レスラーノート

ケンドー

KENDO

本名:エスキエル・アントニオ・リベラ
1956年9月18日
ドミニカ共和国サントドミンゴ出身
177cm 78kg

タイトル歴
サントドミンゴ・ライト
ナショナル・クルーザー
得意技
サルト・モルタル

9歳の時に仕立屋で働きはじめ、店の主人(グラン・カスティージョ)がルチャドールだったことからルチャを学ぶ。 70年5月7日、新団体「カチャカカン」のサントドミンゴのテレビスタジオでのボビー・ドッグ戦でデビュー。デビュー当時のリング名はエル・ブリジャンテ。素顔でのデビューだった。その後、カチャカカンは1年半後に消滅。 その後、75年5月13日、団体「ドミニカーノス・デ・エスペクタクロス」のエル・アセルティホ戦で本格デビュー。10月、アセルティホを破りサントドミンゴ・ライト級王座を獲得。仕立屋はドミニカを出るまで続けた。 79年、本拠地をパナマに移動。パナマでは名前は同じだったがマスクマンに変身した。マスクは自分で仕立てた。その後、遠征してきたアニバルに技術指導を受けて、メキシコのボスに紹介してもらうことになる。 81年末、メキシコに進出。レネ・グアハルドがボスをしていたモンテレイの北部サーキットに入る。UWAの第2の主要コースだった。その後、イホ・デル・サントのデビュー前の中南米修行に同行。メキシコに戻り、UWA代表のフローレスに面会。フローレスの側近のペケニョ・ソリンを紹介されて、以後、タッグを組んだ。仕立て職人としての腕を認めたソリンの紹介からコスチュームの制作注文が殺到し、マスク工房を作った。 82年5月16日、UWAのメイン会場のエル・トレオに初出場。5月20日、アレナ・プエブラでブラック・テリーのUWA世界ライト級王座に挑戦し、敗退。6月23日、アグアスカリエンテスでテリーに再挑戦し、敗退。 83年1月25日、パチューカでテリーに再々挑戦し、敗退。6月5日、パラシオ・デ・ロス・デポルテスで12チーム参加の負け残りタッグトーナメントにドス・カラスと組んで参戦。トーナメントに負け残り、最後にメインでドス・カラスとマスクをかけて対戦。ブレーンバスターに敗れてマスクを剥がされた。その後はアフロヘアーを売り物にして出場。6月24日、アレナ・ケレタロでブルー・パンテルとのマスカラ・コントラ・カベジェラに敗れて髪の毛を刈られてしまった。 84年8月19日、マスクマンのケンドーに変身。ロス・ファンタスティコス(クン・フー、ブラックマン、カト・クン・リー)にいた問題児のカトの代役としてフローレスに依頼されての変身だった。加入前にカトとクン・フーがUWAを離脱。 85年6月2日、トレオでブラックマン、アビスポン・ネグロと組んで2代目ロス・ファンタスティコスが結成。その後はアビスポン・ネグロが脱退し、シルバー・キングが加入。ティファナのWWAに移動。 87年10月からシルバー・キングと抗争し、チームは解散した。 88年5月27日、ティファナのアウデトリオ・ファウスト・グティエレス・モレノでブルー・パンテルとマスカラ戦。敗れてマスクを剥がされた。 89年10月、UWAでマスクマンのセレスティアルに変身。 90年3月1日、ケンドーとして来日し、ユニバーサル・レスリング連盟の後楽園ホールでの旗揚げ戦に出場。以後、日本で大人気となり、ケンドーとして40回以上も来日。欽ちゃんジャンプで会場を沸かした。 92年、カト・クン・リー2号に変身。さらにトランスフォルメルに変身。 95年、AAAに移籍。エル・ニンジャに変身。3月20日、ニンジャ・デ・フエゴに変身。その後、グアダラハラでベスティア・ザルバへとのマスカラ・コントラ・カベジェラに敗れてマスクを剥がされた。その後はプロモ・アステカに出場。 98年2月、CMLLでスペル・ケンドーに変身。 99年8月、チワワでサルセロを破りナショナル・クルーザー級王座を獲得。 01年10月19日から始まったみちのくプロレスの「みちのくふたり旅」につぼ原人と組んで参戦。10月21日、西根温泉ゲンデルランド大会で北海珍念と対戦。5分45秒、ケンドークラッチでフォール勝ち。10月26日、青森県民体育館サブアリーナ大会でジェームス・メイソンと3分5Rで対戦。2R1分44秒、横入り式エビ固めを切り返されてのエビ固めにフォール負け。10月30日、花巻市民体育館大会でサイキックと対戦。5分1秒、ケンドークラッチでフォール勝ち。10月31日、米沢市営体育館大会でエル・パンテーラと対戦。10分37秒、裏アキレス腱固めに敗れた。11月1日、ビッグパレットふくしま大会でサイキックと対戦。5分48秒、カンパーナで勝利。タッグリーグ戦は6戦全敗に終わった。11月2日、アメニティパーク倶楽部ハウス大会でつぼ原人と対戦。6分38秒、カンパーナで勝利。11月4日、Zepp Sendai大会でエル・パンテーラと対戦。9分59秒、スタンディング式アンクルホールドに敗れた。 02年6月16日、アレナ・メヒコでの8人参加のマスク剥ぎ金網マッチでソラール2号のマスクを剥いだ。7月26日、ティファナのアウデトリオでスペル・パルカに敗れてマスクを剥がされた。 03年からティファナに引っ越して10年住んだ。ティファナではエル・イディオタに変身。メンソー、長男のタラードと怪奇トリオを結成してルードとして出場。 07年、全日本プロレスに来日し、AKIYOSHIの名で素顔で出場した。その後はアラゴンに豪邸を建ててジムやマスク工房を運営。 14年10月18日、みちのくプロレスの新木場1stRING大会に久しぶりに来日。ドミニカではBWE(ブリジャンテ・レスリング・エンターテインメント)という団体の理事として活動。