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ゾディアック
ZODIAC


本名:アーロン・アグリア
1977年2月28日
カリフォルニア州オレンジカウンティ出身
198cm 110kg
得意技:Zボム

ハードコア・キッドの名でUPWなどインディ団体で活躍。03年10月にZERO-ONEに初来日。04年11月、ヘスースの名でカリートの悪友としてWWEに登場。ジョン・シナと抗争を展開。05年4月にWWEを離脱。6月にZERO-ONEにハードコア・キッドの名で来日。6月19日、京都KBSホール大会でライアン・サコダと組んで佐藤耕平崔領二組のNWAインターコンチネンタルタッグ王座に挑戦。19分29秒、崔のバックドロップにハードコア・キッドが敗れた。 07年10月18日、代々木大会でのセミファイナル後、TARUに伴われて全日本プロレスに出現。ブードゥー・マーダーズの一員としてヒールで活躍。 08年5月11日、後楽園ホール大会でジョー・ドーリングと対戦。10分7秒、レボリューションボムに敗れた。08年5月25日、神戸サンボーホール大会でドーリングを相手にマスカラ・コントラ・カベジェラマッチで対戦。12分40秒、レボリューションボムに敗れた。試合後にマスクを脱いだ。年末の世界最強タッグ決定リーグ戦ではVM入りしたドーリングとブードゥー・タワーズを結成して暴れ回った。しかし、シリーズ終盤で急性腹膜炎のため欠場。残り1試合で勝ち点8の1位となっていたが、12月6日の試合が不戦敗となり優勝を逃した。 09年1月2日、後楽園ホール大会で高山善廣と対戦。2分40秒、ランニングニーリフトに敗れた。チャンピオンカーニバルに出場。太陽ケアに勝利したのみで勝ち点2に終わってしまった。「ゾ・ディ・アッ・ク!」のかけ声とポーズで人気上昇。5月17日、後楽園ホール大会で太陽ケアと対戦。9分8秒、TKO34thに敗れた。5月22日、鹿児島市民体育館大会で三冠王者の高山とノンタイトル戦で対戦。7分16秒、ランニングニーリフトに敗れた。5月25日、大分イベントホール大会で河野真幸と対戦。7分45秒、ファルコンアローに敗れた。6月21日、後楽園ホール大会でドーリングと対戦。8分50秒、ジャックナイフ式エビ固めに敗れた。7月、小島聡から「F4」への加入を勧誘される。9月13日、後楽園ホール大会でTARUと対戦。4分56秒、ドーリング、ヘイトの乱入により反則勝ち。試合後に痛めつけられているところをF4が助けに入り、F4に加入。11月20日から始まった世界最強タッグ決定リーグ戦では小島と組んで参戦したが、12月3日から小島がインフルエンザのためシリーズを欠場し、リーグ戦から離脱した。 10年1月11日、浜北総合体育館大会でKAIと組んで組のアジアタッグ王座に挑戦。12分22秒、浜のリョウタハマーにゾディアックが敗れた。2月7日、後楽園ホール大会でチーム解散をかけてブードゥ・マーダーズとキャプテンフォール8人タッグイリミネーションマッチで対戦。試合終盤で小島とTARUの1対1の展開となり、32分52秒、最後はTARUドリラーに小島がフォール負け。F4解散が決まった。 11年2月、全日本プロレスに来日。 12年9月8日、全日本プロレスの後楽園ホール大会に久しぶりの来日。ジョー・ドーリングと組んで大森、ケア組と対戦。8分38秒、ドーリングに肩車された大森にダイビングラリアットを決めて勝利。9月19日、栃木県総合文化センター大会で征矢学と対戦。8分42秒、タイガードライバーで勝利。9月23日、横浜文化体育館大会でドーリングと組んで大森、征矢組の世界タッグ王座に挑戦。13分16秒、大森のアックスボンバーにゾディアックが敗れた。試合後、ドーリングのレボリューションボムをくらって仲間割れをした。 13年9月8日、東京ドームシティホールでのWー1旗揚げ戦に出場。メインでレネ・デュプリと組んで武藤敬司、ボブ・サップ組と対戦。10分20秒、武藤のムーンサルトプレスにデュプリが敗れた。 19年9月1日、W−1の横浜文化体育館大会でTARU、近藤修司修司と組んで武藤敬司、カズ・ハヤシ、ペガソ・イルミナル組と対戦。10分56秒、武藤のシャイニングウィザードにゾディアックが敗れた。

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