29日、長野運動公園総合体育館大会で橋誠と対戦。30分時間切れ引き分け。9月7日、明石市立産業交流センター大会で泉田純と対戦。10分47秒、いん石に敗れた。10月5日、ディファ有明大会で青柳政司と対戦。12分5秒、片羽根折り固めで勝利。11月29日、札幌テイセンホール大会でダグ・ウイリアムスと対戦。9分16秒、横入り式エビ固めをエビ固めに押しつぶされてフォール負け。12月11日、力道山追悼興行として開催された後楽園ホール大会のメインで百田光雄と組んで丸藤正道、KENTA組のGHCジュニアタッグ王座に挑戦。20分11秒、KENTAのブサイクへのヒザ蹴りに百田が敗れた。12月24日、ディファ有明大会でMr.Xmas(秋山準)と対戦。9分48秒、横入り式エビ固めにフォール負け。

2004

04年3月3日、上越市厚生南会館大会でダグ・ウイリアムスと対戦。10分2秒、ロールスルー・ジャーマンスープレックスに敗れた。4月18日、博多スターレーン大会でリチャード・スリンガーと対戦。12分、ダイビング・ボディアタックを片エビ固めに切り返してフォール勝ち。5月21日、宮城県スポーツセンター大会でライガーのGHCジュニア王座に挑戦。17分20秒、垂直落下式ブレーンバスターに敗れた。6月11日、後楽園ホール大会で森嶋猛と対戦。1分23秒、ラリアットに敗れた。7月24日、ディファ有明大会でフベントゥ・ゲレーラと対戦。20分時間切れ引き分け。9月2日、山陽ハイツ体育館大会でロウ・キーと対戦。12分36秒、キークラッシャー99に敗れた。9月23日、ディファ有明大会で泉田純と頭突き宮城一決定戦。7分17秒、頭突きからの片エビ固めにフォール負け。11月28日、札幌メディアパーク・スピカ大会で百田光雄と対戦。8分43秒、ジャックナイフ固めでフォール勝ち。

2005

05年1月12日、豊橋市総合体育館サブアリーナ大会で鈴木鼓太郎と対戦。12分43秒、回転エビ固めをエビ固めに切り返してフォール勝ち。2月22日、相模原市立総合体育館サブアリーナ大会で越中詩郎と対戦。9分25秒、ダイビング・ヒップアタックに敗れた。4月3日、後楽園ホール大会で佐野巧真と対戦。7分20秒、ノーザンライトボムに敗れた。4月13日、鹿児島アリーナ大会でリック・スタイナーと対戦。3分51秒、デスバレーボムに敗れた。5月13日、後楽園ホール大会で橋誠と対戦。20分時間切れ引き分け。5月22日、函館市民体育館大会で池田大輔と対戦。13分35秒、大ちゃんボンバーに敗れた。5月28日、釧路コミュニティ体育館大会でリチャード・スリンガーと対戦。9分1秒、ダイビング・ボディプレスを片エビ固めに切り返してフォール勝ち。6月7日、宮城県スポーツセンター大会でヨネのグローバル・ハードコア・クラウン王座に挑戦。14分31秒、ダイビング・ギロチンドロップに敗れた。10月20日、山陽ハイツ体育館大会で平柳努と対戦。6分20秒、頭突きで勝利。11月22日、新潟市体育館大会で菊地毅と対戦。8分17秒、大ちゃんボンバーに敗れた。11月24日、弘前市河西体育センター大会でKENTAと対戦。11分12秒、飛びヒザ蹴りに敗れた。11月26日、札幌メディアパーク・スピカ大会で佐野巧真と対戦。10分58秒、ノーザンライトボムに敗れた。11月29日、秋田市立体育館大会で杉浦貴と対戦。10分40秒、オリンピック予選スラムに敗れた。

