レスラーノート

ブキャナン

BUCHANAN

本名:バリー・ブキャナン
1968年1月5日
ケンタッキー州エディヴィル出身
195cm 146kg

タイトル歴
WWF世界タッグ
アジアタッグ
GHCタッグ
USWAタッグ
GCWヘビー
得意技
アイアンクロー
アイアンボム
シザースキック

95年にデビュー。ジョージア州のインディ団体NCWで活躍。その後、テネシーのSMWで活躍。96年にUSWAでインテロゲーターらと組んで南アフリカ軍団「トゥルース・コミッション」を結成。97年3月6日にインテロゲーターと組んでUSWAタッグ王座を獲得。同年にリーコンの名でトゥルース・コミッションの一員としてWWFに登場。98年にトゥルース・コミッションを脱退。00年、自主検閲同盟「RTC(Right to Censor)」の一員となり風紀を取り締まる。11月6日にグッド・ファーザーと組んでハーディーズを破りWWF世界タッグ王座を獲得。01年4月にRTCは解散。その後は2軍団体のOVWに降格。02年8月に復帰。11月ごろからジョン・シナと組んでB2(Bスクウェア)に改名していたが、03年1月26日に離脱。10月、全日本プロレスに初来日。ジャマールTAKAみちのくディーロ・ブラウンらと共にRO&Dの一員として活躍。10月26日、日本武道館大会でディーロと組んで武藤組の世界タッグ王座に挑戦。24分26秒、武藤のムーンサルトプレスにディーロが敗れた。11月からギガンテスと組んで全日本プロレスの最強タッグ決定リーグ戦に出場。04年2月11日、後楽園ホール大会でザ・グラジエーターと組んで小島カズ・ハヤシ組の世界タッグ王座に挑戦。19分15秒、小島のラリアットにブキャナンがフォール負け。11月からの最強タッグ決定リーグ戦にディーロと組んで参加。05年2月2日、後楽園ホール大会でリコと組んで長井成瀬組のアジアタッグ王座に挑戦。24分28秒、ブキャナンのアイアンボムで長井に勝利し、アジアタッグ王座を獲得。5月にリコが引退を表明したためアジアタッグ王座は返上した。9月17日、後楽園ホール大会でヴードゥー・マーダーズとのチーム解散マッチでディーロと共にまさかの裏切りを見せた。07年6月8日にノアの横浜文化体育館大会でディーロと組んでGHCタッグ王者の秋山力皇組に挑戦。20分57秒、力皇のブキャナンへの無双で敗れた。9月29日、アラバマ州フェニックスシティでGCWヘビー級王座を獲得。10月にディーロ・ブラウンと組んでGHCタッグ王座決定リーグ戦に出場。リーグ戦を3勝(不戦勝1を含む)し、GHCタッグ王座を獲得した。10月27日、日本武道館大会で丸藤杉浦組を相手に防衛戦。ディーロの雪崩式スカイハイボム、ブキャナンのアイアンボムなど、豪快なパワーファイトで圧倒。26分17秒、杉浦のオリンピック予選スラムにブキャナンがフォールを取られて王座転落。大迫力の試合運びを見せ、試合後に「RO&D」コールがわきおこった。08年3月にノアに来日し、ディーロと組んでグローバル・タッグリーグ戦に参戦。6月にディーロがWWEと契約してノアを離脱してからも、ノアに来日を続ける。キース・ウォーカーと組んで荒くれファイトを展開し、ノアで存在感をアピール。7月8日、大阪府立体育会館第二競技場大会で力皇と対戦。ボディプレスで脇腹を痛め、12分41秒、無双に敗れた。09年4月、WWEを離脱したディーロ・ブラウンと組んでノアのグローバルタッグリーグ戦に参戦。3勝3敗1分けでリーグ戦を終了した。10年1月28日、アラバマ州フェニックスシティでGCWヘビー級王座2度目の獲得。2月にノアに来日。2月17日、ふくやま産業交流館大会では佐野と対戦し、14分16秒、ノーザンライトボムに敗れた。2月28日、最終戦の武道館大会では田上と組んで金丸平柳組と対戦。10分35秒、アイアンボムで平柳に勝利し、試合後に田上に殴りかかった。14年11月22日、ジョージア州バウデンで引退試合。引退後、ジョージア州キャロル郡保安官代理として勤務。21年8月30日、息子のベン・ブキャナンがWWEと契約を結んだ。