2006

06年1月15日、博多スターレーン大会で青木篤志と対戦。7分47秒、ヘッドバットで勝利。3月26日、石川・スポーツセンターろくせい大会で青木篤志と対戦。8分46秒、火の玉ボムで勝利。4月5日、横浜市金沢産業振興センター大会でGHC王座挑戦者決定トーナメントに参戦し、1回戦で志賀賢太郎と対戦。11分42秒、横入り式エビ固めにフォール負け。4月9日、キングスロードの後楽園ホール大会でモリ・ベルナルドと対戦。10分31秒、横入り式エビ固めでフォール勝ち。4月16日、博多スターレーン大会で太田圭則と対戦。8分24秒、火の玉ボムで勝利。8月15日、湯沢市皆瀬村総合支所前グラウンド大会で斎藤彰俊と対戦。11分57秒、スイクルデスに敗れた。8月29日、鹿嶋市立高松緑地体育館大会で青木篤志と対戦。8分53秒、腕ひしぎ逆十字固めをエビ固めに切り返してフォール勝ち。9月2日、ディファ有明大会で丸藤正道と対戦。14分24秒、腕取り体固めにフォール負け。10月13日、大阪府立体育会館大会で秋山準と対戦。8分58秒、垂直落下式エクスプロイダーに敗れた。

2007

07年5月5日、ディファ有明でのディファカップで宮本和志とシングルで対戦。11分22秒、横入り式回転エビ固めでフォール勝ち。7月3日、千葉ポートアリーナサブアリーナ大会で平柳努と対戦。6分59秒、火の玉ボムで勝利。10月13日、ディファ有明大会で杉浦貴と対戦。6分34秒、足首固めに敗れた。

2008

08年2月26日、京王プラザホテル八王子大会で百田光雄と対戦。8分23秒、前方回転エビ固めをエビ固めに切り返してフォール勝ち。3月31日、上越市厚生北会館大会で山口竜志と対戦。5分38秒、横入り式エビ固めでフォール勝ち。4月1日、仙台産業展示館大会で太田一平と対戦。7分13秒、横入り式エビ固めでフォール勝ち。4月22日、恵那市民会館大会で平柳玄藩と対戦。7分41秒、火の玉ボムで勝利。5月23日、新潟市体育館大会で百田光雄と対戦。7分10秒、横入り式エビ固めでフォール勝ち。6月1日、北海道立総合体育センター大会で平柳玄藩と対戦。7分37秒、火の玉ボムで勝利。7月3日、岩手県営体育館大会で太田一平と対戦。10分51秒、横入り式回転エビ固めでフォール勝ち。8月14日、宮城野体育館大会で平柳玄藩と対戦。9分33秒、横入り式エビ固めでフォール勝ち。8月15日、湯沢市皆瀬村総合支所前グラウンド大会で泉田純至と対戦。12分37秒、隕石に敗れた。8月24日、高岡テクノドーム大会で百田光雄と対戦。8分53秒、回転エビ固めをエビ固めに切り返してフォール勝ち。10月25日、日本武道館大会で平柳玄藩と対戦。6分17秒、ダイビング・ヘッドバットで勝利。11月27日、Zepp Sendai大会で丸藤正道の世界ジュニア王座に挑戦。バックドロップ10連発をくらっても立ち上がり、必殺のポールシフトをカウント2で返す健闘を見せたが、23分13秒、2度目のポールシフトに敗れた。11月29日、秋田・セリオンプラザ大会で百田光雄と対戦。6分39秒、前方回転エビ固めをエビ固めに切り返してフォール勝ち。

2009

09年から専属契約を解除されて年間報酬保障フリー契約選手になり、ノアでの出場が減る。3月15日、丸藤プロデュースのディファ有明大会で「伝説のシングルマッチ」として小川良成と対戦。59秒、ジャックナイフ式エビ固めに敗れた。5月30日からはじまった新日本プロレスのベスト・オブ・ザ・スーパージュニアに参戦。5月31日、水戸市民体育館大会で金本浩二と対戦。アンクルホールドをかけられたがロープをつかんで立ちあがり、9分18秒、丸めこんでの片エビ固めでフォール勝ち。6月5日、鳥取県立米子産業体育館大会でタイチと対戦し、9分24秒、丸めこまれたところをエビ固めに押さえこんでフォール勝ち。6月6日、宍道湖公園大会でYAMATOと対戦。10分54秒、三角絞めを上から押さえこんでフォール勝ち。開幕から3連勝となり優勝争いを演じた。6月8日、福井市体育館大会で飯伏幸太と対戦し、9分56秒、ハーフネルソンスープレックスに敗れた。6月9日、岐阜・マウントエース大会で田口隆祐と対戦し、11分31秒、タイガースープレックスに敗れた。6月12日、豊橋市総合体育館大会でライガーと対戦し、8分30秒、回転エビ固めに敗れた。その結果、3勝3敗となり、リーグ戦に敗退した。7月に伊藤旭彦と組んでジュニアタッグリーグ戦に参戦。腰を負傷していたため大苦戦。3戦全敗に終わった。8月30日、全日本プロレスの両国国技館大会で小橋、伊藤と組んで小島KAI大和組と対戦。29分13秒、小島のラリアットに伊藤が敗れた。9月26日、ハッスルの後楽園ホール大会に出場し、RGと対戦。6分9秒、ダイビングヘッドバッドで圧勝。10月11日、さざんぴあ博多で行われた新泉浩司プロデュース興行で新泉浩司と対戦。12分36秒、エルボーで勝利。12月31日でノアとの年間報酬保障契約を解除されてフリーに転向。

2010

10年2月25日、グレートプロレスリングの新木場1stRING大会で佐野直と対戦。10分8秒、火の玉ボムで勝利。ノアの大会には4月24日、25日の札幌テイセンホール大会、4月29日の仙台産業展示館大会に出場した。8月24日、ドラゴンゲートの後楽園ホール大会で泉田と組んでCIMA、Gamma、望月組と対戦。休憩時間終了を知らせる曲を入場曲と勘違いして入場する失態を演じたが、15分8秒、橋がGammaに高尾山固めで勝利。8月30日、渕の指名で世界ジュニア王座への挑戦者に決定。9月10日から全日本プロレスのシリーズに参戦。9月20日、後楽園ホール大会でカズ・ハヤシの世界ジュニア王座に挑戦。9分41秒、巻き投げ固めに敗れた。11月、全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグ戦に本田多聞と組んで参戦。リーグ戦でアジアタッグ王者の真田征矢組に勝利。試合後、本部席にあったアジアタッグ王座のベルトを手に取り挑戦をアピールした。リーグ戦は1勝7敗で敗退した。

2011

11年1月3日、全日本プロレスの後楽園ホール大会で本田と組んで真田、征矢組のアジアタッグ王座に挑戦。12分32秒、征矢の垂直落下式デスバレーボムに菊地が敗れた。同日にユニオンプロレス後楽園ホール大会にも出場し、大家健とパン食いデスマッチで対戦。10分間でリング上に吊されたパンを多く食べた者が勝つという過酷な試合形式で、2.5ブレット対1.5ブレットの僅差で勝利。場内を笑いの渦に巻きこんだ。1月10日、後楽園ホールでのレジェンド・ザ・プロレスリングの旗揚げ戦で橋、泉田と組んでヒロ斎藤、福田、田島組と対戦。13分52秒、菊地が火の玉ボムで田島に勝利。2月3日、ユニオンプロレスの新宿FACE大会のメインでユニオンプロレスのエース、石川修司と対戦。13分40秒、スプラッシュマウンテンに敗れた。4月7日、新日本プロレスの新木場1stRING大会でベスト・オブ・ザ・スーパージュニア出場権をかけた予選トーナメントに出場。1回戦で 大家健と対戦し、8分18秒、火の玉ボムで勝利。4月8日、同会場での準決勝で田村和宏と対戦し、7分14秒、エビ固めで勝利。同日の決勝で佐々木大輔と対戦し、14分26秒、NOW OR NEVERに敗れた。4月17日から渕と組んで全日本プロレスのジュニアタッグリーグ戦に出場。2勝4敗に終わった。4月27日、全日本プロレスの高岡テクノドーム大会でKENSOと対戦。9分48秒、ダブルニードロップに敗れた。4月30日、ディファ有明大会で菊タローと対戦。6分14秒、首固めで勝利。試合後に「全日本に2人の菊はいらないと言ったけど、菊地さん、面白い!」と菊タローからタッグ結成をもちかけられ、意気投合。6月2日、ユニオンプロレスの新宿FACE大会で天龍源一郎と対戦。天龍の入場と同時にゼロ戦キックで奇襲したが、場外で強烈なイス攻撃を何度もくらい、最後は7分15秒、ラリアットに敗れた。6月3日、アイスリボン道場での崖のふちプロレスの旗揚げ戦で松本都と対戦。ダークマッチでは1分56秒、火の玉ボムで勝利。5連戦が開始され、糸通し対決では4秒で敗れ、ダンス対決で敗れ、楽器対決ではタイコの乱れ打ちで勝利。プロレス対決では5分20秒、火の玉ボムで勝利。最後の朗読対決では「さよならをおしえて/戸川純」に敗れ、2勝3敗となり敗北。6月21日、ディファ有明での新日本プロレスの6人タッグトーナメントに円華、忍と組んで参戦。1回戦で金本、三上高橋広夢組と対戦し、10分56秒、円華がランヒェイで高橋に勝利。6月22日、同会場での2回戦では矢野飯塚石井組と対戦し、10分44秒、石井の垂直落下式ブレーンバスターに忍が敗れた。7月21日、リアルジャパンプロレスの後楽園ホール大会のメインで本田、泉田と組んで初代タイガーマスク長州藤波組と対戦。11分57秒、長州のリキラリアットに泉田が敗れた。8月25日、宮古市民総合体育館でのチャリティ大会でリアルジャパンプロレス提供試合としてタイガー・シャークと対戦し、横入り式エビ固めで勝利。9月25日、DDTの後楽園ホール大会でアントーニオ本多と対戦。6分48秒、サムソンクラッチで勝利。11月10日、後楽園ホールでの天龍のデビュー35周年記念興行に出場。第1試合で泉田、志賀と組んで天龍、百田、グレート小鹿組と対戦。10分53秒、百田のサムソンクラッチに志賀がフォール負け。12月8日からZERO1のタッグリーグ戦「風林火山」に菅原拓也と組んで参戦。1勝2敗1引き分けでリーグ戦敗退。12月14日、ユニオンの新宿FACE大会で高木三四郎と対戦。8分1秒、シットダウン式ひまわりボムに敗れた。

2012

12年1月1日、ZERO1の後楽園ホール大会でクレイグ・クラシックのジュニア王座に挑戦。6分59秒、一瞬のスキを突いてのエビ固めでフォール勝ち。NWA世界ジュニアヘビー級王座を獲得した。1月22日、ZERO1の道場マッチで佐藤耕平と対戦。10分20秒、ジャーマンスープレックスに敗れた。2月1日、ZERO1の後楽園ホール大会で菅原と組んで日高、伊藤組のNWAライトタッグ王座に挑戦。19分41秒、日高のセコンドについていた藤田峰雄が裏切りのスワントーンボムを決め、菅原が日高をフォールして勝利。NWAライトタッグ王座を獲得した。2月20日、菅原との確執からNWAライトタッグ王座を返上。3月2日、ZERO1の後楽園ホール大会でインターナショナルジュニア王者の菅原拓也を相手にダブルタイトルマッチ。8分12秒、十三不塔に敗れて王座転落。4月21日、ノアの札幌テイセンホール大会で金丸と対戦。8分38秒、垂直落下式ブレーンバスターに敗れた。7月27日、天龍プロジェクトの後楽園ホール大会で百田光雄と対戦。10分41秒、サムソンクラッチに敗れた。

2013

13年9月16日、天龍プロジェクトの新宿FACE大会でカブキと組んで青柳齋藤、松崎組と対戦。16分27秒、嵐がパワーボムで松崎に勝利。

2014

14年4月27日、OZアカデミーの仙台Rensa大会で伊東竜二と対戦。6分18秒、ドラゴンスプラッシュに敗れた。5月4日、DDT「ユニオンプロレス」のエルパーク仙台大会でFUMAと組んで石川修司、河村組と対戦。14分17秒、菊地が火の玉ボムで河村に勝利。10月11日、全日本プロレスのサンレック北上大会で青木篤志と対戦。13分13秒、腕ひしぎ逆十字固めに敗れた。11月27日、全日本プロレスの宮城野区文化センター・シアターホール大会で金丸と対戦。8分37秒、逆さ押さえ込みにフォール負け。

2015

15年2月、宮城県黒川郡富谷町の焼肉屋「小鉄」の店長に就任。4月13日、全日本プロレスの宮城野区文化センター大会で鈴木鼓太郎と対戦。10分40秒、ローリングエルボーに敗れた。5月21日、全日本プロレスの後楽園ホール大会で大森井上雅央と組んで秋山、金丸、渕組と対戦。17分22秒、秋山のエクスプロイダーに井上が敗れた。6月27日、フリーダムズの仙台宮城野区文化センター大会で政宗と組んでGENTARO、ジ・ウインガー組と3本勝負で対戦。1本目は8分33秒、GENTAROのバックドロップに菊地が敗れた。2本目は3分41秒、政宗が蜻蛉切でウインガーに勝利。3本目は3分59秒、菊地が火の玉ボムでGENTAROに勝利した。11月28日、全日本プロレスのベストウェスタンホテル仙台大会で愛澤No.1と組んで青木、佐藤光留組と対戦。14分23秒、佐藤のヒザ十字固めに愛澤が敗れた。11月29日、全日本プロレスの山形ビッグウイング大会で愛澤No.1と組んでSUSHI青柳優馬組と対戦。13分13秒、SUSHIのカツオの一本釣りに愛澤が敗れた。12月4日、FMWの福島市国体記念体育館大会で川村亮と組んでNOSAWA論外、那須晃太郎組と対戦。17分19秒、菊地が火の玉ボムで那須に勝利。

2016

16年1月16日、プロレスリングDEWAの宮城野区文化センター大会のメインで愛澤No.1と対戦。17分42秒、ランニングエルボーで勝利。7月4日、ノアの夢メッセみやぎ大会で齋藤彰俊と組んでクワイエット・ストームヨネ組と対戦。9分15秒、ストームのラリアットに菊地が敗れた。10月10日、全日本プロレスの夢メッセみやぎ西館ホール大会で相澤No.1と組んでSUSHI、阿部史典組と対戦。13分10秒、菊地が火の玉ボムで阿部に勝利。11月27日、全日本プロレスの両国国技館大会でSUSHI、井上雅央と組んで梶、田村、佐野直組と対戦。7分39秒、田村のミノルスペシャルにSUSHIが敗れた。12月3日、全日本プロレスの夢メッセみやぎ西館ホール大会で渕、竹田誠志、愛澤と組んでドリー・ファンク・ジュニア、中島洋平、岩本、ウルティモ・ドラゴン組と対戦。10分10秒、ドリーの横回転エビ固めに菊地がフォール負け。

2017

17年2月11日、ノアの夢メッセみやぎ大会で小川良成と組んで原田、タダスケ組と対戦。10分15秒、原田の回転片エビ固めに菊地がフォール負け。6月17日、全日本プロレスのススキノ・マルスジム大会で渕と対戦。10分58秒、横入り式エビ固めにフォール負け。8月11日、Aチームの北千住シアター1010大会での初代WEWジュニア王座決定トーナメントに参戦し、1回戦で櫻井匠と対戦。6分50秒、火の玉ボムで勝利。同大会の決勝で守部、HASEGAWA、政宗を相手に4WAYマッチ。最後に残ったHASEGAWAにジャーマンスープレックスで勝利。WEWジュニア王座を獲得した。8月23日、ノアの岩手県営体育館大会で小川良成と組んで井上雅央、熊野組と対戦。8分47秒、小川がスモールパッケージホールドで井上にフォール勝ち。9月23日、Aチームの北千住シアター1010大会でHASEGAWAを相手に防衛戦。16分3秒、Hフロウジョンに敗れて王座転落。11月23日、全日本プロレスの夢メッセみやぎ西館ホール大会で愛澤No.1、岡田佑介と組んで秋山、ウルティモ・ドラゴン、カーベル伊藤組と対戦。11分40秒、ウルティモの横回転エビ固めに岡田がフォール負け。

2018

18年4月7日、全日本プロレスの仙台サンプラザホール大会でデビュー30周年記念試合としてウルティモ・ドラゴンと対戦。9分28秒、ラ・マヒストラルにフォール負け。5月4日、DDTの宮城・夢メッセみやぎ西館ホール大会でヒラティモ・ドラゴン、アントーニオ本多と3WAYマッチ。10分6秒、レフリー不在の時に、試合中に脱げたマスクを本多に渡されて、なぜかマスクを被ったところに復帰したレフリーに見つかって反則負け。9月1日、両国国技館で行われた丸藤のデビュー20周年記念大会で百田と組んでヨネ、菊地組と対戦。4分45秒、ヨネのキン肉バスターに百田が敗れた。9月28日、仙台サンプラザホールで行われたみちのくプロレス主催の「昭和プロレスフェスタin仙台」で百田、気仙沼二郎と組んで藤原喜明サスケグラン浜田組と対戦。9分39秒、藤原のワキ固めに沼二郎が敗れた。12月22日、みちのくプロレスの仙台PIT大会でヨネ原人と対戦。3分57秒、両者リングアウト。

2019

19年1月12日、全日本プロレスの夢メッセみやぎ・西館ホール大会でTAJIRIのGAORA・TV王座に挑戦。11分35秒、バズソーキックに敗れた。

2021

21年5月3日、仙台PITでのプロレス酒場GOLDの15周年記念大会で金本浩二を相手にリングファイナルマッチ。7分25秒、ムーンサルトプレスに敗れた。



スクラップブック
― でも、鶴田さんにはコテンパンにやられましたよね。
「俺にとっては、それはありがたかったですよ。俺が注目されたとしたら、それはあれだけ鶴田さんにやられたからで。まあ、当時は“たまったもんじゃない!”と思ってましたけど(苦笑)」
― 身体もそうですけど、よく心が折れなかったなと。
「だって、俺にはプロレスしかなかったから。プロレス以外のことは何も考えてなかったから。考えるとしたら“どうやったら鶴田さんから逃げられるんだろう?”ぐらいなもんですよ(笑)。とにかく強かったですね。“これがダメ押しだ!”って感じで背中を叩かれるのが本当に痛かった。自分は這いつくばっているわけですよ。這いつくばっているのに、何で叩かなきゃいけないのか。“必要ないじゃん!”って(苦笑)。あの痛みだけは、どうにも我慢できなかったなあ。今、ビデオで観ても“菊地毅、大丈夫か!?”って、自分で話しかけたいぐらいですよ。“俺にはできないよ”って(笑)」(Gスピリッツ Vol.20 菊地のインタビューより)


33年間のリングに別れ「火の玉小僧」菊地毅秘話 ジャンボ鶴田さんゆかりの都市伝説も
(2021年5月7日20:00配信 ENCOUNTより)
「火の玉小僧」菊地毅が「リング」から去った。5月3日、地元の宮城・仙台PIT、プロレス道場GOLD15周年スペシャル記念大会に出陣し「プロレスラー33年 リングファイナルマッチ」で金本浩二と対戦。33年の思いをこめて健闘したものの、金本のムーンサルトプレスに散った。
 流血しながらも菊地は「今は大変な状況だけど、みんなプロレスを見に来てくれ。これからもプロレスを頼む」と、改めてプロレスへの熱い思いを訴えた。
 とはいえプロレスから完全に離れるわけではない。菊地からプロレスを取ったら、何も残らないことは、菊地自身が一番よく分かっている。首の手術を受ける予定だったが、コロナ禍で待機している間に、トレーニングで筋力をアップした成果で、回避できた。今後は「マットプロレス」に取り組む。
(中略)
「菊地はジャンボ(鶴田)の猛攻でパンチドランカーになった」という都市伝説がまことしやかに伝わるのも無理からぬところ。実際、滑舌の悪いレスラーのベスト10にランクインするのは間違いない。一生懸命に話せば話すほど、分からない。だが、その一生懸命さに人柄の良さがにじみ出ている。